第384話 バンダーの絶頂期
「くぅぅ。
ふぅふぅ。
バンダー。よくも!」
「大した物だ。
手馴れた娼婦でも、本気で求めてしまう強い薬だと言う評判の物を射たれて、未だこちらを睨み付ける気力があるとはね」
サザーラント帝城の中でも一番豪奢な部屋のベッドの上で、熱っぽくも怒りの篭った目で睨み付ける妻にバンダーは苦笑を返す。
「今日は少し現実を教えてやろう。
攻めてくると心配していたマウントホークは、北部周辺から動かない。
その代わりにミルガーナをマウリーと名乗らせて、サザーラントからマウントホーク領へ移民させようと動いている。
我々が思った通り、連中にはまともに戦う気などないと言うことだ」
「そ、んな……」
昼夜を問わず薬漬けにされているアイリーンの元に、バンダーが訪れるのは夜ばかり。
今日は珍しく日の高い内から、やって来たと思えば、わざわざアイリーンの判断ミスを嗤うための訪問であった。
バンダーが伝えた内容にショックを受けるアイリーン。
熱に思考力を奪われながらも彼女は、マウントホーク側にサザーラントを滅ぼす意図がないことを理解してしまった。
「ゼファート軍の方はさすがに強い。
しかし、ルターを占拠した後はまともな動きを見せない。
向こうもこれ以上の派兵による負担を出す気がないようだし、もうしばらくしたら終戦になるだろう。
そうなれば、無理にお前の子供を手に入れる必要もなくなる。
サザーラント神聖帝国に名を改めて、俺が初代皇帝になった暁には、お前は戦争の責任を取るために処刑させてもらう」
もう薬漬けの日々とはおさらばだぞ! と嗤うバンダー。
同時に、自室として使用していた皇帝用の私室を追われ、地下牢の住人となることも告げられる。
とても元恋人に向ける言葉ではない。
「あなたは、一体……。
何を……」
「言ってるだろ?
俺はこの大陸で最高の地位に付きたいのだ。
そのためにはお前の恋人になるしかなかったし、ファーラシアの下人ごときに奪われるわけにもいかなかった。
だが、権力の中枢を牛耳った今、お前は邪魔だ。
恨むならいらない戦争を起こした母親を恨むんだな!」
此処に来て、権力を得るためにアイリーンに取り入ったことやファーラシアへの輿入れを邪魔したことを告げるバンダー。
「俺も奴のせいで余計な危ない橋を渡る羽目になった。
本来ならお前に子供が出来た時点で、2人して毒に倒れるだけの安全な流れだったのに!」
どちらにしろ。
皇帝や自分を殺す気でいたと知ることになったアイリーンだが、今の状況がそれ以上に悪いことには変わりない。
「連れていけ。
それと終戦交渉が進むまでは生かしておく必要がある。
だが、無駄に飯を与えるのも勿体無いからな。
不満の捌け口に利用して良いぞ!」
外から呼び招いた兵士にアイリーンを好きにして良いと指示を出すバンダー。
それに下卑た笑顔を浮かべる兵士を見たアイリーンは、この城に既にまともな騎士はいないと悟ることになる。
こうして、アイリーンの更に最悪な日々が幕を開けるのだが、かと言って送り出したバンダーが幸せになれるとも限らない。
「さて、これで全ての罪を背負ったアイリーンを処刑することを、落とし処にゼファートやマウントホークと交渉出来るわけだな?」
兵士と一緒に入ってきた神経質そうな男に話し掛けるバンダー。
下級貴族出身だが、参謀役として見所のある者をブレインに招いたのだが、
「そうなります。
しばらく様子見が必要でしょうが、ルターに留まって数日経ちますが、未だに次の街へ攻め込む様子をみせません。
軍の再編の可能性もありますので、半月ほど待って、動きがなければ終戦の使者を立てれば宜しいでしょう」
所詮は並みより少し頭が回る程度の人間で、しかもさほど高い階級に生まれたわけでもない相手。
「そうか。
これで名実ともにサザーラントは俺のものか!」
「お祝い申し上げます」
気の早い主従は終戦の条件として、アイリーンはもちろん、バンダー以下上層部全員の処刑が含まれると言う発想に至らない。
そもそも約定破りを主導した人間と、改めて約定を交わす間抜けはいないのだ。
彼らは終戦交渉のテーブルに着く権利さえないのだが、その事実に気付いていない。
砂に消えるだけの仮初めだが、全ての権力を握った。
この瞬間がバンダー達の絶頂期であり、後は坂道を転がり落ちる運命だと気付かないのはある意味幸せな話だった。
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