第378話 アイリーン皇女

「さて、サザーラントの馬鹿共!

 よく聞きなさい!

 我が名はミフィア!

 お前達が仕掛けてきた戦争の相手であるゼファートの妹よ!

 今回、終戦に関する条件を履行しないお前達に、痺れを切らした兄の名代で改めて布告に来たわ!

 さっさと攻め掛かれば良い所を布告してもらえることに感謝なさい!

 それとルシーラ王国に行く途中だったユーリスを襲ったわよね!

 あいつも怒って参戦するらしいから覚悟しておくと良いわ!」


 一角獣のような角を持つ優美な赤竜の上に立つ黒い少女が、偉そうな言葉を投げ掛けてきたのは、アイリーンが各署の長官を呼んで軍略会議を開いていた時だった。

 その言葉が、母であるミルガーナ帝の拠点攻略が進まず、各地の高位貴族も恭順しない状況に苛立っていたアイリーンに油を注いだのは間違いなく……。

 しかし、相手は真竜の上。

 ましてや、彼女自身も真竜であると宣っている。

 憤りのあまり、返す言葉を失ったアイリーンを嘲笑うように、悠然と去っていく赤い竜を眺めていたアイリーンは、我に返ってすぐに帝室の知恵袋を長年勤めてきたミラッド伯爵の召喚を命じる。







「大変なことになりましたな……」


 ……しばらくして、会議室にやってきた老伯爵は開口一番にそのように口にする。


「何を他人事な!」


 ケーミル公爵兼帝配侯となったバンダー・ケーミルが叱責するが、ミラッド伯爵はさほどの痛痒も見せない。


「バンダー卿は居合わせて居られませんでしたかな?

 私が此処にいるのは、真竜と対する愚をお諫めしようとして、皇帝陛下の喚起を被ったが故です。

 真竜との敵対を諫めた私が、その真竜との戦いに巻き込まれる。

 人生はままならぬものですな……」


 好き勝手やってきたアイリーン様やバンダー様が羨ましい、と言う皮肉。

 宮中で生きてきた老伯爵だけに上手い言い回しをするミラッド。


「……貴様!!」

「止めなさい!

 バンダー!」


 今にも殴り掛かりそうな伴侶を制止したアイリーンは、知恵袋の伯爵を見据えて、


「……爺も少し抑えてちょうだい。

 幾ら私達を挑発した所で放逐はしないわよ?」

「……何のことでしょうかな?

 陛下よりお暇を出された私を、再び引き上げて下さった皇女殿下にそのようなご無礼を働く気はございませんぞ?」


 泥舟から逃げたい内心を言い当てる皇女に、とぼけ返す伯爵。


「そう。

 なら良かったわ。

 長年帝国へ仕えてきた忠臣を、家族共々処刑しなければならないのは悲しい話だもの」

「……ご理解を賜り感謝いたします」


 露骨な脅迫にしかめた顔を隠して、深く頭を下げるミラッド伯爵。

 それは同時に、知恵者と名高い伯爵が主君を見捨てようとするほど危うい状況だと、アイリーンに危機感を植え付ける。


「さて、冗談はこれくらいにして……。

 これからどのように動くべきかを話し合いましょうか?」

「……そうですな。

 畏れ多くも孫娘のように大事に思っていました皇女殿下をお救いいたしますならば、殿下とバンダー卿には死んだことになってもらい、全てを陛下に委ねるがお二方のお命を守る唯一の手でございましょうか?」


 先ほど見捨てようとした事実をあっさり無視して、孫娘のように大切だと言う老伯爵。

 その献策に偽りはなかったのだが、


「ふざけるな!

 我らサザーラント帝国の正当なる継承者が、雲隠れのような生き恥を晒せるか!

 戦って勝てば良いのだ!

 そのための策を示せと言っている!」


 伯爵の意見の裏を読み解こうとしていたアイリーンを邪魔するように、バンダーが怒鳴り付ける。

 これには、最近の増長は目に余ると思っていても、身体を委ねた相手に強く出ることの出来なかったアイリーンも許さない。


「バンダー!

 皇帝である私が、臣下に意見を訊いているのよ!

 帝配であるあなたが口を出すとは何事よ!」

「しかし……」

「良いから少し黙ってなさい。

 これ以上騒ぐなら、しばらく謹慎させるわよ!」


 それでも不満そうなバンダーを黙らせる。

 謹慎の2文字を出されては、それ以上に言い募ることは出来ない。

 謹慎中に根回しされて、帝配の地位を取り上げられては堪らないのだ。


「まずバンダー卿のご意見から、説明させていただきましょうか。

 敵は前回戦ったゼファート守護竜軍に、マウントホーク辺境伯軍が加わっております。

 ましてや、前回はギュリット軍やファーラシア南部諸侯と言う後方に不安を抱えていたのに、対して今回は後顧の憂いがない状況でございます。

 その動員兵力は我が軍の数倍かと思われます」

「何を馬鹿げたことを!」

「バンダー!」


 ミラッドの出した見解を否定しようとして、アイリーンに止められるバンダー。


「馬鹿げてなどございません。

 守護竜軍は旧ゼイム王国軍にレッドサンドのドワーフ軍とイグダードのエルフ軍も加わっておりますし、それらと同等の巫爵なる地位の貴族が後3人。

 すなわち、一国に迫る兵力が6つ。

 対して有力諸侯軍が動員出来ない我が方は……」

「そうね。

 私達の兵力は多く見積もっても2万くらい。

 旧ゼイム王国軍の動員限界くらいで、相手はその6倍とマウントホーク軍?

 どう戦えば良いのかしら?」


 宮中に属するミラッドに代わって、アイリーンが具体的な数字を出す。


「それだけではございません。

 我が方には大軍を指揮した経験のある者はごく僅かなのに対して、あちらは……」


 元将軍が何人も加わることになる。と言い切るのは忍びないと濁すが、アイリーンが気付かないはずもない。


「……頭が痛いわ。

 兵力に加えて、将の質も劣る。

 本当にどう戦えば良いのかと言う話ね」

「はい。

 故に早々と降伏するしかないと考えます。

 その際、必須となるのがアイリーン皇女殿下を初めとする現上層部の死。

 これは覆しようがありません」


 つまり、此処にいる人間全員が死ぬと言うことを意味する。

 それが嫌なら、


「適当な死体を用意して死を擬装するのね?」

「……はい。

 あちらもわざわざ本物を見付ける手間を掛けますまい。

 誅殺されたと言う事実さえあれば良いのです」


 改めて反乱を起こすような事態さえなければ、追究はないと言うミラッド。

 他国を制圧すれば、統治が忙しくて本物かどうかを確認するのに人員を割かないのも当然。

 しかし、それは、


「今ある全ての地位と権力を捨てろと言うことね?」

「はい。

 僅かでも可能性を残せば、ゼファート達もこちらが根絶やしになるまで弾圧せざるをえません。

 ただの平民となって、二度と再起はないとお考えください」


 その際には、サザーラント帝国に住む全ての人間が殺し尽くされるかもしれない。

 ミラッドはその言葉を、口に出さずに飲み込む自身の教え子がそこまで思い至らないとは考えたくなかったのだ。

 しかし、彼は間違えた。


「……分かったわ。

 お母様に手紙を……」

「出されちゃ困る!」


 手紙を出すと言う台詞を遮る自身の伴侶。


「バンダー!」

「折角苦労してここまで登り詰めたのに、その苦労を台無しにされちゃ堪らないな!

 お前らもそうだろ!」


 アイリーンの呼び掛けを無視して、周囲に投げ掛けるバンダー。

 それに迷った表情を浮かべる側近達。


「……この不届き者を捕らえなさい」

「良いのか!

 今までよりも惨めな生活に耐えれるのか?

 向こうもあまり戦費を掛ける気はないはずだ!」


 衛兵に命じるアイリーンだが、彼らもバンダーの言葉に戸惑うばかりで、あまり動こうとしない。

 その状況に勝機を見たバンダー。


「そうだ。

 あっちは辺境伯領の開発に忙しい。

 辺境伯自身が怪我を負ったわけでもないし、しばらく耐えれば引き上げる!

 ゼファート竜は論外だ。

 これまで放置していたくらいだぞ?

 ある程度痛め付ければ面目が立ったと引き上げるに違いない!」


 更に声を上げて、自身の主張を繰り広げる。

 冷静に考えれば無理矢理な主張だが、今の地位を守りたいオーディエンスの支持を得てしまう。


「待ちなさい!」

「待つのは陛下ですよ。

 衛兵!

 陛下を自室にお連れしろ!

 子供が産める状態なら多少手荒に扱っても構わん!」

「待ちなさ!

 グフッ!」

「殿下!」


 青い顔で制止しようとして、後ろから自身の護衛に殴られるアイリーン。

 それに心配な声を挙げるのは、老伯爵のみ。

 此処にいるのは、ミラッド伯爵とケーミル公爵となったバンダーを除けば、元々下位の貴族で野心的な者ばかり。

 貴族の矜持を求めるには少しばかり無理があったのだった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る