第275話 予算問題
ラーセンの王城を囲うように様々な凝った意匠を施された屋敷が建ち並ぶ一帯。
高位貴族の多く住む貴族街と呼ばれる地域は、貴族達の見栄が形になった欲望渦巻くテーマパークである。
その一角に一際大きな屋敷がある。
それこそが俺の王都での活動拠点マウントホーク辺境伯別邸だ。
普段は主足る俺もおらず、王宮とドラグネア城の仲介機能を果たすのみで、静けさに包まれている邸宅内だが、今日は緊張感に包まれた平時とは異なる静けさを湛えている。
その緊張感の発生源は、俺の前に座るシュールとリッド。
家宰であり、ドラグネア城とマウントホーク辺境伯領の取り仕切りを行うシュールに対して、王都別邸を取り仕切る執事長のリッド。
普段は、互いに協調して辺境伯家をもり立てていく2人だが、今日だけは不倶戴天の仇敵となる。
何故なら、
「各自の賃金とは別に一般会計として金貨1500枚を申請いたします!」
「多すぎます。
賃金込みで2000枚か、賃金別で1200枚です」
「別邸では法衣貴族方との付き合いがありますし、閣下の名代でパーティーを開くこともありますぞ!」
「誤魔化さないでください。
辺境伯家の主催するパーティーであれば、別途特別会計で計上するべきでしょうに!」
これまでは適当に運用していた資産を計画的に運用するための取り決めが行われているからだ。
平時の運営費としての一般会計と特殊な行事で動かす特別会計。
特にその中でも王都別邸の一般会計についてで揉めに揉めている。
今回出来るだけ多くの予算配分を受けないと来年以降は慣習的に金額が決まりかねないので、リッドは出来るだけ多くの予算を勝ち取りたいし、シュールとしては出来るだけ予算を少なく配分したい。
それで朝から揉めまくっているのだ。
「1200枚では下男を5人も雇えば足らなくなります!
せめて、1450枚」
「だから賃金込みで2000枚と提示しているでしょうに!
大体、現状の別邸に5人以上も下男下女がいるのですか?」
「見目を美しく保つためには多くの下男達を持つ必要はございます!」
……まあ、今の別邸の最たる業務が本邸への連絡であるから、下男達を多く持つ意味はないかもしれないが、リッドの言うように邸宅を綺麗に保つために多くの下男が必要なのも分かる。
「そのための庭師であり、侍女でしょうに!」
「彼らに下働きをさせよと?
暴動が起きてしまいますよ!」
「何を!」
おや?
「シュール、リッド。
少し落ち着け」
「「しかし!」」
どうにも食い違いがあるようなので一旦止めると、双方から不満が出そうになる。
ここは、認識の違いを正すのが先かな?
「俺は下男下女の役割が分からないのだが、それを説明してくれるか?
……リッド?」
尋ねるべきはリッドだろう。
多分、公爵家出身者で騎士団にいたシュールの認識より、由緒正しい侍従家出身者のリッドの方が一般的な認識のはずだ。
「侍従や侍女、あるいは料理人等の手足となって働く下働きの人間です」
「だから、"下"男女か。
シュールの認識も正しいかな?」
「もちろんです」
同じ認識か。
その割に齟齬を感じたが気のせいか?
「……そうか。
だが、それならお互いに足りる足りないの水掛け論になっているのは何故だ?」
「「……」」
俺の問いに互いの顔を見るシュールとリッド。
俺も含めて、何処に齟齬があるか分からない状況だが、これを放置するのは、後々大きな不都合を招くだろうし……。
「……そういえば、自分達の給金も含めた管理なら金貨2000枚の予算と言ったな?
差額は800枚だが、それのおおよその内訳は分かるか?
手間賃の設定額が大きい気がするのだが?」
現在別邸付きでドラグネア城から賃金を受けている使用人は、侍従長のリッドとその奥方である侍女長。
侍従長補佐と料理人で2人に侍女4人。
計8人だから単純計算で1人金貨100枚前後となる。
しかし、年収金貨100枚なんて、辺境伯軍の幹部クラスの給与だ。
……あり得ない。
ではシュールはどれだけの手間賃を想定したのか?
警備兵や伝令は従士隊から賃金を得ているし、下男下女は、別邸の予算から給与を出ている。
「管理に掛かる手間賃として金貨10枚を想定していますが?」
「じゃあ、彼ら使用人の給与は?」
「リッド殿で金貨50枚。
他の者は平均で30枚程度でしょうか?」
……うむ。
妥当なベースだな。
「インク代や化粧代もそこからか?」
「いえ、そちらは予備費からの支出です」
つまり、年俸の総額は金貨260枚。
……使用人の人数が間違ってるな。
「シュール。
この屋敷の維持に必要な侍女の数は何人だ?」
「急にどうされたのです?
……25人程でしょうか?」
侍女の平均だと金貨20枚程度と見積もって、……500枚。
「リッド」
「はい。
僭越ながらシュール殿。
一般的な貴族家でその侍女数はあり得ません。
当邸宅では侍女は4名しかおりませんぞ?」
「な!」
「おそらくではありますが、王城での人員を想定されておられませんかな?
異国では公爵家でもあり得る数かも知れませんが……」
「うん?
公爵家でも?」
俺も王宮での人員配置を考慮したが、公爵級でも起こり得るのか?
「我が国では公爵制度を認めておらず、陛下の直系でも功績なくば男爵位を賜ります。
ファーラシア王国は冒険者を祖とする国ですので、その血を頂点に据えることが出来ませんので……」
「周辺国よりも血統的に劣るからな」
血筋に権威を付与出来ないのは、中世レベルでは厄介だ。
ジューナス卿とかのような準王族として働ける人間に名誉職として公爵位を与えることはあるらしいが……。
「それどころか血統で言えば私の方が上位ですぞ?
我が家はジンバル侯爵家の傍系筋でありますし、ジンバル侯爵家はマーキル王家の庶子が興した家柄ですので……」
「と言うことはシュールとリッドは遠い親戚に当たるのか?」
「そうなりますな。
と、話が逸れてしまいました。
公爵家の役割は、王家の血を残すことですので侍女等へのお手付きでも証明出来るなら、側室の養女にするなどして受け入れることになります」
例え、不義の子でも血を遺すためのストックにはなると言うことだな。
聞いていて気持ちの良い話ではないが。
「ああ。
そういうことか。
つまり、侍女と言えど、それなりの血筋が求められると?」
「そうなります。
逆に下男下女に手を出されては大変困るので……」
「もしかして、子息子女の目の届かない所に配されてる?」
「おそらくではありますが。
良家のご息女が侍女として入るなら、その侍女を世話するのが下男下女と言うことでは?」
「……なるほど。
シュール?」
「はい。
改めて人員数の適正化を図ります」
「頼むぞ。
……予算はその後だが」
「リッド殿と擦り合わせて再提出いたしましょう」
シュールの言葉に頷いて承諾を示して、外を見ると既に日が傾きかけている。
結局、朝から2人の言い争いを聞いているだけで、1日を浪費してしまった。
この調子が続くと貴族の仕事に嫌気の差す人間が現れるのも道理だわ。
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