第272話 『赤い湿原』解放

「遅くなりました」


 マナに連れられてやって来たネミアの中のトルシェが声を掛けてくる。


「さすがはトルシェ。

 もう察していたのか?」

「それはそうですよ。

 主の前にネミアを連れていくのは無謀ですし、姉上が呼ぼうとしているのは私だと判断が付きました」

「「姉?」」


 俺の感心に答えるトルシェ。

 対して、その発言の矛盾に首を傾げる娘2人。


「このユーリス・マウントホークの前世は、我が姉セフィアだったのです。

 我らにとっては生まれ変わりもちょっとしたイメージチェンジに過ぎませんから、あなた達は私の姪です」

「超暴論だと思うんだがな?」


 人の感性で呆れながら、トルシェの言葉を否定はしない。

 セフィアは自分だと言う感覚が、当たり前の認識なのだからしょうがない。


「「……」」

「このトルシェの下にも3人の妹がいるが、満場一致でお前達の叔母だと主張すると思う。

 ……受け入れろ」


 ハンマーズ・フェスティバルのノリをみる限り、妹達が俺と他人でいてくれる可能性はないと思われ、俺にどうにも出来ない相手が娘達にどうこうなるとも思えない。


「さてトルシェ。

 このスライムなんだが……」

「奇妙な色合いのスライムですね?」

「……」

「大きいです……」

「……」

「先から何ですか?

 はっきり言ってください」


 的外れな感想ばかりのトルシェにジト目を強くしていったのだが、帰ってくるのは察しの悪い答えばかり。


「……これは体内に都市を抱えたダンジョンスライムらしい。

 体内には数名の生存者もいる」

「ダンジョンスライム?

 昔の人間が空間魔術を組み込んで造った魔物ですね。

 小さな個体は何度か見掛けたことはありましたが、このサイズは初めてですね」

「小さな個体はいたのか……」

「便利なアウトドアグッズですよ?

 私とリッテ用に天帝宮でも何匹か飼育しています」


 キャンピングカーのような用途の個体が利用されていたのか。


「姉上は天帝宮から出るなんてほぼありませんでしたし、テイファは距離を無視して、何時でも天帝宮に帰れました。

 ロッティはロッティで近くの宿の風情を楽しむと言って利用しませんでしたしね……」


 ……前世の記憶と照らし合わせてみても、納得の状況だな。

 前世俺セフィアの権能は万能過ぎた。

 天帝宮にいても望めばありとあらゆる情報を得られた。

 それこそ、各国の国家機密から中流階級1市民の私生活まで何でもありだ。

 ……まあ、全てを手軽に知ることが出来るから、無知で蒙昧だったのだろう。

 常に答えを知ることが出来るなら、考えると言う思考回路が育たないのは当然だし、それが原因で妹達によく出し抜かれた物だ。

 かといって、ロッティのような酔狂さもない。

 興味の出た状況を体感したいなら、隔離空間に全く同じ状況を再現してしまえば良いのだ。

 それで向上心など育つはずもない。


 ……唯一の趣味は食事だったな。

 あれは毎回同じ味が出てこない。

 いや、もちろん自分で再現すれば全く同じ味にはなるが、一回食べたら情報として記憶してしまうので、価値がなくなるのだ。

 その点、優秀な人に作らせればどれも旨いけど、全く同じ物が出てこないのだから飽きがこない。

 プリンなんて分注した1つ1つが全く違う味わいだったと感動したものだ。


「……工場で大量生産されたものですら、かなり似通った物はあっても同じ味はなかったな」

「……姉上がどういう思考で考えを巡らしたかは予想が付きますが、多分その感覚は姉上だけの物ですからね?」


 トルシェが冷めた目を向けてくる。

 前世の血縁者は長年の付き合いから、俺が世界に飽きていたことに思い至ったのだろう。


「分かっている。

 至らなくなって人生はかなり楽しい。

 万能ってのはそれだけで息苦しい物だなと実感したし、これで全知全能だった日には存在すること自体が拷問だわ」


 そう、セフィアとしての記憶を取り戻し、それでいてはるかに弱体化した今だから分かる。

 セフィアは知らなかったんだ。

 未知の事象があると言う感情の動きを!

 だから耐えられた。

 あの無限地獄に!

 その無限地獄の中でも、全能故に疲れることも気が狂うことも出来ないと思えば、唯一神の立場とか最狂最悪の罰である。


「……意外とセフィアも自分の力で全知を封じたりしてな」

「!

 ……あり得るのかも知れませんね」

「「……」」


 俺の冗談半分の言葉に、トルシェから驚きと真剣味を帯びた言葉を返されて、俺とミフィア"かつてセフィアだった者"は沈黙を選んだ。


「さて、ひとまずこのスライムだが……」

「私が引き取りますよ。

 色々便利そうですし、扱いにも慣れていますので」

「そうか……」

「ええ。

 それよりも私は姪達と話をしたいので、姉上は自分の仕事でもしていてください」

「……分かった。

 ミフィアも付いていてくれ」


 確かに俺の仕事は山積みなので、トルシェの言動に不安はあるものの、よほど大丈夫だろうと場を離れることにする。

 念のためミフィアを付けてはおくのだが。

 ……ミフィアも不安要素なんだよな。


 そんなことを思いながら、近くの従者を呼び止める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る