第157話 ロイド・ジューナス

 ロイドはファーラシア王家に連なるジューナス公爵家の次男として生を受けた。

 衣食住に苦労しない誰もが羨むような家に生まれた彼だが、それなりの悩みがなかったわけではない。

 根本的な悩みの原因は彼が優しく聡明であったことに由来する。

 彼の兄は病弱とまではいかないが身体が弱く、やや向上心に欠ける性格であった。

 数年歳上の兄だが、物覚えが悪い上に身体の弱さを盾にして叱責から逃げるせいで、ロイドが10歳を迎える頃には、同じ課題を隣でこなしていた。

 同時に関係性も変わり、優しい兄は意地悪なライバルになっていた。

 そこで兄への情を絶てる人間であれば、或いは兄の感情を思うことが出来ないほど愚鈍であれば拗れることもなかった。

 しかし、結局彼は兄を想い、放蕩息子を演じ始める。

 その方向性が小さい頃に兄に誉められた絵描きであったのは家族が仲良くして欲しいと言う願望からかもしれない。

 そんな彼にため息を付いて、それでも諌めないハロルドは初老に差し掛かる身でありながら、隠居もせずに国内外を走り回っている。

 そんな父や弟の気を知らない兄は、今日もその肥大した自尊心の赴くままに生きているが、それは別の話。


「父上、兄上、今戻ったっす!」

「やっとか…」

「…まあまあ。

 それでマウントホーク卿への挨拶は済んだんだろ?」


 ロイドの軽い帰宅の挨拶に、ため息を付く父親と穏やかにそれを取り成す兄。

 …わざわざ来る必要もない彼はロイドの軽い態度に自分の地位が脅かされていない安心感を得に来たのだ。

 その間に勉学に励めば良いのだが、そんな発想は逆さに振っても出てこない。


「無事に終わったっす!

 ドラグネア城下で絵画教室を開くように指示も貰ったんっすよ!」

「ふぅん?

 それは良かったじゃないか?」


 ロイドの軽口に笑顔から嘲笑う顔へ変貌させる兄だが、それが父や弟に筒抜けだとは気付いていない。


「うっす。

 それで父上、正式に公爵家から除籍して欲しいっす!

 辺境伯様の家臣兼絵画教室の講師で食っていくっす!」

「それは…」

「駄目に決まっているだろ!

 公爵家に連なる自覚がないのか!」


 口ごもる父に代わって諌める兄だが、それもポーズだけだ。

 自分は止めたと言う名分がほしいのだろう。


「いや、ロイドを除籍しよう。

 陛下にもご連絡する」

「父上!」


 白々しく思いながらも長男アゼルの反対を押しきる形でロイド除籍を認める。

 対して、口調は諌めようとしているが声に含まれる喜色が隠せていない兄。


「…ふうぅぅ」


 公爵のため息は兄弟のどちらに向けたものなのか?

 それは公爵自身も含め誰にも分からないだろう。


「…アゼル。

 お前にもそろそろ私の仕事を引き継いで貰う。

 いいな?」

「お任せください!

 我が家を大いに盛り立ててみせます!」


 自分がやっと認められたと喜ぶ兄にロイドは複雑な表情を見せられないと顔を伏せる。

 自分が公爵家から距離を置いてなお、これまで認められてこなかった兄。

 なのにこんな台詞が口を付くほどのプライドをみせる。

 それは認められるための努力が足りないのだと自覚がないことの証明でしかない。

 ジューナス公爵の指示もこれから最も力を持つマウントホーク辺境伯家と次男ロイドに縁が出来たから、多少の問題はどうにかなると言う思惑が透けて見えるのだが、それに気付いてもいない。


「兄貴!

 頑張ってくれっす!」


 当たり障りの無い激励の言葉を掛けるが、


「任せておけ!

 私がこのジューナス公爵家の中興の祖となるのだ!」

「……」


 兄の的はずれな言葉に沈黙する。


 兄貴…、ウチは復興しなくちゃならないほど落ちぶれていないっす…。


 ロイドにはその台詞を言う意欲も湧かなかった。

 彼からしたら父の仕事を当たり障りなくこなしてくれるだけで十分なのだが…。

 目の前の父親が眉を潜めているのにも気付かないアゼルには無理な話だったのだろう。


 ……親父もたまったもんじゃないっすね。


 兄貴のアレは、親父の遣り方に対するダメ出しに聞こえちゃうっすけど…。


 うん。

 関わらないようにしよ!


 ロイドは二度と実家に近寄らないと内心で誓うのだった。

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