第56話 俺の椿

一月初旬。正月気分がまだ華やかなコルヌイエホテルのメインバーは、客でまっている。

バーテンダーの飯塚慎二いいづかしんじが目指すテーブルには、タイトなワンピースで水気みずけたっぷりの身体を包んだ長身の女性と、そのかい側にちょんと座っているショートカットの女性がいる。


舘林たてばやしなつきと、椿つばきの姉妹だ。

飯塚はテーブルに着くとホテルマンらしい清潔な笑顔を作り、優雅に身体をかがめた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


と言って、とん、となつきの前に“パローマ”のグラスを置く。

なつきはにやりとして


「ふうん、ヅカくんって前からいい男だと思っていたけどさ、バーで見ると、一段といいわね」


飯塚はかすかに目を細めてなつきに笑い、それから向かいに座る椿を見た。

すこし緊張気味に両手を膝に置いた今夜の椿は、アイボリーのシルクに、黒いのチュールをかぶせたワンピースを着ている。

チュールには繊細な花の刺繍ししゅうがほどこしてあり、まるで椿つばき自身が可憐な花に包まれているようだ。


俺の椿。

飯塚はにこりと笑った。


「いらっしゃいませ。ドレスが、お似合いです」


椿はもじもじして


着慣きなれない感じ。恥ずかしくって。ワンピースが短い気がするし」

「ベストサイズですよ――って、このドレスを買う時に“ドリー・D”の店で、そう言われただろ?」

「あのお店の人みたいに、美人なら似合うんだろうけどな」


椿が少し横を向いてすねたように言うと、飯塚はちらりと周りをうかがって誰もこのテーブルの会話を気にしていないのを確かめた。

すっと百八十センチの身体を少しだけ椿に近づけ、低い声でいう。


「俺には、君が花以上にきれいに見える。このドレスをすすめるとは、井上いのうえさんの奥さんは本当にセンスがいいんだな」


飯塚の言葉で椿はようやく、にこっとした。


「あのひと、あたしを一目ひとめみて、すぐにこのワンピースを店の奥から出してくれたの。もっとおとなしいがらにしようと思ったら、絶対にダメって言われた。“これは、あなたのためのドレスよ”って」


わずかに顔を赤らめた椿を飯塚はとろけるような視線で見た。

その様子を見ていたなつきが、ガツンとテーブルの下で飯塚の足をとばす。


「そろそろ、そのカクテルを椿にちょうだいよ」

「失礼いたしました」


笑ってそう言った飯塚は、なつきがシルバー盆に手を伸ばしかけたのを見て、すっと身体を引いた。


「申しわけございません、お客さま。こちらのカクテルは、これから“仕上げ”がございます」

「仕上げ?」


なつきと椿は、声をそろえてそう言った。

飯塚はきれいな顔で軽く笑う。

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