第47話 俺の余白を。 あなたで埋めて。

おずおずと寝室のドアをあけた飯塚慎二いいづかしんじは、上半身の衣類はさきほど椿にはぎとられ、両手はベルトでいましめられている。

身体の前に不自由な両手をぶら下げ、かろうじてステープラーをもった飯塚は、百八十センチの長身から、うかがうように小さな椿を見た。


そんな飯塚を見返す椿からは、奴隷をさげすむ女王様のかがやきが解き放たれている。まぶしいような、神々しいような、恐れを知らない女王様のひかりだ。

飯塚のための、女王様。

ごくっ、と、飯塚がつばを飲み込む音が部屋に響いた。


「ステープラーだよ…あっ、ステープラー、“です”」


飯塚が言いなおすのを、椿はしつけのなっていない犬を見るような様子でつめたく見た。椿の丸っこい目が、信じられないほど残酷に細められた。

ゆっくりと、飯塚慎二の皮膚が泡立つ。

椿は冷静な表情を保ったまま、飯塚の皮膚を子細に観察する。


まだ、踏み込めるか?

もう一歩、飯塚をこの世界に引きずり込んでやれるか。

新米女王である舘林椿は、ひそかに背筋に冷や汗を流しながら、一層冷たく目を光らせる。

まるで今夜の”椿・救出チーム”にいた漆黒の男のように。

目の前の相手には、虫の触覚ほどの値打ちもないように、椿は目線の温度を下げた。


飯塚が、椿の敷いたレールの上を従順になぞって、おびえた表情をふかくした。

よし。

自分の視線が完全に飯塚をとらえきったのを知って、椿は一気にたたみかけた。

なめらかに磨き切った女王様の声で、飯塚に言う。


「そうね。じゃあ、それをちょうだい」


飯塚はおずおずと手でステープラーを差し出そうとする。それを椿の鋭い声がさえぎった。


「手で、渡すつもり?」

「え…あ、どうすれば」

「ひざまづいて。口でくわえなさい。犬でしょう」


椿がそう言うと、飯塚は目を閉じた。ごくり、と再び喉が鳴る。

やりすぎたかと椿がくやむ前に、飯塚慎二はそっと床に膝をついた。

ステープラーを持った両手が、だらりとさがる。そのまま静かにステープラーを床に置き、飯塚はつんいになった。


まるで従順な犬のように。

椿がSMバー“ダブルフェイス”で見慣れている客たちのように床に伏せ、飯塚はステープラーを口にくわえた。

そして四つん這いのまま、顔だけを椿のほうへあげた。

その目が、哀願している。


このまま、俺を君の世界へ連れて行ってくれ。

幼いころの傷が口を開けたきり、余白を作り続けている俺を、君で満たしてくれ。

俺の余白を。

あなたで埋めて。


椿は、その必死さに思わず目を閉じそうになりながら、冷たい女王様の表情のまま、とんと、四つん這いになっている飯塚の裸の肩に足を乗せた。

飯塚の身体が、椿の重さを受け止める。

そのまま、ぐっと椿の体重が飯塚の肩に乗った。

飯塚はステープラーを口でくわえたまま、椿の体重に耐えた。


椿の声も身体も、もうふるえていない。

冷たい女王様の声が、飯塚の皮膚をびしりと打った。


「あたしは、父親を刺した女王様よ。死にかけている父親の血をめたの。あんたのカラダくらい、どうにでもしてあげる」


その瞬間、飯塚の全身が激しくふるえた。

口が開き、ぽとりとステープラーがおち、四つん這いになっている飯塚の指先に当たった。

わずかな痛みで、飯塚の身体はびくりと跳ね上がった。


飯塚が生まれて初めて感じているだろう、完全な充足感を椿は感じ取った。

飯塚慎二は、震えている。

―――よろこびで。

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