第41話 「君を守るのは他の男じゃない。俺だ」

椿つばきはゆっくりと呼吸をした。そのあいだも、飯塚いいづかの手は一瞬も止まっていない。椿の頬にふれ、髪にふれ、目元や口元をそっとなぞっている。

温かい、と椿は思った。

人の手って、温かい。

そんなことを、館林椿たてばやしつばきは父親を包丁で刺して以来、十六年間も忘れていたのだ。


飯塚の体温が、椿を温めてゆく。

力をくれ、いやしてくれ、そして椿の身体から黒くて重い不安を、取り除いてゆく。

この人は、信じてもいい人だ。

ようやくそう思えて、椿は言葉をつづけた。

自分がわかる限りの説明をした。


「お姉ちゃんとふたりで新しいアパートに引っ越してからは、洋輔さんと”お父さん役”の男の人が時々たずねてきた。お父さん役の人は、不思議なくらいにお父さんとよく似た人だったな。

アパートの大家さんには、『親が仕事で不在がちですがよろしく』って挨拶をして、洋輔さんはあたしたちの従兄いとこで、ときどき様子を見に来るってことになってた。

そうやって、お姉ちゃんが高校を卒業して働き始めるまでの二年間、洋輔さんがあたしたちの面倒をみてくれたの。生活費をくれて学校のお金を払ってくれて。たぶん、アパートも洋輔さんが用意してくれたんだと思う」

「え…その時、ボスは何歳だよ」


飯塚が思わずつぶやくと、椿は


「洋輔さんだって、まだ高校生だったよ。あれ…そういえば、よく洋輔さんと一緒に来ていた人がいたな…洋輔さんとは別の制服を着ていたけども、たぶん高校生だった。あのひと、今夜の人だった気がする」

「今夜のひと?井上いのうえさんか」


椿は首を振り


「名前は知らない。洋輔さんと同じくらいに背が高くて、おなじくらいカッコよかった」

「井上さんだな…あのふたり子供のころからのつきあいなんだ。それにしても、何なんだよあのふたりは」

「でも。今日の飯塚さんも、かっこよかった」


えっと、飯塚が聞き返した。椿は困ったように笑い


「助けに来てくれて、ありがとう」


すると飯塚も急に恥ずかしくなったらしく


「俺は何もしていないよ。ボスと井上さんがやったんだ…ってか、普通じゃなかったよな、あのふたり」

「普通じゃなかった。飯塚さんも」

「俺はふつう。普通の男だから、ボスや井上さんみたいなことはできない。でも、君を守るのは他の男じゃない。俺だ」


つばき、と飯塚は静かに言い添えた。


「手に、キスしてもいい?」

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