第35話 悪鬼のような二人

井上清春いのうえきよはるは、軽自動車の中に転がり込んできた深沢ふかざわに向かって、役者のような切れ長の眼だけで笑って見せた。


「タイミングぴったりだろ、洋輔ようすけ

「タイミングじゃねえよ、アホキヨ!、いつもより量が多いじゃねえか。危うくこっちまで吹っ飛ぶとこだ」

「おまえさ、走るスピードが落ちたんだよ。二年前なら、あれでちょうどよかったはずだ」


井上はすずしい顔で車を走らせる。公道に出てからは、さすがに少し車のスピードを落とし、それからじろりと助手席の深沢を見た。


「ベルトしろ、洋輔。そんなことで捕まりたくない」


それから軽く端正な顔を傾け、バックシートに座る飯塚慎二いいづかしんじ椿つばきのふたりに向かって


「きみたちも、シートベルトをしなさい。警察に検挙されたくないからね」

「今あげられても、どうってこたねえよ」


深沢洋輔は黒いニット帽とネックウォーマーを顔からむしりとり、黒い手袋もはずしてニヤリとした。


「やべえものは、一つも残っちゃいねえ。今日は、”何”使ったんだ、キヨ?」


井上清春も運転しながらあっさりとニット帽を脱ぎ、深沢に向かって放り投げた。


「結束バンドとステープラー。布テープ」

「目玉クリップとコンパスまでは使わなかったのかよ」

らなかった。おまえがあいつらを念入りに叩きのめした後だったからな。そっちは、何を使ったんだ」


言われた深沢が、凶悪な表情のまま笑う。その邪悪さに、飯塚慎二は冷や汗が出た。

深沢は端的に答える。


「ピッキングピースだ」


はあ、と井上はため息をついた。


「あの悲鳴か」

「片方で終わりにしてやったよ。面倒めんどうになった。あと、あいつはもう二度と”ダブルフェイス”には来ねえから、安心しろ椿つばき

「…どうして?」


椿は、連中から救い出されてはじめて、声を出した。その声を聴いて飯塚は身体中の力がぬけそうなほどに安心した。

しかしすぐにまた、ぎくりとする。深沢洋輔が地獄の底のような声で笑い始めたからだ。


「どこへいっても、もうがねえからだ」


ぞくっと飯塚慎二の背筋に寒気が走った。運転する井上が、深沢の隣で舌打ちする。


「しょうがないな、おまえは…まあ、何とかなるか。さっきのプラスチック爆弾で、救急車とパトカーが来たからな。運が良ければ、助かるだろう」


くくくっと笑う深沢の横で、ひんやりした美貌の井上が可憐な赤い軽自動車を走らせて行く。

飯塚はこの悪鬼のような二人に連れられて、しなくてもいい地獄めぐりをしたようだ。

それでも、と飯塚は隣に座る椿の手をきつく握りしめながら思った。


椿は帰ってきた。

それだけで、いい。



★★★

三十分後、井上清春は小さな赤い軽自動車を飯塚慎二のアパートの前に止めた。深沢が助手席で座ったまま、飯塚に言う。


「今日は椿を泊めてやれ、シンジ。なつきの家は住所がワレてるかもしれねえ。万が一、あいつらが襲ってきたらまずい」

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