第30話 キヨの戦闘服

古ぼけたマンションに入り、四階のフロアに行くまでは深沢洋輔ふかざわようすけは井上と飯塚いいづかを連れて、まともなルートを取って歩いた。

エントランスから入り、廊下を歩いてエレベーターに乗る、というまともなルートだ。


しかしエレベーターを降りると、井上清春いのうえきよはるは無言で廊下の奥にある非常階段らしき場所にひとりで行き、たくみに防犯カメラに映らないポジションに立った。

有能なコルヌイエホテルのアシスタントマネージャーは、そういう卑俗ひぞくなテクニックも知り尽くしているらしい。


深沢はのんびり歩いて目当めあての部屋へ行き、ドアの前でスッとしゃがみこんだ。

小声で飯塚に指示を出す。


「シンジ、おれの右側に立て。カメラに映りたくねえ」


飯塚が言われたとおりに立ち位置を変えると、深沢はデニムのポケットから小さな金属片を取り出した。


「それ、なんですかボス?」


飯塚が尋ねる。深沢は部下には目もくれずに


「ドアは開けなきゃ入れねえだろ」


と答えた。そのあいだも、真っ黒な手袋をした深沢の大きな手が、すばやく動いている。

一瞬の、ためらいもない。ひどく慣れた手つきだ。

飯塚は小声で言った。


「ボス…ピッキングですか」

「ピッキングっつうほどの鍵じゃねえな。こいつら、デフォルトの鍵そのまんま使っていやがる」


深沢洋輔はたちまち金属片をデニムポケットにしまい込み、そっとマンションのスチールドアに手をかけた。

ぐっと、手元に力をめる。それからすぐにニヤリとして、


「なんだよ、ド素人だ。チェーンロックもガードロックもしてねえ」


くくくっと低い笑い声が、飯塚の耳に届いた。深沢はマンション廊下の奥にいる井上に視線を投げ、軽くうなずいた。

真っ黒なカシミアのロングコートをまとい、黒いニット帽とネックウォーマーで役者のような切れ長の目だけを出した井上もうなずく。

その様子を見ていた飯塚は、思わずつぶやいた。


「あのロングコート、邪魔じゃないのかな」


すると、深沢は低い笑い声のあいまに答えた。


「邪魔?ありゃ、キヨのだ。あん中に、なな道具どうぐを仕込んでいやがるのさ」


七つ道具?と飯塚慎二がたずねなおす時間はなかった。

深沢洋輔のバカに大きな手がピッキング済みのドアを一気に引き開けたからだ。

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