第29話 騎士ども

深沢洋輔ふかざわようすけが派手な赤の軽自動車を止めたのは、ふるぼけたマンション横の脇道だった。

車のライトが消えると、深沢が吸っている煙草の火だけが、ぽわっとともった。

深沢は煙草をくわえたままレザージャケットのポケットからスマホを出し、スクロールしたかと思うと、スマホごとポンとバックシートに座る井上清春いのうえきよはるに投げた。


「ここの、四階だ」

「まともなマンションか?」


井上はスマホ画面を拡大しながらたずねた。飯塚いいづかは助手席から首を伸ばして井上の手もとをのぞき込む。

マンションの部屋の間取まどらしきものが、飯塚からは見えた。

深沢洋輔は井上の”まともなマンション”と言う言葉を鼻でせせら笑うように


「どチンピラが事務所にしてんだ。まともなマンションなわけがねえだろ」

「カメラの場所はわかるか」


飯塚の見るところ、井上は、まるで職場のコルヌイエホテルでゲストリレーションについて尋ねるように冷静にしゃべっている。

飯塚から見れば、深沢も井上もいたって普通で、これから大きなケンカに行く男の気負きおいなど、どこからも感じられなかった。


ほんとうに、ケンカに行くのか?

ひょっとして、話し合うだけで椿が取り戻せるかも。あるいは金で解決が付くか…そんなことを飯塚が考えていると、深沢はあっさりと言った。


「カメラの数が多すぎる。いちいちつぶしていられねえ。そら、これを使え」


深沢が車のサイドポケットから黒いニット帽をみっつ取り出し、ぽいと飯塚と井上に放り投げた。

飯塚が受け取ってみると、ただのニット帽でなく、帽子部分の下に輪になったネックウォーマーがついている。帽子を深くかぶってウォーマーを引き上げれば、目元しか露出しない形だ。


「…みっともない帽子だな」


黒いカシミアらしきロングコートに身を包んだ井上は、深沢の渡したニット帽をいやそうにつまみ上げていたが、やがて不承不承ふしょうぶしょうという様子で、すっぽりと頭からかぶった。

とりあえずウォーマーを下げているので、今はまだ端正な顔が見えている。

井上は、自分と同じようにニット帽をひっかけるようにかぶっている深沢に向かって


「どうやる?」


と尋ねた。深沢は一瞬考えたようだが、すぐに


「俺が突っ込む。てめえはシンガリ。非常階段にいろ」


ん、と井上は短く答え、それからちらりと助手席の飯塚を見た。


「飯塚は?」

「シンジは俺についてくりゃいい」


はい、と飯塚慎二はおとなしく答えた。井上と深沢が言っていることがさっぱりわからず、ただもう、うなずくしかない。どうせ飯塚は、深沢に言わせれば最初から”数に入っていない”のだから。

深沢は煙草を吸い終えると、にやりと笑って狭い軽自動車の中で、伸びをした。


「さて。お姫様を救いに行くかよ、え、騎士ども」

「おまえに言われたくない」


井上清春はぶつっとそう言って、仏頂面ぶっちょうづらのままネックウォーマーで端麗な顔をかくした。

あとには、こおりつきそうに美しい切れ長の目だけが光っていた。

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