第28話 この人ら、まともじゃない
「いやだ」
井上清春は、乱暴な運転の軽自動車の中で、優雅な美貌から想像もできないほど冷たい口調で言った。
しかし深沢洋輔は親友の不機嫌も、
「どうも、あっちにゃ7・8人いるみてえなんだ。ちっとは
「何人いるのか知らないが、殺すなよ」
井上がおだやかでないことを言うと、深沢洋輔は車のハンドルに手を置いたまま、大きな肩をひょいとすくめた。
「どうせ‟ジュク”のチンピラだ。くたばりかけても、クラさんが何とかするだろうぜ」
「……クラさんに、話を通したのか? そんな相手か」
「相手はたいしたこたぁねえ。だがな、場所が場所だろ。黙ってやると、後からうるせえ」
はあ、と井上清春がため息をついた。かすかに目を伏せた井上の様子は、同性の飯塚が見ても、ぞくっとするほどに美しかった。
世の中に、これほどきれいな男がいてもいいものだろうか。
井上の薄い唇が不満そうにとがるのを見つつ、飯塚慎二は思わず見とれていた。
しかし井上は、信じられないほど凶悪な視線を今度は飯塚にあてた。
「飯塚。きみも仕事以外でこんな男と付き合うとは、見下げ果てましたね」
「そいつらが椿を拉致ったんです。取り戻すためには、地獄にだって行きますよ」
「でけえこと言う前に、椿をかっさらわれたマヌケぶりを反省しろや」
深沢洋輔はあいかわらず不機嫌そうな顔つきをしているが、飯塚は深沢の表情、声の後ろに、獰猛なケダモノの興奮を探りあてた。
巨大な獣が、抑制をかなぐり捨てて咆哮する予兆。
ボスが、やる気になっている。そう思うと、飯塚慎二の全身に鳥肌が立った。
普段でも乱暴な深沢洋輔が、リミットをはずしてしまったらいったいどうなるのか。飯塚は背筋を走る寒気に耐えながら、ぐっと両手を膝の上で握りしめた
どうなってもいい。
今はただ、椿さえ取り戻せればそれでいい。
ボンバージャケットの中で、ぎわっと、飯塚慎二の背筋が盛り上がった。
そんな思いつめた飯塚の目線を、井上清春はミラー越しに見て取ったようだ。
井上の、おだやかなテノールが静かに言う。
「飯塚。おまえの女は絶対に取り返してやる。だから、もう二度とこんなろくでなしとは、つるむな」
「椿が無事にもどってくるなら、この先はどうなってもかまいません」
ふうん、と相変わらず信号をほとんど無視して吹っ飛ばしながら、深沢洋輔はつぶやいた。
「コイツ、本気じゃねえか――やるか、キヨ」
ああ、と井上清春のテノールは、きわめておだやかなまま答えた。
「コルヌイエホテルのスタッフに手を出す奴は、関節と言う関節を、こなごなにしても足りない」
井上清春の端麗な美貌が、世にも邪悪な顔つきで笑った。
それをみて、飯塚慎二は思った。
この人ら、まともじゃない。
でも、まともじゃないからこそ、きっと椿を助けられる。
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