第27話 「付き合いたくもない男と、行きたくもないところへ行っている」

 長身を黒づくめの品の良いロングコートで包んだ美貌の男は、深夜二時にやってきたに、何も言わずに乗り込んだ。

 そして赤い軽自動車のバックシートに身軽に座ると、炎さえ凍りつかせそうな冷たい視線で、助手席から振り返って唖然としている飯塚慎二を、さげすむように見た。


「いったい、こんなろくでなしといっしょに、何をしているんです飯塚?」

「いのうえ、さん」


 ひそ、と何の物音さえもたてずにバックシートに座った男は、‟コルヌイエホテルのプリンス”と呼ばれる男、井上清春だった。

 井上がバックシートのドアを閉めたか閉めないかのうちに、深沢洋輔は、乱暴に車を出した。小さな赤い軽は猛スピードで、鳥居坂下とりいざかしたの信号を突っ走り、六本木ヒルズゲートタワーの横をかすめてかっ飛ばしていく。

 すさまじいスピードで赤い軽自動車を走らせている深沢は何も言わない。

 井上も何も尋ねないので、仕方なく、飯塚が口をひらいた。


「ええと。井上さんはいったい、何をしているんですか」

「付き合いたくもない男と、行きたくもないところへ行っている途中だ」

「うるせえ、ごちゃごちゃ言うなキヨ」


 ぎゅいっと深沢は車を急カーブさせた。

 助手席の飯塚はシートベルトをしていても身体がかしぐほどの衝撃なのに、運転席の深沢もバックシートの井上も微動もしない。

 いったい、このふたりの機能はどうなっているのか。

 飯塚は首をひねりながら、ふたたびバックシートの井上に向かって尋ねた。


「あの、井上さんは椿とどういう関係が?」


 つばき? と、井上は初めて不思議そうな声で言った。飯塚は重ねて、


「ええ。舘林椿たてばやしつばきです。あ、俺のカノジョですけど」

「まだカノジョじゃねえだろ、寝てもいねえ女を、カノジョ呼ばわりすんな。くそシンジ」

「する・しないは関係ありません。俺にとっては、椿は‟恋人”です」


 飯塚が憤然として隣の運転席に座る深沢に言いかえすと、井上清春は初めて得心がいったように、うなずいた。


「ああ。例の、きみの恋人ですね」

「まだよ。コイツは手も出せねえんだ」


 井上清春は悪魔も、たじろぎそうなほど冷たい目つきで運転席の親友を眺め、


「世の中の男が、全員おまえみたいなクズだと思うな、洋輔。

 ところで飯塚、きみの恋人は良いとして、いったいなぜおれが深夜にたたき起こされて、惚れた女のいるベッドから引きずり出されたあげく、どこかわからない場所へ連れていかれているんです?」

「え、あの、井上さん、理由も知らずに出てきたんですか」


 飯塚は、ぼうぜんとそう言った。

 井上清春はきれいな形の鼻を鳴らして、じろりと運転席の長身の男をにらみつけた。そして心底いまいましいという声で


「こいつが、飛び出す前に理由を考える男かよ。いつだって、おれをろくでもない場所へ引きずっていくだけだ」


 と乱暴に言い放った。飯塚は、ふだんの紳士的な井上清春を知っているだけに、今の豹変ぶりについてゆけない。

 しかし深沢洋輔は平気な顔つきで井上に言った。


「今日はちっとばかり派手にやりてえんだ。ケツモチしろ、キヨ」

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