第五章「十二月十一日 水曜日」

第26話 ケツモチ

 時間はとっくに、深夜二時に近い。

 そんな時間に、深沢洋輔がどこからか持ってきた車は、小さい赤い軽自動車だった。

 身長が188センチという大柄で危険すぎる深沢が乗り回すには不適切な車だったが、本人は平気なようだ。飯塚はだまって助手席に乗りながら、首をかしげた。


 どこへ行くんだ?


 深沢のほうは、SMバー‟ダブルフェイス”を出てから一言も口をきかない。ただ、やたらと煙草を吸っていた。


「ボス、どこへ行くんです?着いたら俺は、何をすればいいんですか」


 飯塚が尋ねると、深沢洋輔はバカにしたように薄く笑った。

 その表情はあまりにも乱暴で下劣で強烈すぎ、とても老舗ホテルのメインバーを預かるチーフバーテンダーとは思えなかった。

 もっとわかりやすく、路上で生きている野良犬の王のような男。


「考えんな、シンジ。てめえはハナっから、数に入っちゃいねえよ」

「じゃあ、ボスがひとりで行くんですか、危ないですよ」


 SMバー‟ダブルフェイス”の裏口で椿を奪い取り、飯塚の背中に最後のキドニーパンチを放った相手は、ケンカ慣れしていた。

 人体の急所を知り尽くし、必要な場所に確実なパンチを打ち込める男だった。しかもあの男には仲間がいる。


 今もおそらく、椿を拉致した時の仲間と一緒にいるだろう。

 たとえ深沢であっても、そんな連中のたまり場に、一人で行くのはリスクが高すぎる、と飯塚は思った。

 しかし軽自動車の小さな運転席に肉厚・長身の身体を押し込んだ深沢は、飯塚を見もしないで言い捨てた。


「バーカ。夜のケンカに一人で行くかよ。を連れていくに決まってんだろ」

「シンガリ?」


 飯塚が思わず運転席の深沢を見上げると、深沢洋輔は色気たっぷりの口元を邪悪にゆがめた。

 おもわず飯塚が首を引っ込めるほどに、酷薄な顔つきだ。


「ケツモチがいりゃ、俺も好きなようにやれる」


 そういうと、深沢洋輔は品の良い住宅地のど真ん中に車をとめた。近くに小さいながらも児童公園があり、堅実なマンションが並ぶようなエリアだ。


「ボス……ここは?」


 飯塚が車のバックシートから外を見わたして尋ねたとき、細い長身の影がマンションエントランスから出てきた。

 影は、着ているものをそっくり黒でまとめているらしく、全身が夜に溶け込み、シャープな顔の骨格と天使さえもあざむくような美貌だけが夜風に浮いていた。


「……え?」


 飯塚は思わず目をむいた。

 まさか。この男が?

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