第19話 ヴァージンの手つき

「――なつきさん」


飯塚慎二いいづかしんじが思わず身体を引くと、鼻先に甘くて濃厚な香り「オピウム」がおそいかかった。

飯塚の隣のバースツールには、長身でたぐいまれなボディラインの女性が座っている。


なつき。

館林椿たてばやしつばきの姉であり、このSMバー“ダブルフェイス”の実質的な責任者でナンバーワンのだ。

今日のなつきは、きれいなボブカットの黒髪のウィッグをつけてくっきりしたアイメイク。ちょっとヨーロッパ人じみた雰囲気がある。


「椿は今、最後のゴミ出しに言っているからね。あれが終わったら」


といってから、なつきはすうぅと身体を飯塚に近寄ちかよせた。


「あの子、ちゃんと家に連れて帰ってね、ヅカくん」


かすかになつきの息が耳にかかったのを感じて、飯塚はぞくっとした。

濃厚すぎる色気が、なつきの肩先からあふれかえっている。なつき自身でもコントロールできないほどの大量の色気だ。

俺に知る限り、と飯塚慎二は思った。


男のなかで、周囲を色気で溺れさせるのがコルヌイエホテルのボス・深沢洋輔ふかざわようすけだとしたら、女性ではまちがいなく、なつきがトップだ。

ボスの妻である渡部真乃わたべまのも愛らしく美しい女性だし、渡部真乃の異母兄でもある井上清春いのうえきよはるの恋人も、目を見張るような美貌だ。


とはいえ、なつきの色気はケタが違った。

美しいというのではない。

もちろん愛らしいわけでもなく、この世にはびこる“カワイイ”を親指の先で蹴散けちらすほどの過剰な色気が、なつきの全身に満ち満ちていた。


いったい、どうやったらこんな女性になるのかな。

ちらりと隣のなつきの指先を見て、飯塚は思った。

なつきの指先はいつも爪が短く切りそろえられていて――爪が長いと、汚物おぶつを扱う時に隙間すきまに入り込んでいやなのよね、とかつてなつきは言ったことがあった――爪の先まで真っ赤に染められている。


飯塚がぼんやりと爪を眺めているのに気付いたなつきは、ニヤリと笑い


「ねえ、どうしても椿がやってくれないで困るんなら、あたしが手であげてもいいわよ」

「え、は? 手?」


くくっと、なつきは目元にしわが寄らないように無意識のうちに注意をして、笑顔を向けてきた。


「椿みたいにさ、ピンク色のマニキュアを塗ってあげるから。それをヅカくんが薄眼うすめで見れば、椿にさわってもらっているみたいでしょ。

さすがにフェラまでやると違いがわかっちゃうけど、手ぐらいならね。ヴァージンの手つきで、わよ」

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