第9話 あたしのせいじゃないのに

男は椿つばきに向かって、平坦な声で淡々と言った。


「俺、たないんだ。この数年はとくにもう全然ダメ。なのにおととい突然、勃ったんだよ」

「“ダブルフェイス”で?」


椿がおそるおそる尋ねると、きれいな男は短い髪を撫でつけて、笑った。


「いや。君に」

「は?」


だから、と男はコーヒーを飲み干して、かたんと皿に置いた。静かに皿ごとコーヒーカップをどけて椿を見た。


「君には、勃ったんだ。だから試してみたいんだよ」

「何を、ですか?」

「俺が反応したのが、女王様か、君なのか。どっちか、確かめたい」

「ちょっとよく、話が、分かりませんが」


椿が茫然ぼうぜんとつぶやくと、男は顔をかしげて


「俺の話、わかりにくいかな?つまり俺は“女王様”と、“君自身”と、どっちに勃ったのか、確認してみたいと思っているんだけど―――」


ばんっ!と椿はテーブルに手を叩きつけ、勢いよく席を立った。そのまま足早にファミレスを出ていく。

もう嫌だ。

椿は半分泣きながら、夜の街を歩き始めた。


もう嫌だ。男性恐怖症だからというだけでまともな職にけず、そのせいで、ろくに知らない男から女王様になれ、なんて言われる。

あたしのせいじゃないのに。

椿はボロボロと涙をこぼしながら立ち止まり、バッグの中をあさった。たしか今朝、大きめのタオルハンカチを入れておいたはずだが。


ガサガサと深夜の路上でバッグに手を突っ込んでいる椿の前に、きれいにプレスされたハンカチが現れた。

顔を上げる。

そこには、さっきの男がかすかに笑いながら、すんなりと立っていた。


「使って。俺が泣かしたみたいだから」

「関係、ないです。あなたの、せい、じゃない」

「あの店のスタッフは、そう思っていなかったみたいだな。きみが店を出てからすぐに、皿を下げにきて、俺が一人でいるのを気の毒そうに見ていたよ。カノジョに、ふられたと思っていたらしい。まあ、あながち間違いでもないけど」

「まちがいでしょ!」


椿は思わず大きな声を出した。それを聞いて、相手の男は長身から明るい笑い声を立てた。

身長は、百八十センチに近いかもしれない。百六十センチの椿からしてみたら、頭上から笑い声が降ってきたようなものだ。

それも品のいい、ハンサムな男の笑い声。


腹が立つ。

腹が立つついでに、館林椿たてばやしつばきは、自分を取り巻くすべてのものに、猛烈に腹が立ってきた。


仕事がないことも。

お金がないことも。

仕事がなく、お金がない理由が、男性恐怖症にあることも。

なにもかもが、無性に腹立たしい。

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