第4話 椿ちゃん

 深紅のカーペットに彩られた小さなバーの中に、かん高く鋭い女性の声が響きわたった。

 ちなみにこのバーの中はバカみたいに温かく、11月も終わりだというのに飯塚慎二はコートの下に汗をひっきりなしにかいている。


 女性の声が聞こえた瞬間、飯塚の足元にうずくまっていた年配の男の背中がびくりとふるえてこわばった。

 やがて声の主があらわれる。

 その姿を見て、飯塚は気が遠くなりそうだった。


 女性は、一見するとちょっぴりタイトなワンピースをまとったごく普通の姿に見える。

 普通でないのは、かかとの高さが10センチ近くもありそうな鋭いエナメルのピンヒールをはいていることと、手にムチを持っている点だ。


 ムチ。


 女性の手の中のムチがひゅんっとしなやかな音をたてて空中を走り、すばやくまた、手の中におさまった。

 空気を切るような音に、半裸で首にひもを付けた年配の男はますます身体を小さく縮めた。

 そしてぼそぼそとしゃべり始める。


「もうしわけ、ございません、女王様」

「なにが、申しわけない、なの」

「あ……すみません、その、女王様に、おわびを」

「なぜ、わびがいるの」

「は……いえ、その、私が謝りたくて…」

「謝りたい?」


 ムチを手にした女性は薄暗いバーの中ですっくと立ち、年配の男を見おろした。

 彼女の言葉数は少ない。

 しかし小刻みに言葉をかさねることによって、十分に男にをおよぼしているようだった。


 男は身もだえて、多すぎる言葉を費やす。しかしろくにしゃべらない女性の方が圧倒的に有利な立場にいた。


「すみません、すみません女王様。すみません」


 男はもう、身体を揉みしぼるようにうめいている。

“女王様”と呼ばれた女性は、1ミリも動かず、ただ男を見おろしている。

 その、圧倒的な存在感。

 エロティックな空気感。

 飯塚は、自分が失神するのではないかと思った。


 そのとき、カウンターの奥からショートカットの若い女性がもう一人でてきた。

 ややうつむきがちで手にはシルバー盆を持ち、小さな声で誰に向かって話しているのかすら、よくわからないような曖昧な声でつぶやいた。


「あの、ジンライムのお客さま」


 口から出た瞬間、たちまち消えていきそうな頼りない声に、バーのスツールに座っている深沢洋輔の深いバリトンが面白がっているように答えた。


「おう、その酒はこっちにくれや、椿つばきちゃん」

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