No death, No future.

長月瓦礫

No death, No future.


「No death, No future.

それすなわち、死なきものに未来はないということである」


師匠は小説を片手に、歌うように読み上げた。

彼の綺麗な声を聴けるのも、今日で最後だ。


彼の授業を受けている者は私以外、誰もいなかった。

空席が私を取り囲む。


最初は不気味に思ったし、何かのまちがいじゃないかと心配していた。

しかし、時間になれば師匠は現れ、授業はちゃんと始まる。


その安心感も今日で最後だ。

今日も時間通りに現れ、授業が始まった。

たった一人のための、授業である。


「死があるからこそ、未来がある。

まあ、限りある人生を有意義に生きろということだ」


いまいち理解できていないとみたらしい。

猫のように笑って、解説を加えた。


人を小ばかにした態度が何となく気に入らなかった。


「死なない師匠に未来はないのですか?」


「誰から聞いたんだ、そんなこと」


「町の皆さんは、師匠のことを『悪魔』だと言っていたので。

彼らは永遠の魂を持つらしいじゃないですか。

その小説の話だと、彼らに未来はないことになりますよね?」


徐々に表情が険しくなってきたので、自然と言葉遣いも丁寧になる。


「まーたその話か……気にすることないよ。

本を勝手に持ち出してる俺が悪いんだから」


現在のこの世界には、『魔界』という新しい別世界が存在していた。

『悪魔』と呼ばれる存在によって、支配されている世界らしい。

その世界に関する情報は検閲され、私たちに知らされないようになっている。


その中でも、本は特に危険物として扱われていた。

『悪魔』の持つ思想や手段から、私たちを守るために行っているらしい。


『魔界』にある書物を人間界に運び込まれないよう、政府は常に監視していた。

それらに関する言葉も、徐々に規制され始めている。


しかし、目の前にいる彼は違っていた。


彼は世界の全てがフラットに見えるらしい。

ゆるみきった笑顔を見せ、のんびりとした態度でもって、誰とでも接していた。

それは『魔界』に住む人間でも、『悪魔』でも変わらないらしい。


「俺は人間だよ。ナイフで刺したら血が出るし、銃で撃たれたら死ぬ。

他の奴と趣味嗜好が少し違うだけの、ただの人間だよ。

だから、訪れるべき未来もちゃんとある」


「そんなことは分かってます。けど」


「けど?」


「……何でもありません。

ただ、この本を『悪魔』の方々が読んだら、どう思うんでしょうね」


「作者の知らないところで勝手に暴走し始めるのが読者ってもんだしなあ。

これを書いた当時なんて、連中のことは想像もつかなかっただろうし」


いつの時代の書物なのだろうか。

表紙はよれよれだし、ページもシミだらけだ。

相当、この本を読み込んでいることは確かだ。


「けど、大して気にしないんじゃないかな。

永遠の魂と言っても、肉体は老いて枯れ果て、やがて朽ちるわけなんだから」


「それも、『悪魔』の皆さんから聞いたんですか?」


『悪魔』たちにも謎は多いが、師匠は彼らと接することのできた数少ない人物だ。

基本的に、彼の言うことにまちがいはない。


亡国の生物兵器だとか、宇宙からの来訪者だとか、様々な噂が飛び交っている。

彼らの正体は師匠にも教えてくれないらしく、未だに不明だ。


「本人がそう言ってたんだから、まちがいない」


彼は柔和な笑みを壁、片目を閉じる。

師匠より『魔界』について、知る人物は今のところいない。

彼のような人物こそ、これからの時代に必要なはずなのに。


「どうして、危険を冒してまでこの講義を続けたのです?」


本来であれば、とっくに検閲官に捕縛されていてもおかしくはない。

この講義だって、中止になっているはずだった。

それでも、彼は書物を片手に私に語り続けた。


学校側が守ってくれると言っても、その行動を自重する気配は見られない。

彼は何がしたいのだろう。


「真理を追究したいから。君という生徒がいるから。

あの世界が好きだから。生きるためにお金を得なければならないから。

いろいろあるけど、どの理由がいいかな?」


指折り数えながら、彼は理由を挙げていく。

単純な理由で続けているわけではないらしい。


「いずれにせよ、連中と向き合わなくちゃいけない時が来ると思う。

その時に、理解者がいないと対話はできないだろ?」


「二つの世界の懸け橋になりたいってことですか」


「そこまでいかないけどね。

でも、このまま平行線をたどったら、戦争が始まると思うんだよね」


「戦争ですか……」


何だか壮大な話だ。

しかし、絶妙なバランスで彼らと関係を保っているのも事実だ。

その均衡はいつ崩れても、おかしくはない。


「俺の友人……と言えるかどうかは、分からない。

けど、そいつが『魔界』で古書店を開いてるんだ。

扱っているのは、こちらで使われなくなった古本ばかりだけどね」


「じゃあ、師匠が今持っているのも、元々は人間界で書かれた本なんですか?」


そう言われてみれば、タイトルの文字が読めるではないか。

それは確かに、人間が生み出した文字だ。


「どうだろうね……何とも言えないけど」


彼は小説を眺める。カバーが外され、茶色の表紙が露になっている。

本当はどんなカバーだったのだろうか。


「ただ、『魔界』にいる人々が持ち込んだものであることは確かだな。

念のために言っておくけど、あの人たちは悪者じゃないよ」


師匠によれば、『魔界』にいる人々のほとんどは何らかの迫害を受けていた人たちらしい。難民となった人々が溜まりこんでいる場所となっているようだ。

その人たちのために、支援しているのが『悪魔』と呼ばれる存在だ。


どちらが正義なのか、本当に分からなくなってくる。


「なあ、ライラ」


「嫌です」


「違う、そうじゃない。

先週、言葉狩りについて聞いただろ?」


授業が始まって最初に口にした言葉を思い出す。

あの時も、空っぽの席が私を囲んでいた。


『言葉狩り……政府が行っている検閲のことですか?』


『そうでなくても、民間団体も勝手に言葉を規制し始めている。

人種差別なんかを盾にして、自分たちの気に入らない物を排除しようとしている』


『ああ。そういえば、なんか騒いでましたね。

ああいうのは苦手なんで、無視してました』


『これは純粋な疑問なんだけどさ、何でんだろうな? 

言葉ってただの道具でしかないと思うんだけど……』


『時代と共に意味が変化しているからじゃないですか?』


『言葉が成長しているから、狩られるってか?』


彼はシニカルに笑った。

検閲官は『魔界』の書物を勝手に持ち出し、情報を提供している彼を敵視している。

その講義を受けている私も、危険であることには変わりはない。


「アレって、実は人間を狩っているんじゃないかと思ってさ」


「言葉を使用している人間、ということですか?」


「そう。言葉という道具を使っている人間」


都合の悪いものを取り締まるべく、言葉を狩る。

しかし、本質的には言葉を使っているある人間を狩っている。

自分で自分の首を絞めている様なものだろうか。


「だとしたら、私たちも捕まっちゃうかもしれませんね」


「君も俺も、公開処刑されるかもね」


静かに二人で笑いあう。


「この授業、どうだった?

俺が借りパクした本を片手に喋っていただけで、授業らしいことは特に何もしていなかったと思うんだけど」


「最初は私以外、誰もいなくてびっくりしましたけどね。

でも、『魔界』という世界が怖いものではなくなりました」


延長線上にある世界で、その気になればいつでも行ける世界。

雲の上にあった物が少しだけ、近づいた気がした。


「何だってそうなんだよ。

知識という盾と言葉という剣は、新しい世界を切り開いてくれる」


興味本位で受けた授業だが、非常に楽しい時間であったのも確かだ。

彼の話をずっと、聞いていたかった。


「今までありがとうございました。

師匠もどうか、お元気で」


「次はいつになるか分からないけど、またね」


授業終了の鐘が鳴り響いた。

彼は柔らかい笑み浮かべながら、教室から出る私を見送った。


彼の意志を無駄にしないためにも、私は『魔界』とこの世界を繋げる方法を探さなければならない。

言葉は誰でも使うし、意志を繋げられるはずだ。


これが私、ライラック・フローレンスが郵便屋になる、最初のきっかけだった。


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No death, No future. 長月瓦礫 @debrisbottle00

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