第27話

 レオルスから言われたとおり、道なりを進んでいくと見慣れた街の景色が見えてきた。リアナは安堵したように息をついた。魔法騎士の追っ手もレオルスが渡してくれた道具が功を奏して、なんとか距離を稼ぐことができた。ここまでくれば錬金工房まではもう少しだ。

 彼の話では街のみんなが錬金工房を守っていてくれているという。そうであるなら、店主である自分が一秒でも早く戻らねばならない。

 月下の薄暗がりが広がる見慣れた通りを走っていく。そうしてついに錬金工房の明かりが見えてきた。

「皆さん!」

 近づくにつれて明かりに照らし出された顔が輪郭を帯びてくる。シェリルにシーラやその他にも知っている街の人の顔は、リアナの心に安心感をもたらす。

「リアナ!」

 真っ先にシェリルが血相を変えてリアナのもとに駆け寄ってくる。

「無事だったか!」

「レオルスさんが助けに来てくれたから大丈夫だよ。シェリルこそ、身体のほうは大丈夫なの?」

「全くあんたは……。こんなときぐらいはもっと自分の身を心配しろよな」

 シェリルは軽くリアナも頭を小突く。口ではそう言いながらも、心底安心したような顔はどれだけ心配していたかがよく伝わってくる。

「レオルスはどうしたんだ? 一緒じゃなかったのか?」

 シェリルは辺りを見回しても救出作戦の功労者の姿が見えないことを疑問に思って、リアナに尋ねる。

「それが……途中で気づかれてしまって、私だけ先に逃げろって言われて、きっと今も……」

 レオルスがそうしろと言ったこととはいえ、自分だけが逃げ延びたことに申し訳なさを感じているのか、リアナの口調は弱々しい。

「だったら、今すぐにもでも助けにいかないと」

「その必要はない」

 静寂の街にカツカツと甲高い音が響く。薄暗がりの中から姿を現したのは、今もっとも会いたくなかった人物。レクツェイア魔法騎士団の頂点に立つ男――グラエムだ。

「どういうことだ?」

 怯えるリアナを庇うように背中に隠して、シェリルは突然現れた魔法騎士と対峙する。

「彼なら一足先に捕らえた。私に相手によく立ち回ったほうだがな」

「そんな……」

 シェリルの背後でリアナの悲痛が口から漏れた。

「逃避行もこれで終わりだ。リアナ・フレイゼルを捕らえろ」

 グラエムは後ろに仕える魔法騎士に指示を出す。言われるがまま、魔法騎士たちは再びリアナを連行するために動き出す。

「そうはさせねぇ!」

 リアナを守る盾のように錬金工房の守備を固めていた街の屈強な男たちが立ち塞がる。レオルスが身を挺してまで逃がしてくれたのだ。こんなところで易々と渡すわけにはいかない。

「邪魔する者も共謀者として捕らえろ。魔法騎士団に刃向かう者はみな咎人だ!」

 グラエムの喋る様はまるで神にでもなったかのように饒舌だ。己が企てた計画があと少しで成就しようとしている。高らかに笑う様子はその全能感に酔いしれているようである。

「――そこまでです。グラエム・リヴァーモア」

 突如として夜の街に響き渡ったのは、凜として清流のように清い声。誰もが争う手を止めて、その声の主を振り向いた。

「聖王騎士団長……? どうしてここに……」

 唖然としてグラエムは問う。その視線の先には月下に輝く純白の軍服を身にまとった女性がいた。放つオーラは威厳に満ち溢れており、その後ろにいる騎士たちの身なりも女性と同じだ。グラエムと同じ魔法騎士でありながら、一線を画する優美さがあった。

「魔法騎士団を統括する長として、これ以上の悪行を見逃すわけにはいきません」

 有無を言わさない鋭さを宿す視線は、初めて恐れるものなどないように振る舞っていたグラエムの相好を歪ませた。

「い、いったいなんのことを言っているのですか? 悪行というのなら、そこにいる娘が未知の病原を……」

「黙りなさい! あなたはいったいどれだけ魔法騎士団の信用に泥を塗れば気が済むというのです!? 話は全て彼から聞きました」

 女性がそう言って、その背後から姿を現したのはリアナがもっとも会いたい人物だった。

「レオルスさんっ!」

 身体中ぼろぼろではあるものの見間違えるわけがない。リアナは目頭が熱くなるのを感じながら、一目散に彼に駆け寄った。

「悪いな、少し遅くなった」

 頭を掻きながらレオルスが言う。

「遅いですよ、もうぉ……」

 目尻に涙を湛えながらリアナはレオルスの胸に顔をうずめた。彼女の嬉しさと安堵が混じった泣き声にレオルスは顔を綻ばせる。

「どうして奴がここにいる……?」

「それは私が彼を助けたからです」

 信じられないというような目でグラエムはレオルスを見遣る。彼にしてみれば、あのとき確実に決着をつけたつもりでいた。捕らえるために魔法騎士を呼んでいたことも踏まえれば、むしろこの場にいることのほうが不自然なのだ。なにより、助けたという言葉が気にかかって仕方なかった。

「だいたい、なぜ聖王騎士団長であるあなたがこの街にいるんです? レクツェイアを訪れるなんていう話は聞いていないですよ」

「実妹から、危ないところをここに赴任したばかりの魔法騎士に助けていただいた、という話を聞いて、遠方より王都へ戻るついでにそのお礼を言うために急遽来たのですが……まさかこんなことになっていようとは露程も思っていませんでした」

 憤りが見え隠れする語調だ。怜悧さを帯びる切れ長の目がグラエムを睨む。一瞬気後れしたような顔をするグラエムだが、すぐに平生を装って受け答えする。

「仰るとおりで、今この街はそこにいる娘のせいで大変なことに……」

「それはグラエム、あなたが仕組んだことなのでしょう! いい加減、白を切るのはやめなさい」

 女性の周りで少しずつ増え始める白い燐光にグラエムは露骨に狼狽える。

「な、なにを言うんですか! どうして私が市民を傷つける必要があるというんですか。理由なら、むしろそこの娘のほうがあるに決まってます。錬金工房の功績作りのために病原をばらまいたんです」

 それでもグラエムは食い下がる。彼の中でここまできて、いまさら引き下がることなどできないのだろう。

 この期に及んで認めようとしないグラエムに女性は呆れたように短く息を吐くと、鋭さをいっそう増した視線をグラエムに向ける。

「仮に彼女がそうだったとして、そんな卑劣な手を使うような人間のもとにこれだけの人が駆け付けてくれると思いますか?」

 リアナが戻ってくるまでの間、錬金工房の番をしていてくれた街の人々。身を粉にして彼女のために尽力したレオルス。この場にいる大勢の人がリアナというたったひとりの少女のために集まってくれたのだ。それがリアナがこれまで錬金術を通して積み上げてきたものの大きさを如実に表していた。

「そ、それは……」

「それに比べて、グラエム。あなたはどうですか? 振り返ってご覧なさい。それがこれまであなたが積み上げてきたものの全てです」

 促されるようにグラエムは振り返った。そこには聖王騎士団長の登場により意気消沈し、完全に勢いを失った部下たちの姿があるだけだ。

「き、貴様ら! なにをしている。早くあの娘を捕らえろ! 言うことを聞け! 私を裏切るのかッ!?」

 思いどおりにいかず、怒る子供のように地団駄を踏む。その光景は呆れを通り越して憐れみすら感じられた。

「裏切ったのはあなたのほうでしょう! いい加減、観念しなさい。レクツェイア支部にいたあなたの部下も今回の件について認めています。全てあなたに指示されてやったことだと。もうあなたの味方は誰ひとりいないのです」

「そ、そんな――」

 その場に崩れ落ちるグラエムをレオルスは静かに見ていた。

 今ここでひとりの男の野望が終焉を迎えた。

「彼を連れていって」

 女性は後ろで佇む部下に指示を出す。白い軍服の魔法騎士に掴まれ立ち上がるグラエムは、まるで生きた屍のように生気が感じられなかった。そのとき初めてレオルスはやっと終わったのだと実感できた。

「さて」

 首謀者であるグラエムがしっかりと連れていかれるのを見送ってから、女性は切り替えるように言ってレオルスとリアナを振り向いた。

「今回、私の監督不行き届きばかりに街の方々には多大なご迷惑をおかけしてしまいました。その非礼の数々、謝罪の言葉もありません」

 女性はふたりから視線を外し、この場に集まった街の人々を一瞥してから、みなに伝わるように精一杯の誠意を以て深々と頭を下げる。各地の魔法騎士団を統括する者として最大限の謝罪の意が込められたものだ。

「え、ええと……。とりあえず、頭を上げてください」

 リアナのその言葉で女性は下げていた頭をゆっくりと上げる。

「本来なら、然るべき場を設けてお詫びをするべきところなのですが……今はそれよりも聖王騎士団長として果たすべき使命を全うさせてください」

 そこで女性はいったん言葉を切って、改めて口にする。

「さきほど、レオルスさんから街を救うにはリアナさんの力――錬金術が不可欠だとお聞きしました。こんなことになったのは本を正せば我々に原因があるのですが、それを分かってうえでリアナさん、あなたにお願いします。――レクツェイアを救うのに力を貸していただけませんか?」

 リアナを真っ直ぐに見つめて女性は言う。

 魔法騎士団の中でも最高位に位置する者からの直々のお願い。リアナは無意識のうちに息を呑んだ。そんなリアナを察したようにレオルスが言う。

「どうするかなんて、もう決まっているだろ?」

 そうだ。ふたりで約束したのだ。必ずふたりで戻ってこようと。そして、今こうして再会を果たすことができた。ならば、次にやるべきことはひとつだ。

「もちろんです。そのために今までだって動いていましたから」

 微笑んでリアナは答える。その反応に安堵したように女性は息を吐いた。女性の言うとおり、今回の一件で少しも非のないリアナが一番被害を受けていた。断られても仕方ないと思っていたのだろう。

「ご協力感謝します。なにか協力できることがあるなら、我々が全力サポートしますから言ってください」

 そう言われて、リアナは少し思案気に視線を下げる。

「あ、でしたら材料を集めるのを手伝っていただけますか? なにぶん奇病にかかっている人数が多いので、材料もそれなりの数がいるんです」

「分かりました。今すぐ……いえ、少しあとにしたほうがいいですね」

 無事に帰ってくることができたのだと、安堵感が今になって押し寄せてきたのか、リアナはあくびを噛み殺した。その微笑ましい光景に女性はようやっと表情を緩ませる。

「心配してくださってありがとうございます。……でも、今も苦しんでいる人がいるんですから、こんなところで止まっているわけにはいきません。サポートのほう、宜しくお願いします」

「そうですか。分かりました。レクツェイアからも人員を集めてきますので、リアナさんはその間だけでも身体を休めていてください」

 そう言って女性は率いてきた部下を連れて、いったんこの場から去っていく。

「だそうだ。しばらく休んだらどうだ?」

 レオルスはリアナを連れて錬金工房の玄関前の段差に腰をかけた。

 疲れているという意味ではレオルスも例外ではないが、リアナがこれまで抱えてきた心労に比べれば些細なものだろう。

「そうですね。ふぁああ……じゃあ少しだけ」

 座るや否やリアナの瞼は自然と落ちてきて、しばらくしたら、すーすーと寝息を立ててレオルスにもたれかかる形でまどろみに落ちた。ついさっきまで気張っていた彼女だが、やはり心身ともに疲労が蓄積していたのだろう。

「良く頑張ったな、リアナ」

 リアナに聞こえるか聞こえないかの程度の大きさでレオルスはつぶやきながら、少女の頭を優しく撫でた。安らかな寝顔だ。

 ふとレオルスが顔を上げると、夜明けはすぐそこまで迫っていた。

 遥か彼方から差し込む清らかな朝日は、ほんの少しだけ大人になった少女の白い頬をいつまでも照らしていた。

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