第21話

「はいこれ」

 とりあえずレオルスを椅子に座らせて、その反対側にシェリルとシーラが腰をかけた。その際、レオルスを落ち着かせようとキッチンにあったものでハーブティーを拵えて彼の前に差し出した。それを一気に呷ったあと、レオルスは重たい口を開いた。

「……まず、俺はリアナに弟子入りが目的でやって来た者じゃない。魔法騎士団から命令されて身分を偽って潜入していた魔法騎士です」

 リアナを含めて周囲にずっと直隠しにしてきた真実を告げる。まさかこんな形でふたりに話すことになろうとは思ってもいなかった。

 レオルスの口から飛び出した真実にぐっと堪えるような表情でシェリルは彼の話を聞いていた。シーラのほうはいちおうは最後まで信じていてくれたのか、彼の正体を知った直後小さくため息を吐いたのが口の動きで分かった。

「なんで錬金工房に潜入した?」

 棘のある口調でシェリルが詰問してくる。シーラが隣にいるため手を出すことはしないものの、胸中にはそれくらいの感情が渦巻いているだろう。

「魔法騎士団は錬金工房のある一帯に新たな工場を建てる計画をしていて、その計画を進めるうえで錬金工房は邪魔になるから潜入して潰す――それが俺の任務でした」

 いちおう任務の内容を関係者以外に漏らすことは規則に抵触するが、リアナを助けるためにしてきた行為はほとんど命令に背いているようなものだ。いまさら気にすることでもない。

「やっぱり、あいつらと繋がってたのか」

 さらにシェリルはレオルスを睨み付ける視線を鋭くする。その点については否定しようがない。リアナを助けるために動いていたことの全てが結果的に最悪の結末を招いてしまうとは皮肉なものだ。

「みんなには本当に申し訳ないと思ってます。もちろんリアナにも……」

「いまさら謝られたって」

 苦虫を噛み潰したようなシェリルの顔が胸に突き刺さる。いまさら謝ったところで過去は変えられない。それでもレオルスは精一杯に頭を下げる。今の自分にはもうそれくらいしかできないのだから。

「ねぇレオルスくん。ちょっといい?」

 終始レオルスの話を黙って聞いていたシーラがそこで初めて口を開いた。

「今の話でレオルスくんがリアナちゃんの錬金工房にやって来た理由は分かったわ。でも、だったらもっと早いタイミングで事を起こしてもよかったんじゃないかしら? 身分を偽ったことは事実だとしても、今回リアナちゃんが連行されたこととレオルスくんは本当に関係しているの?」

 シーラは腑に落ちないというような表情でレオルスを見つめた。

「なに言ってんだよ、シーラさん。こいつは魔法騎士なんだろ。だったら、関係があるに決まってる」

 自明の理というようにシェリルは断言する。同じ魔法騎士である以上、内通してリアナが不利になるように仕向けていたと考えるのはごく自然なことだろう。

「そう考えるのも分かるんだけど、レオルスくんがリアナちゃんのもとを訪ねてからそれなりに時間は経ってるし、それにここ数日のレオルスくんを見ていると、とてもリアナちゃんを騙そうとしていたとは思えないのよねぇ」

「言われてみれば、そんな気がしないでもないけど……」

 シーラが口にする疑問にシェリルは言葉を詰まらせた。シェリルにしてみれば、それこそ今リアナに任せている奇病の特効薬の依頼が良い例だろう。そのときのレオルスは自ら積極的に動いていた。

「さっきだって、リアナちゃんが連行されていくときに血相を変えて駆け付けてきた。レオルスくんは本当に錬金工房を潰すつもりでいたの?」

「どうなんだよ?」

 ふたりの双眸が一斉にレオルスを向いた。その力強い視線にレオルスは今まで出すことのできなかった胸の内を吐露する。

「最初は仕事だと割り切って錬金工房を潰す気でいました。でも、リアナと一緒に過ごすうちに彼女の錬金術と真摯に向き合う姿やどれだけ街の人から愛されているかが分かってきて……。それでいつしかリアナの力になりたいと思うようになりました。だからこそ、リアナには本当のことを話せなかった。話したら最後、全て崩れてしまいそうで……」

 事ここに至ってどうしてリアナに本当のことを言えなかったのかを自覚する。最初は偽りの関係だったのが、いつしか心地よくなって、それが手放しがたくなってしまった。もし本当のことを話したらこの関係性が壊れてしまう。それが嫌だったのだ。だが、関係性を壊したくないがために真実を有耶無耶にして今でなくてもいいと先送りにした――その結果がこのざまだ。関係性どころか、大切なリアナさえも失ってしまった。

「俺の身勝手な願いのせいでこんな取り返しのつかないことに……」

 もはや俯くことしかできない、そんな自分が悔しかった。正義など言っておいて、結局なにも守ることができなかった。魔法騎士どころか人として失格だ。恐ろしくて見ることが憚られるふたりの目はきっと軽蔑した視線をこちらに送っていることだろう。自分はリアナが作り上げたコミュニティを壊す敵でしかないのだから。

「――まだ諦めるのは早いんじゃないかしら?」

 よく通る澄んだ声でシーラはきっぱりと断言した。予想外の一言にレオルスはハッとして顔を上げる。

「それってどういう……」

 困惑した様子でレオルスは問い返す。そんなレオルスの目を真っ直ぐに見てシーラは続ける。

「まだレオルスくんにリアナちゃんの力になりたいっていう想いがあるなら、私はまだ諦めるのは早いと思うの」

 完全に意気消沈していたレオルスの脳天に直撃する一言だった。

「でも、俺はリアナを……」

 騙そうとしていた――その事実が変わることはない。こんな自分に彼女を助けにいく権利などあるのだろうか。それが戒めの鎖のように心を縛り付ける。

「レオルスくん。リアナちゃんがお薬を届けに来たとき一緒に貴方もいたわよね。そのときのことを覚えてる?」

 不意に尋ねられてレオルスは記憶を漁る。初めて一緒に材料を集めにいき、魔物との激闘の末に手に入れた花で調合された薬だ。忘れられるわけがない。

「そのときのリアナちゃんはとても貴方のことを信頼しているように見えたわ。でないと、あんな笑顔でいられないもの」

 微笑を浮かべてシーラは言う。彼女が湛える微笑は奇しくも納品しに行ったときの笑顔とよく似ていた。

「だから、まだ諦めちゃダメ。きっとレオルスくんが行かないとリアナちゃんは真に救われない」

 たとえ家族同然のように接してくれる街の人がいようとも、母親を失ったリアナの孤独を埋めることはできなかった。そんな誰にも埋めることのできなかったリアナの心の穴を埋めたのはレオルス自身だ。

「それはたまたま俺だっただけで、俺じゃなかったとしても……」

 心の鎖が少しずつ融解していく。だが、あと一歩を踏み出せない。

「だあああああ! いつまでもうじうじと」

 我慢できないというようにシェリルはレオルスの胸倉を掴む。今度はさきほどのように乱暴ではなく、胸の奥に問いかけるような確かな熱意があった。

「たまたまだったとか、俺じゃなくてもとか、そんなことはどうでもいいんだよ。たとえそうだったとしても、リアナと出会って、関わって、あいつの傍にずっといたのは――あんたなんだよ、レオルス! 全部、あんたのせいでこうなったんだ。だから、最後まで責任を取りやがれ!」 

 たまたまだったかもしれない。

 他の誰かでも良かったかもしれない。

 そうだとしても。

 たとえ偽りから始まった関係だったとしても、その偽りから紡がれたリアナとともに過ごした日々は紛れもない本物なのだ。その事実は決して揺らぐことはない。だから、なにも恐れることはない。合わせる顔がないというのなら、あとでいくらでも謝ればいい。そのためにもまずは彼女を救い出すのだ。

「……ありがとうございます。おかげで目が覚めました」

 少しの沈黙のあと、確かな芯を以てレオルスは答える。もう迷いなどないという真っ直ぐな目をしていた。

「そうとなれば善は急げです」

 座っていた椅子が音を立てるくらい勢いよくレオルスは立ち上がる。と、そのとき視界にあるものが目に入った。

(あれって……)

 機敏な動きでレオルスは錬金釜の前に移動する。レオルスの目を引いたもの。それは錬金釜の前で広げられている数々の書物だ。おそらくリアナが調べていたものだろう。彼女の母親が遺した書物を調査の足掛かりとするのは妥当だ。その中のひとつを手に取る。

(ん?)

 手に取って間近で見て分かった。その書物の開かれていたページには殴り書きのような文字が書き込まれていた。さらに文字だけでなく、単語を丸で囲ってそこから線のようなものが伸びていた。その線はページの端で途切れている。

「まさか……」

 ハッとして思わず声に出す。手に取った一冊を元々の位置に戻してみる。パズルのピースが揃うように途切れていた線は隣にある書物の線と繋がり一本の線となる。その線の先にあるのは単語に丸の図形。そこに書かれた単語は推測するになにかの材料の名前のように思える。そこでレオルスは気づいた。他の広げられている書物にも線や図形が書き込まれている。リアナはきっと奇病の打開策を見つけていたのだ。

「どうした?」

 錬金釜の前で座り込んだまま動かないレオルスを不思議に思って、シェリルが小首を傾げたまま近づいてくる。

「これ見る限り、リアナはシェリルの言っていた奇病の突破口を見つけていたみたいだ」

「本当かっ!?」

 思いもよらない吉報にシェリルは目を見開いて駆け寄ってくる。

「ああ。まあ本人に訊かない限りは推測の域を出ないが」

 レオルスは足元にある書物を指差す。改めて見てリアナがどれだけ必死に調べていたのがよく分かる。所々で文字は歪になっていて、きっと不眠不休で調査していたのだろう。彼女が掴みかけていたものが、今まさに水泡に帰そうとしているのだ。そんなことは絶対にさせない。

「なら、やっぱりリアナちゃんを早く助け出したほうがいいわね。リアナちゃん以外に錬金術ができる人はいないし」

 今ある危機はリアナのことだけではない。蔓延しつつある未知の奇病も目下の解決すべき事案だ。その解決の鍵は彼女が握っているのだ。

「俺、今からリアナを助けにいってきます」

 ふたりが後押ししてくれたことを無駄にしたくない。リアナが連れていかれてから数時間が経過しているが、今すぐにどうこうということはないはずだ。助け出すために動くなら早いに越したことはない。

「俺がリアナを連れて戻ってくるまで錬金工房のことはお願いします」

 ふたりにそうお願いし、レオルスは力強く扉を開け放ち外に飛び出していった。

「ふふっ、さっきまであんなに落ち込んでいたのに」

「リアナほどじゃないが、世話のかかる奴だな」

 閉まる扉の向こうの少年を思いながら、そんなことを口にするふたりだった。

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