第18話
調査を開始してから数日後。その日もレオルスは夕方まで魔法騎士団の編纂室に籠もりっきりで調査を行っていた。調査初日以降は少しでも時間が惜しいということで、朝はリアナに顔を合わせないまま直行していた。錬金工房に顔を出さないことは彼女にも伝えてあるので問題はない。
「今日はこの辺にしておくか」
帳簿も三冊目に突入しようとしているくらいのところで本日の調査を終了する。調べた書物の数もざっと半分を過ぎたところか。それでも手がかりになりそうな記述は見つけられていない。単に自分が見逃しているだけなのか、それとも本当に未知の病であり、治療方法が確立されていないのか。後者であれば手詰まりになってしまうが、想像だけで落胆しても仕方ない。今は断片的でもいい。応用できそうな記述があれば片っ端からメモしていくしかない状況だった。
編纂室を出てメインホールを通ると、見覚えのある顔があった。メインホールから二階の廊下に伸びる階段にレクツェイア支部の騎士団長――グラエムがいた。先に気づいたのはレオルスだが、向こうもこちらに気づいたようで踊り場のところで足を止める。
「久しいな。任務のほうは順調か?」
「報告書にまとめたとおりですよ」
相変わらずの鼻にかかった声が耳を不愉快にする。それでも上司であることには変わりないので、その感情を押し殺して声に棘がないように心がける。
「錬金術の有用性の話か。任務の目的とは方向性が真逆だが、まあ確かにあれを読めば一考の余地はあるやもしれんな」
意外だった。考えを改めさせる意味も含めた報告書の内容であったが、こうもあっさりと考えを軟化させてくれるとは。思わず拍子抜けするレオルスである。なにか裏があるのではと勘繰りたくなってしまう。
「ところで、話は変わるが最近妙な病が流行っているようだな」
急な話の方向転換だが、今のレオルスにはタイムリーな話題だ。なにか情報を掴んでいるのだろうか。
「なにか動きでも?」
忌避している存在であることも忘れて思わず聞き返してしまう。今のレオルスにとって件の奇病に関する情報は喉から手が出るほど欲しいものだ。まして魔法騎士団が掴んでいる情報ならば期待も持てる。そんなレオルスの問いにグラエムは口許にわずかながらに笑みを浮かべた。
「魔法騎士団としても調査を進めていてね。書物や文献にも載っていない未知の病のようなんだが、実はどこかで作られたんじゃないかと睨んでいるんだ」
「作られた……?」
予想外の見解にレオルスは眉をひそめて訊き返す。おそらく誰よりもレクツェイアで長く魔法騎士を勤めているのはグラエムだろう。その彼が言うのだから書物に載っていないことは事実で間違いないのだろうが、作られたというのはいったいどういうことか。どうすればその結論に辿り着くのか見当もつかない。
「考えてもみたまえ。文献にも載っていない病のうえに最初に発症した男性はどこにも行っていない。それなのに発症したということはレクツェイアの内部で発生した病であることに違いはない。だが、前述したとおり過去に同じ病の発症例はない。とすれば、残りの考えられる可能性は……作為的に生み出された、とかな」
「なにが言いたいんです?」
グラエムの言葉の言外に込められた思惑を感じ取る。そこまで考えているのなら本当に意地が悪い。まさかとは思いつつ、レオルスは彼の返答を待った。
「簡単な話だ。例の小娘が実績作りのために未知の病原を作った、なんていうのはあり得ないことではないだろう?」
厭味な笑みを顔に湛えて満を持したというようにグラエムは言い放った。根も葉もないことを平然と言ってのける彼の常軌を逸した人間性は今に始まったことではない。レオルスが激昂するのを分かったうえで殊更に神経を逆撫でするような言い方をしたのだろう。
「お言葉ですが騎士団長」
レオルスは冷静さを保ったまま毅然たる態度で言い返す。最初に訪れたときには暴虐非道ぶりに怒りを露わにしてしまったが、今は錬金術の秘めたる可能性もリアナの錬金術と真摯に向き合う姿勢も全て知っている。反証にたるものを持ち合わせているのだ。だから、感情に任せて怒る必要などない。純然たる事実を目の前の男に突き付けてやれば良いのだ。
「私はこの数日間、一番近くで彼女を見てきました。彼女は自身の錬金術という技術に矜持を持っています。錬金術と真摯に向き合って、その秘める可能性を信じてみんなの役に立とうと奮闘している。今だってその奇病をなんとかしようとしている。そんな彼女が己の保身のために他人を巻き込んでまで実績を作ろうとするなんて――あり得ないです」
断言する。自分でも最後のほうの語気が強くなっていることが分かった。リアナの直向きな姿を見れば、たとえ冗談であろうともそんなふざけたことは言えるわけがない。
「ふん。ずいぶんとあの小娘に入れ込んでいるようだな」
レオルスの面白くない反応にグラエムは露骨に鼻白む。こちらをからかうために言ったのであれば悪趣味が過ぎるというものだ。
「まあ君があの小娘をどう思おうとも、魔法騎士団としては疑いのある者を野放しにしておくわけにはいかないのだよ。そう報告書に書いたのは――レオルスくん、君だろう?」
厭味な笑みが深さを増す。これから起ころうとしていることを直感で理解して、レオルスは建物の出入り口に向かって駆け出した。この男ならばやりかねない。いや、嬉々としてその選択をするはずだ。
「無駄だよ。すでに魔法騎士を手配してある。いまさら行ったところで間に合わない」
背中から聞こえてくるグラエムの蔑むような声を無視して、レオルスは乱暴に扉を開け放った。一瞬、眩い西日が視界を奪って足を止めるが、すぐに足を動かしてリアナのもとに急ぐ。
「リアナ……!」
最悪の事態が起こってしまった。まさかこんなことになってしまうとは。端からあの男はこちらの報告などどうでもよかったのだ。態のいい駒が必要でそれがレオルスだったのだ。
「報告書を偽装して、そこまでして錬金工房を潰したいのか!」
腸が煮え繰り返る。抑えきれない怒りが乱暴な言葉となって口から漏れる。グラエムはレオルスが書いたと言っていた。報告書にリアナを貶めるようなことを書いた覚えはない。ただ事実として、リアナの直向きな姿と錬金術がいかに有用性かを委細に綴っただけだ。それを偽装して強制的に彼女を連行する材料に仕立て上げたのだ。
「こんなことになるなら……」
リアナと一緒に夕食を食べたあの夜に言おうとした言葉が頭をよぎる。こんな形でリアナに知られるくらいなら、自分の口で伝えておくほうが何倍もましだった。だが、全てはたらればだ。悔やみ嘆いたところで後の祭りでしかない。今の自分にできることは一秒でも早くリアナのもとに駆け付けることだ。歯噛みしながら、レオルスは少しでも早く彼女のもとに向かうために可能な限り走る速さを上げた。
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