第17話

「あ、レオルスさん。お帰りなさい」

 今日の調査を切り上げて錬金工房に戻ってくると、ちょうど扉が開いてリアナが顔を出す。

「調査のほうはどうでしたか?」

「それっぽい記述はいくつかあったと思うが、やっぱり俺には詳しいことまでは分からないな。写してきたから見といてくれると助かる」

 そう言うレオルスの手元にリアナは視線を落とす。彼の手元にある書き写すために持っていった帳簿は、すでに数年使い込んだようなやつれ具合だ。一心不乱に調べていてくれたのだとリアナは嬉しそうに口許を少し緩める。

「ところで、ずいぶんと良い匂いがしているが」

 錬金工房に入ってからずっとレオルスは鼻腔をくすぐってくる匂いが気になっていた。脇目も振らずに調査を行っていたため、昼食を食べ損ねていた身体に染み渡る匂いである。

「そろそろレオルスさんも戻ってくる頃かなっと思っていたので、夕飯を作っていたんです。ちょうど完成したところなので一緒に食べましょう。持っていきますから先に座っててください」

 小走りでキッチンへと戻っていくリアナの背中を見送る。先に座ってて、と言われたので素直に従って、レオルスはキッチンの隣の部屋にある椅子に腰をかけた。

 目の前のテーブルにすでに出来上がった料理が並んでいた。肉をメインに据えた食べ応えのある品や野菜中心のサラダと栄養に気を遣った組み合わせになっている。弟子入りしてから何度かリアナに手料理を振る舞ってもらう機会があったが、今回はそのどれよりも豪華だった。

なにか良いことでもあったのだろうか。

「これはまたずいぶんと贅沢だな。なにか良いことでも?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけどね」

 最後の一品を持ってきたリアナはそう言いながら料理を机に置いて椅子に座る。

「得体の知れない奇病を相手にするわけですし、健康には特に気を付けないといけないと思うんですよ」

「まあ俺たちが発症してしまったら、それこそどうしようもないからな」

「そういうわけで栄養のあるものをと思って作りました」

 どうですかと言わんばかりに椅子に座ったまま胸を張るリアナ。確かに目の前にある料理の数々は誇っていいものだと思う。そんな無邪気なリアナの姿にレオルスはかつての母親の姿が見えたような気がした。

「……あのー、なんにも反応がないと、ちょっと恥ずかしいんですけど」

 予想以上に反応がなくて困惑しているリアナはしゅんとして姿勢を戻す。その声にレオルスは遠くに行っていた意識を取り戻し、遅れて反応する。

「ああ、すまん。すごい美味しそうだ。ありがとう、リアナ」

「あ、あとから言うのはずるいですよ……」

 頬を紅潮させたまま抗議しようとするリアナだが、恥ずかしさのほうが勝っているのか、ほとんどレオルスの顔を見られていない。声に至っては消え入りそうなくらい小声だ。得意気になっていたのはリアナのほうではなかったか、と小首を傾げるレオルスである。

「と、とりあえず料理が冷めてもいやですし、食べましょうか」

 ごまかすようにリアナが先に食べ始めたので、レオルスも空腹だったこともあって最初から大きめの一口で料理を頬張り始めた。

「そういえば、シェリルのほうはどうだった?」

 思い出したように訊く。彼女のことについてはリアナに任せていた。

「家まで送っていくよって言ったんですけど『移すと悪いからここまでいい』って断られちゃいました」

「そりゃそうか」

 感染経路は不明ということだが、感染者に近づかないに越したことはない。だが、両親の看病をしているシェリルとはすでに接触してしまっている。その彼女が感染していないとは言い切れない。

(こりゃ本当に時間との勝負だな)

 酷使した帳簿に目を落とす。今日だけでもそれなりに効率的にやったつもりだったが、こちらとていつ感染してもおかしくない状況であることを忘れていけない。早いうちに解決の糸口を見つけておきたいところだ。そのためには明日からはもっと効率的に調査する必要があるだろう。

「私、レオルスさんが弟子入りしてくれて良かったと思ってます」

 食事をする手を止めて、急にそんなことをリアナは言う。

「どうしたんだ、急に?」

 急に話の方向性が変わったことに驚いて、レオルスの手が止まる。今の話の流れでいったいどこから繋がるのだ。

「だって錬金術だけじゃなくて、私の友達や周りの人のことも一緒になって考えてくれて、それってすっごく心強いです。今までずっとひとりで仕事してきましたから」

「リアナ……」

 最後のほうの声が少しだけ寂しさを孕んでいたような気がしたのは、きっと気のせいではないだろう。あえて口を挟むことはせず、レオルスはリアナの次の言葉を待った。

「お母さんが亡くなったのは流行り病でした。お医者さんが手を尽くしてくれましたけど、手遅れで……。きっと日頃の無理が祟ったんだろうって」

 滔々と語り出すリアナは視線を食卓から移動させる。その視線の先には一枚の写真があった。思えば、これまでリアナの母親のことについて彼女から話を聞いたことはなかった。

「お母さんが苦しんでいるときに私はなにもできなかった。ずっと傍でお母さんの錬金術を見てきたのに……。ただただ泣き叫ぶことしかできなかった」

 在りし日の母親を見遣るその双眸には悔しさの色が滲んでいるように思えた。

「だから、もう後悔はしたくないと思って錬金術に打ち込んできました。街の人たちも気にかけてくれて、私が困っているときはなんでも協力してくれました。でも……お母さんが亡くなってから、錬金工房で調合するときはずっとひとりでした」

 レオルスがレクツェイアに来る以前から、街の人がリアナに優しく接して協力してくれたというのは事実だろう。実際、レオルスも彼女が街の人から慕われている姿を目にしてきた。だが、どれだけ街の人が協力してくれようとも、彼女にしかできないこと――それが錬金術だ。リアナが多少無理をしてでも錬金術に打ち込んでいたのは、亡き母親のため以外にも胸の内に巣くう寂しさを紛らわせるためだったのかもしれない。

「だから、レオルスさんが弟子入りしたいって訪ねてきてくれたときは本当に嬉しかったんです。もうひとりじゃないんだって」

 心中を吐露するリアナを前にして、レオルスはどうするべきかと悩んだ。

――全てを話すべきか?

 レオルスが師事するために来たことも、錬金工房のために奮闘していることも、全ては魔法騎士の彼が弟子入りと偽って潜入していることから始まっている。リアナの錬金工房を潰させないと誓ったあの夜から、ずっとこの事実をどうするべきか考えあぐねていた。いつ話すべきなのか。そもそも話す必要があるのか。結局、答えは出なかった。

 リアナはレオルスが正真正銘の弟子入りをしに来た人だと信じている。それが今の彼女の支えにすらなりつつある。それはきっと彼女にとっての希望なのだ。もし、ここで真実を告げればその希望を奪ってしまうことになる。たとえ今は違っても、仕事とはいえ潰そうとして近づいてきた事実はどれだけの善行を積もうとも消えはしないのだ。

 それでも、いつかは打ち明けなければならない。仮にこの関係性をこの先も続けていくとしたとき、いつまでも隠し通すことはできないだろうし、打ち明けるのが遅ければ遅いほど後々尾を引いてしまうかもしれない。正直に告白するなら、今がまさにそのときだ。

「今回の奇病は過去にも例がないもので、きっと解決に困難は必死です。でも、私は絶対に諦めるつもりはありません。もう二度と私と同じ思いをする人が出ないよう全力を尽くします。だからレオルスさん、これからも宜しくお願いします」

 目の前には笑顔と凜とした決意を胸に秘める少女がいた。

「もちろん。むしろ俺のほうこそ、足手まといにならないよう頑張らないとな」

 考え抜いて口にしようとした言葉をレオルスは寸前で喉の奥に押し込んだ。代わりに出た言葉は当たり障りのないものだ。

(今じゃなくても……いいよな、きっと)

 あんな太陽のような笑みを前にしては、とても言えるわけがなかった。

 奇病の件を無事解決することができたら正直に全て話そう。そのときはそう思っていた。

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