第三章
第15話
レオルスがリアナに弟子入りしてから二週間ほどが経過した頃。錬金工房は日に日に忙しさを増していた。リアナは複数ある錬金釜の中身を並列でかき混ぜて依頼品の調合を行っている。いつもはただリアナの調合を見ているだけだったレオルスも材料を彼女のもとに運んだり、依頼の管理をしたり、自分にもできるところで彼女の作業の効率化に貢献していた。
「ふぅ……。ちょっと休憩」
作業に一区切りがついて、リアナは錬金釜の近くにあるソファーへと倒れ込んだ。レオルスも近くの椅子に座り込む。
「レオルスさーん、依頼の消化状況はどうですか?」
ソファーで横になったまま、リアナが若干やつれたような顔で訊いてくる。
「とりあえず、今受けている依頼はさっきので終わりだな。昼からは明日以降の依頼に備えて材料を集めてくる必要があるが。まあ、昼くらいまでは休憩できるな」
依頼の完了状況を書き記した帳簿を見ながらレオルスは答える。ぺらぺらと捲りながら先の依頼を確認する様はさながらリアナ専属の秘書のようでもあった。
「そういえば、ここ最近忙しくて訊けてませんでしたけど、急に依頼の管理や宣伝をし出すなんて、レオルスさんってそっち方面に強いんですか?」
横にしていた身体を起こして、リアナは疑問の眼差しを向けてくる。
「いや、そういうわけじゃないが、リアナひとりだけだと調合の片手間に依頼の管理は大変だと思っただけだ。せっかく弟子の俺がいるわけだし、やらない手はないだろう。それに錬金術の凄さをもっと周知させたいとも思ったんだ」
実際のところはそれだけではないが、目指すところは変わらない。それはこの錬金工房の存続。リアナが必死に守り続けてきたこの場所を奪わせるわけにはいかない。そのためには錬金術の有用性を改めて周知させる必要があると考えたのだ。錬金工房の撤去に反対してくれる声が増えれば増えるほど、魔法騎士団とてその声を無視することはできないはずだ。
「れ、レオルスさぁーん!」
突然リアナが飛びついてきてレオルスはぎょっとする。
「な、なんだ急に」
「だって、レオルスさんがそこまで錬金術のことを考えてくれているなんて……。私、猛烈に感動してます!」
「だからっていきなり飛びつく――うわぁっ!?」
案の定、飛びつかれた勢いで椅子ごとレオルスの身体は後方に傾いていく。派手な音とともにふたりは床に倒れ込んだ。当然リアナのほうから飛びついてきたので、彼女が上になる体勢である。
「ごめんなさい、レオルスさん。怪我はないですか――」
「リアナ、大丈夫か――」
互いに声をかけようとしたところで止まる。
顔が近かった。
吐息がかかりそうなほどに。
「す、すみません。私の不注意で……」
「い、いや俺のほうこそ悪かった……」
互いに妙な気分になって目を合わせられない。考えてみれば、二週間とはいえほとんどの時間を共有しているのだ。その距離感はまさしく恋人のそれである。
気まずい沈黙が続いた。延々と続くかと思われたその沈黙を打ち破ったのは、錬金工房の扉がノックされる音だった。ふたりで顔を見合わせる。今日のこの時間に来客がある予定は入っていない。どちらでもないとすれば、飛び入りか知り合いのどちらかである。
「おーい、リアナいるかー?」
扉の外から男勝りな声が聞こえてきた。シェリルである。リアナは扉を開ける。
「こんな時間にシェリルから訪ねてくるなんて珍しいね」
扉を開けてシェリルを招き入れながらリアナが訊く。大衆食堂も兼ねている金鶏亭なら今の時間から昼までは大盛況のはずだ。それなのに料理の腕前も一人前であるシェリルがわざわざ訪ねてきたのは少々不思議だった。
「実はちょっと頼まれてほしいことがあってさ」
「どうしたの改まって」
これまでもシェリルから頼み事をされることは多々あった。だが、こんなふうに改まってお願いをされることは珍しい。それになんだか声のトーンもいつもより重いような気がした。リアナはわずかながらに身構える。
「なにかあったのか?」
レオルスもなにかを察したのか、その顔は真剣みを帯びている。
「ここ最近、妙な病が流行ってるのは知ってるか?」
「妙な病?」
ふたりの声が重なった。
「やっぱり知らないか」
「私もレオルスさんも、最近はずっと錬金工房に籠もりっきりだったからね」
「なら、逆に良かったかもしれないな……」
そこまで言ったところでシェリルが不意にふらついた。とっさにレオルスが支えに入る。リアナが心配そうにシェリルの顔を覗き込んだ。
「とりあえず、ここに座ったほうがいい」
座らせたほうがいいと判断しレオルスは、シェリルの肩を持ったまま、リアナがいつも客との応対に使っている椅子に移動して彼女を座らせる。今日は依頼人が訪ねてくる予定はない。使っても問題ないだろう。
「私はなにか飲む物を持ってきますね」
ゴホゴホと咳き込み始めるシェリルを見て、早足でリアナはキッチンに向かう。パタパタとキッチンから忙しい音が聞こえたあと、リアナが三人分のカップを持ってきた。
「前に採取に行ったときに摘んできた薬草で淹れたハーブティーです」
カップをシェリル、レオルスの前に差し出して一緒に持ってきたポットから淹れ立てのハーブティーを注いでいく。カップに注がれた黄金色のハーブティーから芳ばしい香りが湯気とともに匂い立つ。最後に自分の分をカップに注いでリアナはポットを机に置いた。
「冷めないうちに飲んで。苦いとは思うけど喉にも優しいし」
咳が落ち着くのを待ってシェリルはハーブティーを口に含む。一瞬、顔をしかめるシェリルだが、そのまま一気にハーブティーを喉の奥に流し込んだ。
「……やっぱり、あたしの口にはこういう飲み物は似合わないな」
「身体に効くものはだいたいこういうものなの。どう? 落ち着いた?」
「とりあえずは落ち着いた」
その言葉を聞いて安心したようにリアナもハーブティーを飲む。職業柄こういったものにも慣れているのか、リアナは顔色ひとつ変えずに飲んでいた。
「話がそれちゃったな」
喉の調子を取り戻したシェリルが話を再開する。
「どんな病なんだ?」
レオルスが訊く。ここ最近、忙しさにかまけて世情に疎くなってしまっていたが、まさかその間に奇病が広まりつつあるとは思いもよらなかった。
「それが厄介な病みたいで、高熱が出ること以外は症状がてんでばらばらなんだ。街の医者が何人も診察に当たったみたいだけど、みんな匙を投げてる。今のところは対症療法でしのいでるけど、それも時間の問題。唯一救いなのは感染速度が遅いってところくらいだな」
シェリルの口から告げられる病の実態にレオルスは状況は芳しくないと認識する。感染速度は遅いということだが、逆にいえば時間的にまだ猶予があるにもかかわらず、突破口を未だ見つけられていないということになる。
「感染源は分かってるの?」
今度はリアナが訊く。
「いや、それも分かっていないらしい。最初に発症したとされる男は前日は元気すぎるくらいにピンピンしてたって話だ。だから余計に医者たちは頭を悩ませてる。今度、王都から応援を呼ぶって噂もあるらしくて、それでなんとかなればいいけど……」
深々とシェリルはため息を吐いてうなだれた。王都からの応援が実現すればそれは心強いが、もし王都の医者を以てしてもお手上げとなれば、今度こそ希望がなくなってしまう。それを思うと手放しで喜べないのも無理はない。
「状況はだいたい把握したが、それで頼まれてほしいっていうのは具体的にどんなことなんだ?」
シェリルの話のおかげで状況の把握はできたわけだが、肝心の依頼の内容について触れていない。同調するようにリアナもシェリルに視線を向ける。
「今までの話は前置きみたいなもんだ。本題はここから。……うちの両親がその病で倒れちまったんだ」
重々しく切り出したシェリルの口から告げられる事実にふたりは息を呑んだ。今までのシェリルの話は言ってしまえば、状況の報告にすぎなかった。知り合いのことでもなければ留意する程度の認識だったし、専門家である医者がどうにかしてくれると思っていた。だが、知り合いの誰かが罹患してしまったとなれば話は別だ。奇病との距離感がぐっと近づいた気がした。
「じゃあ、その奇病について詳しかったのは……」
「ずっと調べていたんだな」
シェリルの胸中を思って、遠慮がちに声をかける。どうしてこんな時間に訪ねてきたのか納得した。とても営業できる状況ではない。
「常連客からも情報を募ってみたけど、今話したこと以上の情報は得られなかった。ふたりとも仕事一筋でなにも悪いことなんてしてない。あたしがグレかけたときも見捨てずに正面から向き合ってくれたんだ。ただ真っ当に生きてきただけなのに、それなのに……」
シェリルはその続きを言葉にできず嗚咽を漏らす。まさに理不尽と言わざるを得ない。昔からシェリルと接してきたリアナにとっては彼女の弱気な姿は初めてで衝撃的だった。
「リアナ! 無茶なお願いだってことは分かってる。でも、なんとかしてやりたいんだ。あたしにできることならなんだって協力する。だから……だから。錬金術の力で両親を助けてくれ!」
シェリルは勢いよく立ち上がり、リアナに向かって深々と頭を下げた。椅子がガタっと音を立てる。
幼馴染みであり親友である彼女がこんなふうに面と向かって頼み事をしてくることは初めてだった。
「改まって言われなくたって私は全力で協力するよ」
心配で心が潰れてしまいそうな親友の目を真っ直ぐ見て、リアナは安心させるように口にする。幼い頃から天涯孤独の身になってしまった自分を本当の家族のように接してくれたシェリルの両親。その優しさをリアナは一度たりとも忘れたことはない。そのふたりが病床に伏して苦しんでいるのなら、絶対に助けてあげたい――それがリアナが内に秘める想いだ。
「お母さんが書いた本になにか手がかりがあるかもしれないし、色々調べてみるよ」
優秀な錬金術師として名を馳せていた母親のもとには連日様々な依頼が持ち込まれていた。その依頼の中に医者からの依頼もあったかもしれない。生前、作成した道具の調合過程を書き残す癖のあった母親ならば、錬金工房に所蔵している本の中になんらかの病の治療に使った道具の記述があるかもしれない。それが件の奇病に効果があるかは未知数だが、なにも取っ掛かりがないよりはましだ。
「俺も調べ物に使えそうな場所に心当たりがある。そこでできるだけ情報を集めてみる」
錬金術についてはリアナに遠く及ばないが、それらしい記述を集めてきてその是非を問うことはできる。シェリルの両親の現状を知った以上、それを見捨てることはレオルスの正義感が許さなかった。
「情報は多いに越したことはないですし、お願いしますね。レオルスさん」
「任せろ」
「ふたりとも、ありがとう。恩に着るよ。あたしにもなにか手伝えることがあったら――ゴホッゴホッ!」
リアナとレオルスの力強い返答が聞けてシェリルはパッと顔を明るくする。自分にもなにか手伝えないかと申し出るが、そこでまた咳がぶり返してきてしまった。
「シェリルはご両親の看病で疲れてるんだし、帰って休んでなよ」
「でも……!」
「なにかしてあげたいっていう気持ちは分かるけど、ご両親が元気になったときにシェリルが病気になってたら、今度はご両親が悲しむよ。だから、ここから先は私とレオルスさんに任せて」
諭すように言うリアナ。彼女も亡き母親の名誉と錬金工房を守るために日々努力している。シェリルが無理を押してでも両親のためになにかをしたいという気持ちはよく分かる。だからこそ、自分と違って両親が存命しているシェリルに無理をさせたくなかったのだ。
「……そうだな。ちょっと焦りすぎてた。あたしはあたしができることをするよ」
「そのためには、まず身体を休めないとね」
まさか年下に諭されるとは思ってもいなかったようで、シェリルは苦笑をリアナに返す。
「じゃあレオルスさん。私はシェリルを家の近くまで送っていくので、先にその心当たりがある場所で調査をお願いできますか?」
「分かった。夕方には戻ってくるよ」
「分かりました」
自分の首にシェリルの腕を回して彼女を支えるリアナを一瞥し、レオルスは一足先に錬金工房をあとにした。
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