第12話

 〈金鶏亭(きんけいてい)〉――それがシェリルに付いていって辿り着いた店だった。先に入っていったシェリルからは適当に座っているよう言われていた。

「なあ、リアナ。シェリルの職業ってもしかして」

「ここのお店でシェフをやってるんです。とは言っても、家族で経営しているので実際には雇われているわけじゃないんですけど、結構人気みたいですよ」

 金鶏亭の扉を跨ぐと、次第にざわざわとした喧噪に包まれていく。大きい通りに面しているだけあってかなり賑わっていた。どうやら大衆食堂と酒場を兼ねているようだ。

「これは人気どころか大繁盛だな」

 カウンター席を初めとして、見える範囲の丸テーブルにはほとんどのところで盃を交わしている。店自体はそれほど広くはないようだが、それゆえに客同士の距離感は近く、大家族のような騒ぎ具合だ。

「やっぱり繁盛してるなぁ。私とは大違い」

 若干、声がいじけているのはやはり自分の錬金工房と比べているからだろうか。そもそも大衆食堂と錬金工房では方向性がまるで違うのだから比べようもないと思うレオルスだが、そこは客商売である以上、どうしても比べてしまうところなのだろう。それはきっと商いをする人間にしか分からない感覚だ。

「ここにはよく来るのか?」

「シェリルのご両親には依頼の報酬ってことで、よくご飯をご馳走になってますね。ふたりにはお世話になりっぱなしです」

 そう言ってリアナは苦笑する。姿こそ見えないが、その両親も厨房でリアナのことを思って腕によりを掛けて料理を作っているのだろう。

「お、うわさをすれば」

 そんなことを話していると、入り口の一番近くに座っていた男がリアナに気づいて声をかけてくる。その口ぶりから察するにすでに事の次第は知れ渡っているようである。男は視線をリアナとレオルスの間で行き来させる。

「そっちの人がうわさの彼なの?」

 男の声に反応してまたひとりの女性がやってくる。

「う、うわさって……。そんなじゃないですよ」

 数歩進んでリアナがいつもように否定する。

「そんな一生懸命に否定しなくてもいいのに」

 女性はからかうようにくすッと笑った。

 伝播するように続々と人がリアナのもとに集まってくる。全員リアナの知り合いのようで、この空間においてレオルスは完全に蚊帳の外である。

「ぼさっとしてないで、あんたも混ざりなよ」

 ぽんと背中を押される。明朗快活な声が耳に刺さった。

 シェリルが出来上がった料理を持ってきていた。金鶏亭という名だけあって鶏肉をメインに使った一品だ。こんがりと焼き目の付いた鶏肉はそれだけで食欲をそそる。

「いや、俺は……」

 困惑しているのがレオルスの正直なところだった。付いていくなど言ったが、こんな大勢で飲み食いをするのは初めてのことだった。士官学校にいた頃は亡き両親の期待に応えるべく、ただひたすらに勉学に打ち込んでいた。その気持ちだけがレオルスを突き動かしていたのだ。だからこそ、彼は士官学校を首席で卒業できた。だが、士官学校の履修に和気藹々とした飲み食いの場での立ち居振る舞いなど組み込まれていない。

「見たところ、どう振る舞っていいか分かんないって、そんなところか? んなもん適当でいいんだよ。あいつを見てみろよ。あんたとの関係を早速ネタにされてるぞ」

 そう言われてリアナを見てみると、金鶏亭に集まった様々な年代の人にからかわれていた。からかわれているといっても、リアナのほうも嫌な顔をしているわけでもなく、みんなから可愛がられているようだった。きっとこれがこの大衆食堂での日常なのだろう。

「まあ、こっちに来たばっかりだし、無理にとは言わないけどよ。その辺に座っときな」

 そう言われるがままにレオルスは手近なソファー席に腰をかけた。世代を超えた繋がりを持つリアナが輝いているように見えたのは気のせいだろうか。

「やっとあいつ、あんなふうに笑うようになったんだよ」

 手持ち無沙汰になっていると、飲み物を両手にシェリルがやってくる。片方はレオルスの分のようだ。レオルスの隣に座ったあと、片方を差し出してくる。

「ほれ」

 差し出された飲み物を受け取ってレオルスは口を付ける。ほんのりとした甘みが口の中に広がっていく。

「『やっと』っていうのは?」

 レオルスは引っかかった単語を訊く。

「リアナに両親がいないっていうのはあんたも知ってるだろ? 今でこそあんな感じだが、母親が亡くなってしばらくはずっと塞ぎ込んでたんだ。錬金工房に閉じこもって幼馴染みのあたしでも次に顔を見られたのは一ヶ月後くらいだったかな」

 シェリルは飲み物を呷りながら当時のことを語る。

 両親を亡くす。レオルスにとってもそれは他人事ではなかった。唯一無二の両親を亡くす悲しさや苦しさは彼も身を以て経験している。

「それでも一ヶ月で立ち直ったのか。強いんだな」

 頭の中で過去の自分の姿が蘇る。あの悲しみから立ち直るのは簡単ではない。今だって胸が苦しくなることだってあるくらいなのだ。

「強いっていうか、弱音を吐くにはいかなかったんだろうよ。あいつ、少し真面目すぎるところがあるからな。母親の看板に泥を塗るわけにはいかないっていう使命感みたいなのがあったんだろ、きっと」

 リアナの真面目すぎるところは、そろそろ受け流してもいいからかいを律儀に否定しているところからも窺える。

「魔法工業が発展してからはそっちに流れていった人もいるけどよ、それでもリアナにはあたしもみんなも助けてもらってるんだ。あたしより小さい身体のくせによくやってるよ」

 それは幼馴染みとして小さい頃から見てきたからこそ言えることだろう。

「……と。まあ柄にもないことを言ったけど、要はあんたには期待してるってことだ」

 パンと今度は強めに背中を叩かれる。いったいどこからその結論に辿り着くのか。

「俺に?」

「あんた以外に誰がいるんだよ。弟子ってことは一緒にいることが多いんだろ? なんだかんだ言っても女の子だし、守ってやる奴が必要なんだよ。戦闘でもあいつを助けたっていう話だし、適任じゃないか」

「いや、そんなことは……」

「謙遜すんなって。あいつだって言ってただろ。『信頼できる人』だって」

 そのとき厨房から声がした。どうやらまた注文が入ったらしく、話はそこで中断され、「ま、そういうころだから」の言葉を残してシェリルは仕事場に戻っていく。


――信頼できる人ですよ。


 リアナの台詞が反芻した。

「いやーもう参っちゃいますよ」

 シェリルと入れ替わる形で今度はリアナが隣に座る。相当揉みくちゃにされたのか、少し髪が乱れていた。

「ずいぶんとからかわれてたな」

「ホントですよね。何度言っても信じてくれないんですよね。私とレオルスさんは真っ当な師匠と弟子の関係なのに」

 怒っているような様子はどこか幼子を思わせるところがあり、可愛げがあった。

「でも、みんなから愛されているんだな」

「あ、愛されてるっ!? ……まあ、でもそうですね。みんな私を頼りにしてくれますし、逆に私が困ってたら助けてくれることもありますね」

 もはやリアナ抜きでどんちゃん騒ぎを始めている街の人の姿を見ながらリアナは言う。

「昔、お母さんがよく言ってたんです。『錬金術は絆の力』だって」

「絆?」

「錬金術はその製法次第ではなんでも作り出せる技術だって言われています。それこそ黄金だって。でも、どんなものを調合するにもそのもとになる材料がいるんです。無から有は生み出せない。材料がなければ、錬金術師だってただの一般人と同じです。だから、材料になるものを分けて貰ったり、一緒に取りに行ってもらったり……。私が錬金術師でいられるのは街の人のおかげなんです。それがお母さんが言っていた『絆』なんじゃないかって――私はそう思うんです」

 再びリアナが呼ばれる。余興のひとつでも始めるようである。はーい、と返事をしてリアナは立ち上がる。

「レオルスさんも行きましょう」

 そうレオルスに声をかけてリアナは和の中に入っていく。それは暗にレオルスにもあの和に入る資格があると言っているようだった。

「リアナ、俺は……!」

 堪らず伸ばした手はリアナには届かなかった。いや――こんな薄汚れた手が届くはずなどない。届いていいわけがなかった。

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