第二章

第5話

 カランカランと、錬金工房の扉が軽妙な音ともに開く。入るとすぐになにかを調合しているのか、天井付近を青色のもやのようなものが漂っている。それらは次第に開け放たれた窓に流れていく。

「あ、レオルスさん。おはようございます」

 入ってきたことに気づいた少女――リアナは声をかけてくる。両手で棒のようなものを持っており、それで釜の中をかき混ぜている。

「ああ、おはよう。扉、直ってるんだな」

 調合する姿を目にしつつ、レオルスは気づいたことを言う。まったく違和感なく、普通に扉を開けて入っていたが、よく考えたら扉は昨日の爆発で吹き飛んでいたはずだ。

「それなら昨日のうちに調合して直しました」

「昨日のうちに? ひとりでか?」

 さも当然のように言ってのけるリアナにレオルスは目を見張る。そこまで大きな扉でないにしても直すとしたら単純に考えても、まず木材が必要でそれを扉に合わせて整形する必要がある。さらに、建物に取り付けるにしても専門の技能を持った職人が必要だ。少なくとも素人がおいそれとできるようなことではない。ところが、リアナはそれをひとりでやってのけたと言うのだ。

「もちろん最初のうちは苦労しましたけど、扉自体は錬金術でなんとかできますし、何度も壊れた扉を直しているうちに慣れました」

 釜の中の状態に注意しつつ、少し懐かしむような感じでリアナは言う。昨日の塗り薬のといい、扉を調合して自力で直したことといい、自分よりも年下の彼女だが、実はすごい子なのではないかとレオルスは思い始めていた。……何度も扉を破壊するようなことも含めて。

「あ、そういえば、レオルスさん。怪我の具合はどうですか?」

 今やっている調合作業に区切りがついたのか、棒でかき混ぜることをやめて、レオルスに近寄ってくる。

「今朝方、確認してみたが、きれいさっぱり痕も残らず治ったよ」

 そう言ってレオルスは患部を見せる。昨日まであった擦過傷はもうなくなっていた。それこそ最初から怪我なんてしていなかったように。

「それは良かったです」

 かつて怪我をしていた箇所をまじまじと見て、リアナは安心したように息を吐いた。

「実を言うと、昨日の塗り薬、一昨日に改良を加えたばかりのものだったんです」

 少しばつが悪そうに切り出したリアナを見て、彼女がなにを言いたいかをレオルスは理解する。

「つまり、試作品だったと?」

「試作品というか……理論的には問題なかったし、あとは効果を見るといいますか、その……」

「要は俺で試したってことか」

「うぅ……」

 図星だったようだ。言葉を選んで濁していたところをレオルスの言葉の刃ですっぱりと切られて、リアナは情けない声を出してしまう。小さい怪我とはいえ、怪我人で試すとはなんとも大胆な少女である。

「まあ結果的とはいえ、問題なく治ったわけだし、そこをとやかく言うつもりはない」

「ううぅ、すみません……レオルスさん」

 許してくれたとはいえ、リアナも少しは気にしていたようで頭を下げて謝った。

「それで、さっきはなんの調合をしていたんだ?」

 怪我の話からレオルスの興味はついさきほどまでリアナが作業をしていた大きな釜に移っていた。仕事のための形的な弟子入りとはいえ、錬金術は初めて見る技術だ。それを現役でやっている人の作業を間近で見られるのだから、いったいどんなものを調合しているのか興味があった。

「錬金釜で依頼品を作っていたんです」

 錬金術の話になって、リアナのテンションが目に見えて上がった。早く解説したくてたまらないようで、レオルスの服の袖を引っ張って、ふたりは揃って錬金釜の前まで移動して中を見始める。

「錬金釜と言うのか。今の状態は?」

「今はまだ調合の途中なんです」

「途中?」

 作業をする手を止めてこちらに来たから、てっきりもう完成しているとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。

「材料となる薬草が足りなくて。だから今日、採取に行こうと思っていたんです」

 今さっき気づきました、と半笑いにリアナは言う。

「わざわざ取りに行くのか?」

 薬草くらいなら街で扱っている店もあるだろうし、わざわざ危険を冒してまで取りに行く必要はあるのだろうか。

「お店で売っているものでもいいんですけど、材料の微妙な違いによって出来上がるものに影響を及ぼしてしまうこともあるので、できる限り自分の目で見て、手で触って確かめたほうがいいんです。それに材料集めは日々の錬金術の研究にも必要なんです。まあフィールドワークみたいなものですね」

 リアナの説明を受けて、レオルスは得心がいったようにうなずいた。名前のイメージばかりが先行して、てっきり錬金術ばかりをしている謂わば研究者のような職業かと思っていたが、よく考えてみればその錬金術を行う材料はいったいどこから調達しているのかという話だ。買うにしても調合をするたびにそうしていてはそれなりの額はするだろうし、彼女の言うとおり基本的には外で採取してきているのだろう。

「今回作っている品はそんなに特殊なのか?」

「いえ。物自体は昨日の塗り薬なんですが、今回の依頼のために少し効能を変える必要があるんです」

 昨日の塗り薬でも十分すごいものだと思うが、依頼者の求めるものによって効能を変えて、そのためにフィールドワークに赴いて材料を集めてくるというのはなかなかに重労働だ。

「なるほどな。それにしても、昨日の塗り薬といい、これだけの腕があるなら依頼には困らないんじゃないか?」

 見た目に反して、リアナの錬金術師としての腕前はその道ではないレオルスから見ても確かだと思えるほどだ。それは昨日、今日と肌で感じたことでもある。品質の良いもの作れているのだから、この近辺の住人に留まらず、多くの人から頼りにされてもいいはずだ。成果を出せているならそう簡単に潰せとも言えないはずだと思うのだが、その問いにリアナは露骨にテンションを落として答えた。

「そうだと助かるんですけどね……。昔はそれなりに依頼もあったんですが、魔法工業が導入されてからはみんなそっちのほうを買うようになっちゃって。やっぱり一から全部自分でやっているので、どうしても割高になってしまうんです。これでも黒字ぎりぎりのところで調整してはいるんですけどね……」

 今じゃ昔から付き合いのある人ぐらいしか依頼しに来てくれない、とリアナは付け加える。

 魔法工業が導入されてから人々の暮らしは格段に良くなった。それはマナを動力源とした交通網から始まり、日用品に至るまで、あらゆるものが魔法工業を主軸としたものに変わっていったからだ。個々の品質でいえば、リアナの作る品には及ばないだろう。だが、その代わりに魔法工業は製造過程を自動化したことで、大量生産を可能にし、安い値段で市場に提供することを可能にした。そこそこの品質のものを安い値段で買えるのだから、客足も自然とそちらに流れるというのは自明の理だ。

「生活が豊かになったのは良いことなんですけどね」

 困り顔で言うリアナ。魔法工業が旺盛な今の時代、たとえ高品質だったとしても生産性、値段の面で魔法工業に勝てない錬金術という技術は時代にそぐわなくなってきているのだろう。そういう意味でいえば、錬金術という技術はすでに廃れつつある技術なのかもしれない。

「でも、たとえ時代が変わっても錬金術を必要としてくれる人がいる限り、私は錬金術を続けるつもりです」

 どれだけ時代が移り変わろうとも、それだけは変わらない、とリアナの双眸は確かにそう言っていた。

「……そうか。真剣に錬金術と向き合っているんだな。そういうことなら、俺もそのフィールドワークとやらに同行したい」

「え、レオルスさんが?」

「ああ。錬金術についてはからっきしだが、剣については腕に覚えがある。それに外には魔物もいるだろう? 戦闘なら役に立てると思うが」

 思ってもみなかった申し出にリアナは目を丸くする。

「確かに旅をしていた方なら頼りになりますけど……いいんですか? 錬金術を学びたいってことで弟子入りなのに」

「構わない。それに錬金術を行うために材料が必要なら、その材料を集めるのも錬金術師の仕事なんじゃないのか?」

「確かに……言われてみればそうですね。昔からやっていたことなので、そんなこと考えたこともなかったですけど」

 あはは、とリアナは曖昧な笑みを浮かべる。いちいち考えることすらないほど、彼女には当たり前のこととして身体に染みついているのだろう。それはそれだけ長い間、錬金術と真剣に向き合ってきたという証明だ。

「じゃあ、さっそく行きましょうか。レオルスは準備は大丈夫ですか?」

「今朝、錬金工房に来る前に身支度は調えてあるから問題ない。すぐにでも行けるぞ」

「分かりました。じゃあ私は持っていく道具とかをまとめてくるので、外で待っていてもらえますか?」

「分かった。そういえば、採集しに行く場所は決まっているのか?」

「はいもちろん。レクツェイア森林です」

 レクツェイア森林とは、文字どおりレクツェイアの北東にある森林のことである。レクツェイアの近くにある森林ということで名付けられたなんの捻りもない名前だが、緑豊かな森は小鳥たちのさえずりと木漏れ日の美しさでここらではそこそこ有名な景勝地だ。しかし、近年は魔物の増加に伴って、訪れる人は少なくなってきているらしい。

「魔物が多くなってきてからはめっきり行かなくなっちゃって」

「そんな場所があるのか。それなら、なおさら役に立てそうだ」

「頼りにしてます。レオルスさん」

 リアナが支度するのを待って、ふたりはレクツェイア森林に向かって出発した。

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