第3話

 その錬金工房はレクツェイア中央区から離れた地区に存在していた。古びた外観をしているが、しかし手入れは行き届いているようで、嫌悪感を抱かせることはない。それがむしろ趣として表れていた。

 錬金工房だけでなく、この地区に連なる建物も同様の印象だ。歴史のある地区のようで、この錬金工房が古くから続いている建物であることは渡された情報どおりだった。

「ここがその錬金工房か。とても繁盛しているようには見えないが……」

 渡された地図と数枚の資料、そして契約書を懐に忍ばせて、レオルスは件の錬金工房の前に立っていた。さすがに軍服のままではまずいということで、服装は魔法騎士団が手配した市場でも流通している絹(シルク)製の旅装束に紺色のマント。衣服は当然としても果たしてマントは必要なのかと思うが、どうやら遠路はるばるこのレクツェイアに錬金術を学ぶため、少女のもとを尋ねにきたという筋書きらしい。

「やるしかない……のか」

 扉をノックする直前でレオルスはその一歩を踏み出せないでいた。今でもこれから己が行うことに嫌悪感がないわけではない。納得だってしていない。だが、たとえ魔法騎士の現実がどれだけ理想とかけ離れていたとしても、一介の魔法騎士として果たすべき職務がある。それは揺るがない。それが己の信条を殺すことになったとしても。

「これじゃまるで、あの物取りと同じだな」

 自虐的に笑う。ふとレオルスの脳裏に今朝、相手取った物取りの男の姿が過ぎった。形は違えど、件の少女から大切なものを奪おうとしていることに変わりはない。あれだけご大層なことを言っておきながら、その自分が今まさに同じことをしようとしているのだから世話がない。

「……よし」

 ノックを阻止するように葛藤を繰り返していたのは、きっとまだ心が抗っているからだろうか。だが、いつまでもそれをやっていても先へは進まない。拒否権など初めから用意されていないのだ。魔法騎士としての矜持だの正義だのと言っても、結局のところ食い扶持がなければ生きていけない。信念だけでは腹は膨れないのだ。

――やるしかない。

 そう意を決してノックを試みようとした――そのとき。レオルスのそんな葛藤を吹き飛ばすような爆風がノックをしようとしていた扉ごとレオルスを襲った。

「ゲホッゲホッ……」

 よろよろと覚束ない足取りで爆風を起こした犯人――もとい店の店主が黒煙の中から新鮮な空気を求めて出てくる。

「また失敗しちゃった……って人っ!?」

 扉の前に人がいることまでは想定していなかったのか、血相を変えて地べたに横たわっているレオルスに駆け寄る。

「だ、大丈夫ですかっ!?」

「あ、ああ。なんとか……。痛っ」

 瞬時に全身にマナを展開することで身体への衝撃は防いだが、爆風によって地面に投げ出されたときに肘付近に擦り傷を負ってしまったようだ。

「あ、ああああ! 私ったらなんてことを……。すぐに治療しますから私の家にどうぞ!」

 怪我をさせてしまったことに責任を感じて、店主――金髪(ブロンド)のセミロングの少女は手を引いてくる。確かにわずかながらではあるが患部に鈍い痛みはある。とはいえ、擦過傷くらいでそんなに慌てる必要もないと思うレオルスだが、少女の勢いに呑まれ連れていかれる形で少女の店の中に入ることになった。

 店に入ってすぐ目に入ったのは大きな釜である。普通の釜よりも何倍も大きい釜が扉を開けてすぐの部屋の奥に鎮座していた。一際大きい釜の近くには一回り小さくしたようなサイズの釜もあり、大小様々な釜が整然と並んでいた。

 さらにその左右にある棚には様々な色の薬品と思しきものが置かれている。近くの収納箱にも種類別に食材や鉱石などが入れられていた。そのどれもが妙に黒っぽいのはさきほどの爆発のせいだろうか。錬金術をよく知らないレオルスにもここがなにかの作業を行う部屋であることは容易に想像ができた。

 レオルスは今、その部屋の窓際にある椅子に座っているよう言われて腰をかけていた。そう言った少女のほうは棚でなにかを探しているようだった。しばらくして、目的の物を発見した少女はそれを片手にレオルスの前で片膝をつく。

「ちょっと、染みるかもしれないですけど、我慢してください」

 そう言って少女は持ってきた容器に指を入れて、薄緑色の少し軟性のあるものを掬う。

「そ、それは?」

 少し強張った表情でレオルスは少女に尋ねる。万が一にも傷口に変なものを塗るとは思わないが、自分の知らないものを他人に塗られるというのはさすがに抵抗がある。

 レオルスに尋ねられて少女は忘れていたと言わんばかりに慌てて付け加える。

「これは私が錬金術で作った塗り薬なんです」

 少し自慢げに少女は指で掬った塗り薬を患部に擦り込んでいく。

「どうですか? もう痛くないでしょう?」

「……驚いたな。これはすごい」

 塗り薬を付けた最初こそ刺すような痛みを感じたが、それ以降はまるで傷口など存在していないかのように痛みを一切感じない。さらに患部には塗り薬と同じ色の膜のようなものが張っていて、それが傷口の保護の役割をしているのか触っても痛くない。

「傷の治りを早める効果のある野草も調合の過程で入れているので、一日もすれば痕も残らないで治ると思いますよ」

 感心するレオルスを見て、少女はさらに得意げになって塗り薬の解説を始める。その饒舌さはさながら民衆の前で演説をする為政者のようである。

「それで、この塗り薬の試行錯誤には――」

 そこまで一度も途切れることなく、塗り薬のあれこれについて話していた少女の口が止まった。レオルスが完全にあっけらかんとしていることに気づいたからである。それで我に返ったようで、少女はみるみるうちに顔を紅潮させて目にも留まらぬ速さで頭を上げ下げする。

「ごめんなさい、ごめんなさい! 怪我をさせただけでなく、一方的に話し始めてしまって……。私ったらまた」

「あ、いや」

 自慢げに話し出したかと思えば、いきなり謝りだして、忙しない子である。

「そ、それで私に依頼のある方ですか?」

「依頼?」

「いえ、錬金工房の前にいたので依頼を頼みに来た方かと思って……」

 そうだ。色々あって失念していたが、ここには弟子入りに来た態なのだ。このまま依頼人にされては困る。

「実は錬金術を学びたくて、あなたに師事しに来たんです」

「……へっ? 師事? 私に?」

 予想していなかった申し出に少女は面食らう。それもそうだ。自分よりも年上そうな青年からいきなり師事したいとお願いされたら誰だって驚くことだろう。まだ十五歳くらいの少女ともなれば、なおのことだ。

「あの、ひょっとして弟子入りとか受け付けていない感じですか……?」

 今度は黙りこくってしまった少女に若干不安げに声をかける。もし、弟子入りを受け付けていなかったり、そもそも拒否されたりでもしたら、この筋書きは完全におじゃんになる。

「あ、あの――」

「――やったあああああ! やったよお母さん! ついに私にも弟子がっ!」

 沈黙を破らん破竹の勢いで少女の歓喜の声が錬金工房に木霊する。喜びを溢れさせて、ぴょんぴょんと小さいスキップのような行為を繰り返している。またこちらのことを忘れているのでないかと思うレオルスだが、そこはさきほどのことを反省してか少女はすぐに我に返った。

「もちろん大歓迎です! あ、もしかして遠路はるばるやってきたとか?」

「ええ、まあ……」

 レオルスの反応に少女はさらに上機嫌になる。まさか、ここまでこちらの思惑どおりに事が運ぶとは。

「そういえば、私の名前を言ってなかったですね。私はリアナ・フレイゼル。あなたは?」

「俺はレオルス・ハーバント。レオルスでいい」

「分かりました。レオルスさん、これから宜しくお願いしますね!」

 嬉々として少女――リアナはこれから自分の弟子となるレオルスに親睦を深めるため手を差し出してくる。その手をレオルスはほんの一瞬だけためらって握り返した。

「……ああ、こちらこそ宜しく頼む」

 弟子ができたことを本当に喜んで、真っ直ぐな瞳を向けてくるリアナの顔をレオルスは直視することができなかった。


 錬金工房の掃除があるということで、リアナと話したあと、レオルスは魔法騎士団の宿舎に戻ってきていた。使っていない部屋があるからと、泊まっていくことを勧められたが、さすがにひとり暮らしの女性の家に泊まり込むというのは気が引けたので、近くで宿を取っているということにして丁重にお断りしておいた。

「弟子入り……か」

 自室の寝台の上で仰向けになりながら、錬金工房での出来事を思い出していた。晴れてリアナの弟子になったわけだが、それはこれでもう後戻りはできないということを意味している。

 弟子入りしたいと言ったときのリアナの喜ぶ姿と手を握ったときのあの真っ直ぐな瞳。これから行おうとしていることを前にしたとき、それらはあまりに眩しすぎた。

「……まさか、こんな詐欺まがいの行為が魔法騎士の初仕事とはな」

 亡き父を目標にして勉学に励み、魔法騎士の士官学校を首席で卒業し、念願の魔法騎士になって最初の仕事がなんの落ち度もない少女から店を奪うということになろうとは、いったい誰が想像していたと言えようか。なにより、魔法騎士の実態が理想から大きくかけ離れていたことは、レオルスの心に深く突き刺さった。

「親父なら、こんなときどうするだろう……」

 視線は天井から落ちて、同じように寝台の上に横たわっている形見の剣に移っていた。

 父親は魔法騎士として目覚ましい活躍をしてきたと母親から聞かされていた。実際に目にしたことはないが、嬉々として父親のことを語る母親の姿はよく覚えている。その姿から父親が魔法騎士として成してきたことがどれだけすごいことだったかは、子供ながらに感じることができた。そんな父親だったら、この状況をどう打破するのだろうと考えてしまう。

「……なんだか今日は疲れた」

 きっと心が弱っているから、弱音なんかを吐いてしまっているに違いない。今日一日だけで色々なことを考えすぎた。もうなにも考えたくない。そんな日は早く寝てしまうに限る。

 そのままレオルスは目を瞑った。段々と睡魔が意識を奪っていく。まどろみに落ちる間際、明日から上手くやっていけるのかと、それでも彼は考えてしまう。ひとつ分かっていることがあるとすれば、それはたとえどのようなことになろうとも、件の仕事をやり遂げなければならないということ。それはこの先、魔法騎士として生きていくと決めたレオルスには抗えないことだった。

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