第2話

「魔法工業によって発展に成功したとは聞いていたが……これほどとは」

 駅舎から少し離れた場所にある市場の無数の客と店主の声が飛び交う光景にレオルスは感嘆の声を漏らした。 

 元々最初に魔法工業が導入された都市ということでその名は知っていたが、その発展ぶりはレオルスの想像以上だった。売られている食材はどれもみずみずしくて、ついさっき収穫したような新鮮さである。思わず食指が伸びそうになるが、今は魔法騎士団のレクツェイア支部に向かっている最中だ。さきほど一件もあって予定した時間より少し遅れている。初日から遅刻してしまっては格好がつかない。今はぐっと堪えて、誘惑を振り払うがごとく足早に市場を通り過ぎていく。

 市場を抜け、ほどなくして豪奢な造りの建物に到着した。

 レクツェイアの中央区に拠点を置く、魔法騎士団レクツェイア支部。

 田舎から王都を経由して、はるばるこのレクツェイアにやってきたレオルスの目的地はここだった。

 正門にいる守衛のチェックを問題なく抜け、建物の中に入る。内部も意匠を凝らした装飾品に彩られており、その格式の高さを前にして否応なしに緊張感が高まる。挙動不審にならないように気を付けながら、事前に知らされていた部屋を目指して進む。

 どうにかして目的の人物がいる部屋の前まで辿り着いた。

「失礼します」

 模様の彫られた木製の扉を開き、緊張混じりの声とともに部屋へと入る。

 入室してすぐに耳へと入るカリカリと筆を走らせる音。その音は一度も止まることなく、止めどなく流れる清流を思わせた。部屋の中には棚や机などの執務をするうえで必要と思われる最低限のものしかなく、それら全てが整然と並んでおり、この部屋を使用する人物の性格を窺い知ることができる。

「君がレオルス・ハーバントか?」

 筆を走らせる音が止まり、ペンを置く音がする。執務に没していた男は顔を上げて、怜悧な目をレオルスに向けた。

「は、はい。王都より派遣されました、レオルス・ハーバントです」

 少し上擦りながらレオルスは答える。

「そうか。まずは、王都からはるばるご苦労だった。私は魔法騎士団レクツェイア支部で騎士団長を務める、グラエム・リヴァーモアだ。来て早々ですまないが、仕事の話がしたい。そこのソファーに座ってくれ」

 グラエムは執務机の前にある応接用のソファーに座るよう指示を出し、レオルスは促されるままにそのソファーに腰をかけた。

「君、『錬金術』は知っているかね?」

 グラエムはレオルスの反対側に座ると同時にそう尋ねて、一枚の地図となにかの資料を数枚、そして契約書のような紙をテーブルの上に置いた。

「確か、魔法工業が普及し始める前に広まっていた技術だった、という覚えがありますが……」

 士官学校の講義で聞いた内容を思い出しながら、レオルスは答える。

「そこまで分かっているなら話は早い」

 手間が省けたと言わんばかりにグラエムは、満足げな表情で契約書と思しき紙をレオルスの前に突き出した。

「早い話が、君にこの錬金工房(アトリエ)を潰してもらいたい」

 グラエムから飛び出した予想外の言葉にレオルスは瞠目した。

「……意味が分からないのですが」

「はっきり言ってね、その錬金工房、邪魔なんだよ」

 さきほどの満足げな表情から一転、苛立ちを露わにし、しきりに足で床を叩いている。

 態度に出やすい人だと思いつつ、レオルスは耳を傾ける。

「君も知っているだろう? このレクツェイアは魔法工業とともに発展してきたといっても過言じゃない。だが、今やその目覚ましい発展も過去のもの。伸び悩んでいるんだ」

 レクツェイアでの魔法工業の成功を受け、そのあと続々とあらゆる都市で導入がなされ、今や魔法工業はレクツェイアだけの技術ではなくなってきている。加えて、後期からの導入になればなるほど、その蓄積されてきたノウハウを存分に発揮できるため、あとから導入した都市に後れを取る状況にさえなっているのだ。

「仰りたいことは分かりました。ですが、それがこの錬金工房となんの関わりが……」

「そこなんだがねぇ」

 そこまで言うとグラエムは口角を上げて、厭味な笑みを作る。

「錬金工房のある一帯を潰して、新たに工場を建設しようと考えている。昔からその店の店主とは何度も話し合いの場を設けてきたが、その錬金工房を中心に団結力のある地域でね。どうにも上手くいかんのだ。だから、その錬金工房さえ潰してしまえば済し崩し的にどうとでもなる、と私は考えているのだよ」

 なんの逡巡もなく告げるグラエムの言葉にレオルスは目を見開いた。

「……お言葉ですが、騎士団長。それはあまりに横暴ではありませんか」

「なぜそう思う?」

 その返答自体、グラエムという男の本質を端的に表していた。

「一帯を潰すとなれば、そこに住む人たちは家を失います」

「立ち退き後については、住居を魔法騎士団のほうで手配をするつもりだ。なにも問題はない」

「そういう問題では……。それにこの錬金工房だって、現在も店主を勤めている人がいるのではないですか?」

「少女がひとりいるな」

 思わず耳を疑う。

「今なんと」

「君と同じくらいの年齢……いや、そこからもう三歳ほど下の少女が店主を勤めている」

 今年、魔法騎士の士官学校を卒業したばかりであるレオルスの三つ年下ともなれば、十四、十五歳といったところだろうか。その歳で店主を務めていることも驚くべきことではあったが、それよりもレオルスが驚いた――いや驚きを通り越し怒りすら感じさせたのはもっと別のことだった。

「あなたはそんな齢の少女から無理やり店を奪おうと言うのですか!」

 派遣されて早々、上下関係すら忘れてレオルスは憤りを隠せずに立ち上がる。両者に挟まれた机がガタっと音を立てた。

「無理やりではない。もちろんこちらの要請に素直に応じてさえくれば、住居は手配するし、金だってそれ相応の額を用意するつもりだ。今の土地を差し出すだけで住居どころか、大金さえ手に入るんだ。これほどの好条件は他にないと思うがね」

 真顔で言ってのけるグラエムにレオルスは寒気すら覚える。

「だからといって、そう簡単に手放せるものではないでしょう」

 件の錬金工房の少女がどれくらい店の経営を続けてきたか分からないが、年月をともにしてきた店をいきなり手放せと言われても、そう簡単に決断できることではない。それはいくら大金を積まれたところで変わらないだろう。なにより、お金どうこうの問題ではない。

「確かに。これまでだって、何度か話し合いは続けてきたが、いっこうにこちらの要求は呑まなかった。だから、今回は手法を変えようと思っている。そのためにわざわざ君を派遣してもらったんだ」

 嫌な予感がする。そんなレオルスの直感は的中し、目の前の男はよりいっそう厭味な笑みを浮かべて続ける。

「君にはこの錬金工房に潜入してもらいたい。なに、君の年齢なら錬金術を学びたいと弟子入りを志願しても十分通用する。そこで君は錬金工房の致命的な欠陥を見つけてもらいたい」

 もはや目の前の男がなにを言っているのか、まるで別の言語で話しているかのようにレオルスには理解ができなかった。魔法騎士とはマナを用いて魔法を行使し、大衆のために活動する輝かしい職業ではなかったのか。彼の中で抱いていた魔法騎士のイメージが音を立てて瓦解していくような気がした。

「欠陥ならなんでも構わない。業績が振るわないとか、錬金術に使っている材料の中に危険な物が混じっているとか」

「ですが、それはあまり卑劣では……」

 実態を目にしてもなお、レオルスは己の中にある魔法騎士のイメージ、目標とする偉大な魔法騎士であった父親の姿を信じて反論する。

「卑劣? どこがだ。使い物にならない物を撤去して、その土地を有効活用してやろうと言っているんだ。それのどこが卑劣と言うのかね?」

 その返答を聞いてレオルスは悟る。ダメだ。もはや話にならない。目前の男が持つ善悪の判断は違う世界に住んでいると思うくらい醜く歪んでいる。

「それでどうするんだ。この仕事、やってくれるのか、くれないのか、その答えが訊きたい」

 その言葉を言われるよりも前にレオルスの答えは決まっていた。

――こんな仕事、受けられるわけが……。

「――君、両親がいないんだってね」

 レオルスが口を開きかけた瞬間、まるで見計らっていたようにグラエムが割り込んでくる。

「士官学校を卒業して、晴れて魔法騎士になったというのに、すぐに魔法騎士団を罷免させられたら、亡くなった両親はどう思うだろうねぇ?」

 レオルスは開きかけた口を噤む。グラエムの言うことはもっともだ。提示されている仕事は彼が魔法騎士になった最初の仕事である。それを蹴るというのは魔法騎士として職務を放棄していると同義である。もし、首にでもなったら両親に顔向けができない。

「さっきから君はなにか勘違いを起こしているようだが、魔法騎士は大衆のためにある前に、国に尽くすことを大きな目標としてやっているのだよ」

 各地の魔法騎士団は、王都にある魔法騎士団の総本山が統括している。その総本山を主軸に国をより良くするための施策を各地に散らばる魔法騎士団が行っており、日々の活動は総本山を取り仕切る聖王騎士長に逐一報告される。

 黙りこくってしまったレオルスにグラエムは冷たい口調で続ける。

「私だって、その少女に申し訳ないという気持ちがないわけではない。だが、それは国が発展するには仕方のないことだ。魔法工業地帯を増やすことはレクツェイアの、ひいては国の繁栄に繋がる。個人の善悪など関係ない。魔法騎士に求められるのはいかに国に尽くせるかどうか、それだけだ」

 グラエムが述べたことは士官学校でも教わったことだ。その当時、レオルスもそれは理解していた。理解していたつもりだった。

「で、それを踏まえたうえで君の答えを訊こう」

(そんなの、最初から……)

 レオルスは声にならない想いを胸中でつぶやく。そう。最初からレオルスに選択権などなかったのだ。

「……分かりました。その仕事、やります」

 震えた声でレオルスは承諾を口にする。強く握りしめた拳が震えているのは最後の抵抗か。

「分かれば宜しい。では、この資料は君に預ける」

 話にけりがつくと、グラエムは窓際に移動する。

「潜入と言ったが、必要な物はこちらで手配する。それに早期に決着をつけろと言わない。時間はかかってもいいから、確実に潰せる欠陥を見つけろ。なんなら――でっち上げてくれても構わないが」

 窓から外を見たまま、上機嫌にグラエムは言ってのける。

 退出するその瞬間まで、レオルスがいつも剣の柄を握る右手の拳が解かれることは一度もなかった。

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