世界の終わり

はやしはかせ

男の家は閉め切っている

 あるシステムのトラブルにより、男は家に帰ることも出来ず、土日もフル稼働で働き、帰宅したときには今日が何曜日かわからなくなるくらい疲れ果てていた。

 さすがに会社も気を遣って二日ほど休むように言ってくれたので、男は爆睡した。

 邪魔なアラームはすべてオフにした。


 起床して、朝の連続テレビ小説を見ながらトーストを焼く。これが彼の「日課」であり、働き続けて頭の中が麻痺した自分を正常に戻すために必要な手段に思えた。


 しかし、テレビに表示された時刻が八時ちょうどになっても、いつものようにドラマが始まらない。

 画面は真っ黒のままだ。

 

 五分後に画面が変わって、普段夜のニュースを担当している見知ったアナウンサーが画面に映った。

 何か大きなニュースが起こったに違いないと男は固唾をのむ。

 アナウンサーの様子がいつもと違う。

 唇を震わせ、不安そうにあたりをキョロキョロ見回している。

 何かに脅えているのか。


「国民の皆様」

 こんな切り出し方は初めて聞いた。


「太陽の使いと名乗る地球外生命体による攻撃が全世界で行われており、既にアメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチンなど主要国が壊滅状態にあります」


 そしてニュースは衝撃的な映像を映し出す。

 崩壊するビル群。なぎ倒される自由の女神。逃げ惑う人々。

 

「これは災害ではなく、戦争でもなく、裁きであります。太陽の使いは日本政府に死刑宣告という名のメールを送ったとコメントしました。この件に関して政府の見解はありません。皆逃げてしまいました。しかし、どこへ逃れようと私達はこの滅びの攻撃から逃れることが出来ません。この時間を持って我々の放送も終了となります。どうか残された時間を健やかにお過ごしください」


 声を震わせ、涙をこらえながらアナウンサーは話しきった。

 テレビを見ていた男は、起きている事柄を受け止めきれず、放送が終わったあとも食べ残しのトーストをパクパク口に入れたりした。


 死ぬのか?

 ここで、みんな?

 これが最後の晩餐?

 

 本当なのか? テレビのドッキリとか。

 いやそれにしてはあの都市の崩壊の映像はリアルすぎる。


 死ぬ。


 俺の友達。俺の家族。みんな、どこで何をしているんだろう。


「り、臨時ニュースをお伝えいたします!」

 真っ暗になっていたテレビがまた再開する


「太陽の使いから全世界にメッセージが配信されました。今から皆様にお伝えいたします。どうか、どうかメモの用意をしてください!」


 親愛なる地球国民の諸君。

 どうしてあなた達はこの日を突然のことだと考えているのだろうか。

 かねてから我々の存在をあなた達に知らせようと、メッセージを送り続けていたではないか。

 あなた達の真相や憎しみ、不寛容と親切に満ちた膨大なネットの痕跡を改めて見るといい。

 そこかしこに私達のメッセージは隠されていた。

 しかしあなた達は気付かなかった。

 時間に追われ、あなた達は見るべきものを見ていない。

 あなた達はしっかり地に足をつけて歩いていると信じて疑っていないようだが、実は流されていただけだ。

 人類が長い時間をかけて作り上げたシステムに乗っかっていただけなのだ。


 しかしすべての国民が悪と怠惰に染まっていたわけではないことが、新たな調査で判明した。

 私達は「気に入らない者はすべて殺したい」と願う野蛮な地球人のようではない。

 今から私達が話すとおりのことをしなさい。

 それは以下の通りである。

 

 一つ、私達が撒き散らす毒薬を無効化するために身を守りなさい。トイレットペーパーを体中に撒くといいだろう。

 一つ、これから世界中を凍りづけにする。温かいお湯を飲み干しなさい。二十六度から二十七度のお湯であればよりふさわしい。

 一つ、私達の介入により特殊放射線があたりを飛び交うだろう。石を使って自分の周りを囲むようにしなさい。石が放射線からあなたを守るだろう。自分だけでなく、より多くの者を守りたいと願うなら石を置く範囲を広げなさい。

 一つ、それらのことがすべて終わったら、その場で「助けてください」と叫ぶように。私達はあなた達と比べて段違いの聴力を持っているから、何処にいてもその声を聞き逃すことはない。


 男はすぐさま動いた。

 言われたとおりトイレットペーパーを体に巻き付けた。ミイラ男みたいになった。

 お湯を飲んだ。腹がパンパンになるまで飲んだ。

 温度計を使ってきちっと適温になるように調整した。


 しかし、石がない。

 近所に石がある場所はないかと考えたが、飼っていた金魚の水槽に砂利が入っていたので、つかみ取り、節分のように部屋中に砂利を撒き散らした。


 そして力の限り叫んだ。

 叫び続けるたびに涙がこぼれた。惨めで、切なくて、悲しくて泣いた。

 こんなことで世界が終わるのなら、なんで一週間以上も職場で馬鹿みたいに働いていたんだろう。

 ああ、家族は大丈夫だろうか。

 田舎に住んでいるから、石ならそこら中に置いてあるだろう。

 俺と同じようにしてくれているだろうか。


 叫び続けて喉が枯れそうになったとき、

 真っ暗だったテレビから声だけ聞こえた。


「私達がいるところから、あなた達がよく見える。

 どうして、あなた達は疑うようなことをしないのか。

 一歩立ち止まり、何が正しくて何が間違いなのか考え、判断するようなことを、なぜ行わないのか。

 私達が望むのは、くだらない嘘に騙されず、同調を強制する空気に耐える、確固たる自分を持つ、大地に根付いた人間だ。

 どんな状況に置かれようと、あんなのはでたらめだと言い切れる人が望ましい。

 紙を体に巻き付け、お湯を飲んで、石をばらまいたところで何になる。

 自分から動き出そうともせず、ただ助けてくれと叫ぶだけで生き残れる人間がこの世に一人でも居たというのか。

 私達が話したことを信じ込み、一つでもそれを行った者は私達の世界にとって無価値な者だ。

 あなた達はすぐに死ぬことになる」


「そんな……」

 男は膝を突いて倒れた。

 やれと言われたからやっただけなのに。

 それが生きるための手段だと聞いたら、泥を飲めと言われてもそうしただろう。


 それでも容赦なく地球外生命体はカウントダウンを始める。


「3.2.1、時間だ」


 それでも男は死ななかった。

 自分でもどうしてなのかわからず、戸惑った。


 もしかしたら今までのことは全部嘘ではないかと疑ったが、放送はまだ続く。


「この放送を聞いている者は力強き者だ。我々はお前達を奴隷としてではなく、友として扱うと約束しよう。昼の十二時になったら、外に出て赤く輝く石を見つけなさい。その光があなた達を私達の船へと誘うだろう」

 

「船……」


 男は慌てて自分の体にまとわりついていたトイレットペーパーを剥がそうとする。

 その時だった。

 ばたついた手足がリモコンに当たり、地面に落ちた。

 その瞬間、画面が急におかしくなった。

 映像がどんどん巻き戻って、あのアナウンサーを映し出す。


「あっ」


 男は気付いた。

 爆睡したあと、ほとんど無意識に日課をこなしていた。

 会社から帰宅して、録画しておいた朝ドラを見るという習慣を。

 ドラマ視聴時、ずっと画面左上に表示されていた朝の時間を、現在時刻と勘違いしてしまうときがあった。

 今は朝の八時ではなく、夜の八時だったと気づくのだ。


 そうだ。

 俺は、生放送ではなく録画を見ていた。

 

 だから死ななかったのだ。

 宇宙人達の意地悪な指令で世界が振り回されていたとき、俺は寝ていたのだから。


 で、あれば、今、本当の時間はなんだ?


 ようやく男はスマートフォンを手にした。

 

 日曜日の夜九時。

 母親から何本も着信がある。

 折り返してみたが、電話は現在繋がっていないという。


 男はおそるおそる外に出た。

 奇妙だ。

 夜の八時だというのに、朝のように明るい。

 月が赤く光っている。


 近所の町並みはまったく変わっていないが、しんと静まりかえっている。

 まるで世界に自分一人しか居ないようだった。

 

 そこらに死体が転がっている。

 トイレットペーパーを巻き付けながら死んでいる。


 男は寝過ごしたことで宇宙人からの裁きを生き延びた。

 しかし、寝過ごしたことで、宇宙人の船に乗り遅れたのだった。

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世界の終わり はやしはかせ @hayashihakase

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