第2話
「こんなとこで引きこもっていったい何になるのやら」
驚くほど近くで聞こえた、高くも低くもない、如実に呆れを含んだ男の声に私は大袈裟に肩を揺らす。
「誰っ!?」
本気で驚いて、反射で立ち上がった。椅子がひっくり返り、机の上のノートが落下したが、そんなことは構ってられなかった。声の方向、自分の背後にからだごと振り向くと、私と2メートル程距離をとった場所に、見知らぬ男子生徒が佇んでいて。
瞠目したまま、眺める。なんだか古ぼけた印象がする男子の制服をきちんと着こなしたその人は、詰め襟に入った線の数から判断するに、ひとつ年上の先輩にあたるのだろう。袖口にある銀色のボタンが、西日に反射して眩しくて。あんなところにボタンがあったのかなんて、どうでもいい事柄を意識の片隅で認識する。もっとも、学校の制服なんていつも見ているせいで、逆に意識に残っていないだけだ。他人のことをまじまじと、観察するなど滅多にないのだから。
そんなことよりも、
(まったく、気づかなかった)
集中すると、まわりが見えなくなるのは昔からの悪い癖だ。驚きすぎて何をきけばいいのかもわからなくなりフリーズする私をよそに、彼はすたすたと歩みよる。ひょいと、しゃがんだかとおもうと、
「あっ!」
ようやく声がでたと思ってももう遅い。床に落下したノートを拾い上げて、ぺらりとページをめくる。
(ありえない!!)
見知らぬ他人が勝手に自分のノートを見ていると言う暴挙に、心の中で思い付くばかりの罵詈雑言をならびたてるが、意味がない。私がひた隠しにしていたノートが見られていると言うことに、体がカッと熱を持った。嫌な汗がとまらない。
今すぐにでもノートを取り戻したいのに、指先が震えて動けない。
恥ずかしいーだけど、それ以上に怖い。この恐怖が何によるものなのかなんて、上手くは言えないが、居場所がなくなるような、どうしようもない焦燥だった。
「どうせ書くならもっと他にあるだろうに」
何に対する文句なのかもわからないことをいいながら、彼はページをめくる。
「散文もいいとこ。まだポエムだとか小説だとか書いてある方が救いがあるよね。好きなものだとか、楽しかったことだとか、なにこれ?盛大な自己紹介?」
そんなつもりは毛頭ない。
勝手極まる言葉にようやく意識と身体の動きが合致した。
「返してっ!」
ほとんど悲鳴のような声だった。怒りなのかなんなのかわからない感情に、息が乱れる。頭の中がぐちゃぐちゃで苦しい。
「えらく必死だね。そんなんだからこんなことになる」
指示代名詞ばかりで意味がわからない。とにかく取り替えそうと伸ばした腕をすり抜けて、彼はにやりと笑った。
「返して欲しい?」
意地が悪い。なのに私は圧倒的な弱者だ。
「っ…、ぅ」
ああもう、何を言えばこの状況は切り抜けられるのか。もともと低いコミュニケーションスキルに、こんな事態をどうこうできるものなんてない。考えているのに、思考がまとまらなすぎて、貧血が起きたみたいに頭痛がやまない。
そのときの私がどんな表情をしていたのかなんて、鏡もないこの空間ではわかりはしないのだけれど。
「いや、別にそんな表情(カオ)させたいわけじゃなかったんだけど」
彼は急に困ったように眉根を寄せた。
「ごめんね?」
いくらか低い私を覗き込むように背をかがめ、首を傾げた。
「…な、んなんですか」
かすれた声がでた。心もとなくて握りしめた制服のスカート。なんだか子供みたいな仕草に嫌になる。
「ああ、うん。やりすぎた。ごめん。別に傷つけたいわけじゃないよ。大事なノートは返そう」
傷つけたいわけじゃないなんて、ストレートな物言いを同年代にされるなんて思わなくて、余計に言葉がでなくなる。固まってしまった私をおいて、彼は言葉どおりノートを机の上においた。
「……」
「……」
そして訪れる静寂。
現実を理解することは難しいが、とにかく逃げてしまいたい。
このまま目線も合わさず、この場を去ってしまおうと、そろりとノートと鞄に手を伸ばす私に、彼はそっと嘆息した。
「重症だね」
意図が分からないが、もはや何もかもが怖くて、びくりと肩が震える。
「こんな状態でも言葉がでないとか。普通、この場で僕に何かいうべきじゃないの?」
(何かって、何……)
何を求められているのか分からない。この人は何がしたいのか。
謎の上から目線で呆れる見ず知らずの人間を前に、私は困惑した。というか、
「だれ、、、ですか?」
そして私はどうしてあなたにからまれているのですか。
「あはは、そうそう。そもそもそれを尋ねるべきだよね。ま、もっとほかにもあるだろとも思うけど、とりあえず、それで正解だ」
にんまりと、彼は笑う。
冷たそうにみえるつり目勝ちの目が、楽しげに歪む。ああ、鏡はないかと思っていたが、彼の瞳には、怯えた私が映っていた。
何も言えず、何もできず、たちつくすだけの私の姿。それってだけど、いつものことで。いつもどおりで。特筆して語るべきことなんて何もないはずで。この異質な他人のことだって、言葉をつぐんで、通りすぎるのを待つばかりであるはずだ。
なのに、そうではないと、それを伝えにきたのだと言わんばかりに、彼はひたと私を見つめて、言うのだ。
「君が、そんなのだから、僕はここにいる」
私がこんなのだから、貴方を呼んだと。
「君が、殺した言葉の全てが僕だ」
私がつくんだ言葉の全てが貴方だと。
「僕はお化け。君が亡くした言葉が生んだんだ」
亡くしたものなんて何もないよ。
想いは重く堆積するばかりだというのに。
私が生んだという彼は、
「言葉のお化け、そうだね、言化け(コトバケ)とでも呼んでくれ」
今思い付いたかなような適当な台詞でもって名乗りをあげた。
(何この人…)
頭がおかしいとしか思えない胡散臭いその人に、私は別の意味で逃げ出したくなっただけだったが。
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