言化け(コトバケ)

空言

第1話

 言葉にした途端全部が嘘みたいだ。

 どうせ正しくは伝わらないのだ。

 そもそも声がつまるのだ。

 だったら全部ないのと同じだ。


 そうやって口をつぐんだ何もかもに、私の喉は焼けつくように痛むのだ。


 ー†ー


 がやがやと賑わう教室は、人口密度のせいなのかなんなのか、息苦しくて、仕方がない。

 昼休みの喧騒は、いつも少し酸素不足で、そして少し不自由だ。

「昨日のあれみた?」

「みたみた××××!あのバントすごかったよねー。やっぱいいわ。CDの売り上げもやばいんでしょ?」

「ふふーん!あれ買っちゃった!ライブチケットほしさに。」

「まじか!?いいなー。」

「今度かしたげるよ!祈(イノリ)も好きだよね?聞くでしょ?」

 急に投げられた言葉のキャッチボール。退屈な気持ちで吸い込んだイチゴ・オレをきっちり飲み込んで、私ー神前祈(コウザキイノリ)ーは笑う。

「やった!ありがとー。次かして!」

「おっけー!」

 いつもどおりの楽しそうな女子高生の会話がそこにはあった。女子高生の会話とはこうあるべきだというくらい、お手本どおりのやり取りは、私に少しの安心と、それ以上の疲労を与える。

「そういえばさぁ、あれ、○○○○もでていたよねー。」

「あ~、なんだっけ?アコギのシンガーソングライターでしょ?ちょっと前に1曲ヒットしてたよね~。」

「そうそう!映画の主題歌だとかで。久しぶりにきいたけど、もう古いよね」

「そりゃね、やっぱり今は××××でしょ!祈もそう思うよね?」

「うん、そうだね」

「だよね~」

 あはは、と皆の声に重ねて笑い、心の中でのみ、そっと嘆息した。

(私は、いいと思うだけどな。○○○○)

 というよりも、本当のところをいうとギター音が激しいバンドは苦手であまりききはしないジャンルだった。落ち着いたアコーステックギターで奏でられた歌は、流行とは少し違うのかもしれないけれど、私の耳には何時だって優しくて心地よかった。

(なんて、言わないけれども)

 好きなものを好きだと言うこと。それだけのことを目の前の友人たちに伝えることが、私には出来なかった。一瞬瞼を伏せて、飲み込めない何かの代わりに、イチゴ・オレを口に含む。

 友人たちの中でブームとなっているイチゴ・オレは、私には少し甘すぎて。喉を張りつくような不快感に気づかないふりをしたのだった。


 ー†ー


 訪れた放課後は一日の中で唯一、開放感をもたらすものだ。

「祈~、私達今日はカラオケいくけど~?どうする?」

「ごめん、作品完成させないと」

 私の部活は美術部だ。昔から絵を描くことは嫌いではなかった。とはいえ、部活に入ることは別に必要ではなかった。絵なんてどこだって描ける。必要なのは、部活という名目と、そこに付随する時間だ。

「やっぱり?仕方ないかぁ」

 放課後の時間は何時も、私が部活に勤しんでいることを知っている彼女達は、そうすることがとても自然だというように、あっさり諦める。その自然さが私にとっては肝要だ。

 予定調和な会話を経て、へらり、と笑って謝りながら、机の上に散らかる文房具を片付ける。すると、

「祈」

 端的に私を呼ぶハスキーな声は、私のすぐ後ろからのものだった。

 聞きなれたそれは、友人グループの中でも、大人びた雰囲気をもって、一線を隔している橘瑞樹(タチバナミズキ)のものだった。グループの中で、彼女は“みーちゃん”と呼ばれている。多分に漏れず、私も同じ呼称で彼女を称していた。

「みーちゃん、なぁに」

「ん」

 すっと差し出された手には一冊の文庫本。意図が分からず一瞬きょとんとすると、ああ、と思い付いたように言う。

「これ、気になってたんでしょ?」

 首をかしげてはいるが、その言葉は断定調だ。彼女が差し出す文庫本は、確かに私が好んでいる作者の最新刊ではあったが、その口調は私をかすかに逡巡させる。

「よく、知ってたね」

 特にいった覚えはないのだけれど。

「前なんかの話で、この作家の話題になったら、あんた、興味津々だったじゃん」

 そうだったろうか。そうだったのだろう、と思う。自分の無意識は分からない。されど意識する感情は、瑞樹の言葉に納得を示した。

「うん、実を言えば」

「結構よかった。かすよ」

「え、ありがと」

 差し出された文庫本を受け取る。降ってわいた幸運は、なんだか不安定で不気味だ。それでもここは受け取るのが当然の流れだということは分かる。

「部活、いつものとこ?」

「そうだよ」

「そう、がんばれ」

 ふっと柔らかく笑みながら、瑞樹は席を立った。確か、帰宅部であるところの彼女は、放課後はいつだって自由時間だ。実際自由なのかは勿論知りもしないことだが。

 見るともなしに見送る友人グループが、彼女のこともカラオケに誘っていた。

「ごめん、パス」

 恐ろしく自然な流れで断りをいれている。理由は特に話さないが、友人達も多くは問わず、瑞樹だし仕方がないといった印象で、今は全然別の話に興じていた。

 その瑞樹の態度に私は少しの憧れを抱く。グループとは言え、自分の線引きをきっちり持っている瑞樹は、私達の中でも異質で。その立ち位置は私には真似できないものだった。

 それでも、時々差し出される瑞樹の温度を感じさせない優しさは、ちょうどよくて、心地よくて。

(やっぱり羨ましいな)

 何が正しいのか分からないこの箱庭で、彼女は正しく、眩しかった。私はその姿をしり目に、ひとり淡々といつもの場所に向かう。


 ―†―


 私の通う高校は、なんだか奇妙なつくりをしていた。普段私達が通う校舎を本校舎とし、別棟として私達が旧校舎とする校舎があった。本校舎裏手、少し離れたところにある旧校舎は、かつては生徒が賑わう、よく手入れのされた場所であったことだろう。しかし、今はひっそりと、かつてと同じ姿で佇むのみである。

 現在も、本校舎は増築中である。なんでもあと2~3年で完成で、その時にはいよいよ旧校舎が取り壊される。もっとも、およそ私が卒業した後の話であり、今の私には何ら関係はない。多くの生徒や教職員が本校舎に活動場所を移す中で、旧校舎には一部の文系の部活動の教室が残るのみである。

 全盛期の様相は全く知らない私でも、ひとすくいのノスタルジアを味わう古くも泰然とした旧校舎は、私の放課後での活動場所だ。旧校舎の美術室は、一応私達の部室として届け出がだされているが、個人プレイな美術部においては、各々が好き勝手にキャンパスを広げている。つまり、一同が会する機会はほぼなく、そもそも実情としは幽霊部員が主流であるということだ。

 その適当さかげんに甘んじ、むしろ望む形で私は所属している。四階にあるかつての音楽室が私のテリトリーである。

「さて、やりますか」

 何時ものようにキャンパスを広げる。絵を描く場所はどこでもよいのだが、私は常に音楽室で行っていた。吹奏楽部の部室は本校舎にある音楽室であり、旧校舎のこの場所は忘れ去られたみたいにいつもひっそりとしている。楽器等の備品は多分本校舎に持ち出されたのだろう。古ぼけた机や椅子、ベートーベンの絵、そしてうっすらと埃が堆積し、白っぽくなったグランドピアノ。それだけがこの空間に残されている。

 掃除が行き届いていない音楽室の空気は埃っぽくて、ベランダに続くガラス扉を開け放つ。揺れるカーテンと扉の向こうにある囲われた空。ここから見る夕焼け空は私の一番のお気に入りだ。

 ひらけた空のほうが一般的にはよいのだろうけれど、私にはここから見える狭い空がちょうどよかった。柔らかな風が頬を撫でて、ようやく息ができたような気分になる。私が手にできるのは、私が大切にできるのは、これくらいのものだ。これくらいが充分だ。

 この景色をうつしとりたいとふと感じ、今の私の絵はオレンジの空の絵だ。あの複雑な色合いを、あの温かさを、表現するのには時間がかかりそうで。完成には程遠い。

 そこまでの熱心さを持ち合わせるでもなく、惰性で描く絵なので、実のところは完成を急ぐものでもない。淡々と無心になるこの時間が、どうにか私の日々をまわしているだけだ。

 暖色をパレットに複数だし、さまざまな色を重ねていく。結果よりも過程を愛す、その作業工程。聴覚の片隅は本校舎の方から聞こえる生徒達の騒めきを捉えながらも、まるで世界でひとりきりなんて、そんな安っぽい錯覚を抱かせる。

 私と世界との距離感はたぶんこれくらいがちょうどいいのに。教室の中にいる私はいつだって、他人との境界線が見えなくて、どうしたらいいのか分からなくなるのだ。

「あ、もうこんな時間か」

 一息をつき腕時計を確認すると、下校時間30分前を指している。忘れられたような旧校舎も、実際に忘れられているわけではないので普通に見回りはやってくる。簡単に画材を片付けながら、私にとって大切なもうひとつの習慣を行うためにスクールバッグを漁る。

 鞄の奥底にいれているのは、手帳サイズのノートである。私はそれに日々の言葉を綴っていた。

(今日、あったことは…)


 イチゴ・オレ―甘すぎて、もういらない。

 ○○○○―アコギと優しい声が好き。

 瑞樹がかしてくれた本、大好きな作家。


 散文だ。日記ですらない。文章と呼ぶには稚拙な短文の集合体。私が飲み込んだ全て。

 いつだったか、自分の伝えたいことが、伝わらないことに嫌気がさした。この声で言葉にした途端、言葉は空気中で霧散したみたいに、薄っぺらになってしまうように感じた。それを受け取る側の問題だなんで割り切れるほど、傲慢になることもできず。ただ、何もかもが正しくないと、漠然とした諦観だけが残った。

 とはいえ、そもそも薄っぺらなのは私の方であることはちゃんと分かっていた。諦観を押しのけるほどの熱量がないのだ。ただそれでも、伝えたい相手にうわ滑っていくだけの自分の気持ちを消化しきることができなくて。放った言葉は私の想いを上手く届けず、全部が全部嘘みたいで。

 正しく―嫌気がさした。それ以上の言葉はなかった。

 そんな中、ふと目についた真っ白な紙に何かを記したい衝動にかられた。気づけば一日の中で、面倒になって言わなかった多くを綴るようになっていた。そこに記された言葉の羅列は多分不完全で不十分だけれども、少なくとも嘘にはなっていないと感じたのだ。

 そうして毎日こっそりと、私はノートに言葉をつづる。想いをつづる。好きなもの、嫌いなもの、うれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと。言わない何かがなかったことにならないように、忘れてしまわないように。

 ほぉ、と一息をつく。肩の力を抜いて、安堵する。人には話せないし、誰にも言う気もない。一連の流れが根暗で気恥ずかしいものであることは私だってちゃんとわかっているのだ。

「帰りますか」

 一度伸びをして、座ってた椅子から立ち上がる。こうして今日も一日は終わる。いつものように、いつものごとく。そのはず、だったのに。


「いったい何をしているのか思えば」


 その声は唐突に。安寧の空間に傍若無人に入り込んだのだ。





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