友達=監視者

ひしひしと突き刺さるような視線を感じる。

あの日から向けられるようになったその視線は今まで花子を取り囲んで嫌がらせを繰り返していた主犯格達からの物。いつもならもう花子の前には初乃を含む三人ほどが並んで嘲笑と侮辱を繰り返している時間にもかかわらず、今日も彼らは花子の斜め後ろ、初乃の席の辺りから不満気にこちらを見ながら文句を呟きあっている。持ち物や上履きに嫌がらせを受けることは続いていたが、執拗な言葉の暴力を直に受けずに済んでいることに関しては助かったといって過言ではない。

もしこの状況を作り上げた張本人の正体を知ってさえいなければ、花子も素直にこの状況を喜ぶことができていただろう。

「ねぇ、園田さんって休みの日とか何してるの?なんかイメージつかなくてさー。」

「え、ええと……基本的に家の事、してるわね……。料理とか……。」

「料理できるんだ。すごいなぁ、私全然料理とかはできないから尊敬しちゃうよ。」

自分の机の前に座り笑顔で話しかけてくる『友達』の顔を直視できず、少し視線を逸らしてぎこちなく相槌を打つ。随分と楽しそうなこの声は本心からの声色なのか一般人を装うための演技なのか。あるいは両方なのだろうか。

直接初乃達からの視線が突き刺さっているのはどちらかといえば七華のほうなのだが、七華本人の様子を見る限りそれを大して気にしているようには思えない。一体何を思いながらこうして自分に話しかけているのだろうか。その様子を見ながら、三日ほど前のやり取りをぼんやりと思い返していた。




「はい、これ。」

時を遡り、すっかり日も暮れてしまったあの日の路地裏。二千円と引き換えに差し出された小さな機械をぎこちない手つきで受け取った。

見慣れない形状のその機械と七華のほうを交互に見る花子の様子から「これは何か」という無言の問いに気づいたらしく、七華はその機械について軽く説明を付け加えた。

「盗聴器だよ。それ、絶対肌身離さず持っておいてね。防水機能まではついてないから風呂まで持って入ったりはしなくていいけど。」

「と……!?な、なんでそんな物持って……!」

「世の中何が起きるかわかんないし、念の為に持ち歩いてたんだよ。……それとも、嫌なの?」

「っ!!」

すっとポケットの中のナイフに手を伸ばす七華を見てぶんぶんと首を横に振る。今この状況で七華の出す条件を断るほど馬鹿ではない。そんなことをすればすぐに首を切り裂かれる羽目になるだろう。

とはいえ、今日すぐには監視体制が整うとは思っていなかったことは事実。もしも猶予があれば今日のうちに警察に連絡できるかもしれない、そうすれば完全に死の恐怖から逃れることもできるかもしれない、などと考えていたのだが、こうなってしまったからには素直に七華の出す条件に従うしかなかった。落胆する心中を察してか否か、殺人鬼は少し愉しげに口角を上げる。

「そう。


 ――じゃ、明日から友達としてよろしくね。」


「え?」

……約二年間、孤独な日々を過ごしてきた花子にとってその言葉――『友達』という単語は、この上なく魅力的な響きだった。しかしそれを口にしたのはつい先ほどまで自分を殺そうとしていた殺人鬼。そうでなくともかつて心を許しあった友人に見捨てられた過去を持つ花子には、その言葉を簡単に受け入れることはできなかった。

「もちろん、君が学校全体規模でいじめられてるって事実を忘れたわけじゃないよ。」

嫌な現実を叩きつけられる。

だが実際、その通りだった。自分が『死にたい』と思わなくなったところで初乃達からの嫌がらせは今後も続くに違いないし、母からの自分の扱いが変わるわけでもない。もし今日の子の出来事を母に報告したとしても、あの母親が自分を助ける為に何か動いてくれるとは思えない。初乃達にこの出来事が知られたところで、自分に同情して嫌がらせをやめてくれたりするわけがない。

一層暗い表情になる花子をよそに、七華は淡々と続けた。

「いじめの被害者としてあんなに有名になってる君と関われば当然目立つけど、目立つと注目を浴びるし、注目を浴びるといろいろデメリットもある。あの主犯格……四宮さんだっけ?あの子からももしかしたら攻撃されるかもしれないしね。」

「だ、だったら、盗聴器もあるんだから、わざわざ私と直接関わらなくたって……」

「お金。……払ってくれるんでしょ?」

ずい、と唐突に至近距離に現れた七華の顔。咄嗟に身をひきつつ、今度は首を縦に振って肯定の意を示す。

「はっ、払う、払いますっ!」

「じゃあ、その受け渡しの為に定期的に合流しなきゃいけないよね?そうなると『他人』のままじゃやりにくいじゃん。適当な理由で待ち合わせしてそこでこっそり受け渡しするほうが自然じゃない?

 それに、僕も四六時中君に張り付きっぱなしにはなれないからそれも渡してはおくけど、盗聴器だけじゃ見張ってる感じしないんだよね。やっぱり直接監視するほうが確実だし。」

監視されることに関しては自分の命と引き換えならば仕方がないと思っていたが、まさか殺人鬼だと判明した相手と継続的に直接かかわり続けなければならないとは。どうにか反論してそれだけは避けたいと考えるも、上手い言い訳が思いつかず黙り込んでしまう。そんな花子の姿を眺める七華の笑顔はやはりどこか残酷で。その笑顔のまま、とどめの一言を付け足した。

「そうなると『友達』っていう関係は監視に最適だと思わない?」




『というわけで、『友達』として君へのいじめは積極的に妨害しにかかるから。』

そのやり取りの翌日、いつも通り花子を取り囲んでいた初乃達を「園田さんに用事がある」という口実で追い払った七華はその後も休み時間のたびに花子のもとに現れ、今も現在進行形で初乃達を花子に近づけないようにし続けている。最初は教室中の生徒から奇異の視線を向けられていたが、三日目となれば七華と花子の様子を伺う視線も徐々に減ってきていた。

制服のジャケットの内ポケットにしまった盗聴器入りの袋。その存在を確かめるかのように無意識に制服の胸元を握りしめていた手に気づき、そっとその手を机に下ろした。減ったとはいえ、まだこちらの様子を怪訝そうに伺う目は多い。些細な仕草の一つ一つすらじっくりと観察されているような気がして、居心地の悪さを感じていた。

「(……四宮さんのほうこそ、この子に目をつけられてしまえばよかったのに……。)」

それはこれまで初乃にこっ酷くいじめられてきた花子にとっては当然の思いだったかもしれない。それでも、自分は幸せになりたいと願いながら人の不幸を願ってしまったことに気づいた時、花子は自責の念を感じずにはいられなかった。

「(……こんなこと考えるような人間だから、今こんな状況になっちゃってるのかしら……。)」

「……ねぇ、あんた。」

突然近くで聞こえたその声は先程まで少し離れたところで聞こえていたはずの初乃の声。敵意を隠そうともしないその声色は、自分の心の声が漏れていたのではないかと思う程で。しかし怯えながら顔を上げれば、その鋭い視線は花子ではなく七華のほうに向けられていた。

ああ、ついに来たかと息を呑む。このいじめっ子は、自分がこんな高圧的な態度で話しかけている相手の正体が殺人鬼であるなどとは夢にも思っていないだろう。彼女にとって七華は自分の娯楽の一つを奪った邪魔者でしかない。あの契約の時にも予測していたとおり、その邪魔者を排除しに来たのだろう。いじめが始まった頃、かつての友人達もこんな風に警告を受けていたことを思い出す。彼女らは初乃を、正確にはその周りの人間全てを敵に回すことを恐れてあっさりと彼女に従った。

それを自覚しているのか、七華に話しかける初乃の態度には苛立ち混じりながらもどこか相手を馬鹿にしたような様子が見受けられる。

「ん?何?」

「あんたさぁ、ここ最近ずっとこいつと一緒にいるよね。何のつもり?」

「何のつもりって……」

困ったような表情で初乃のほうを見上げ、一度視線をこちらに向け、そして戻す。その仕草はこの状況を想定していたとはとても思えない程自然だったが、そこにかつての友人が浮かべていたような恐怖や焦りの色は見受けられない。

それを七華が状況を理解していないが故の反応だと読んだらしい取り巻きの一人が、花子を指さし馬鹿にするように笑った。

「こいつが何て呼ばれてるか知らないわけ?『トイレの花子さん』、だよ!こんな暗くてキモい奴と楽しそうに話してんの、マジで神経疑うんだけど―。」

「あんたと話してるの聞いててもコイツ超どもってるし。こいつの声聞くだけで不快な気分になるからさぁ、こいつと会話すんのやめてくれない?」

二人が言い終えるころにはクラス中の視線がこちらに向けられ、初乃は「これでこいつも花子から離れるに違いない」と確信したのかニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。しん、と静まり返った教室の中できょとんと目を丸くしている七華。その表情のどこまでが演技なのかわかったものではない。さすがにこの大衆の面前で殺すようなことはないだろうと思いながらも、殺人鬼の思考など自分には見当もつかない。だからこそ、七華が笑顔を浮かべてゆっくりと立ち上がった時、彼女があの日自分を殺そうと向かってきたときの事を思い出して全身の血の気が引くような感覚を覚えた。

「お、小野里さ――」

咄嗟に彼女の名前を呼ぶ。しかし、それを無視した七華の口から飛び出したのは自分が今まで誰よりも彼女たちに聞きたかった質問だった。

「そっちこそ、なんでそんなに園田さんのこと目の敵にしてるの?」

「は?」

はっとして初乃のほうに視線を向ける。自分の追い求めてきた答えをやっと教えてもらえるのだろうかという期待を込めて。

しかし予想外の問い返しになんとも言えない不思議な表情を浮かべた彼女が口にした答えはあまりに抽象的で、今までにも散々言われてきた罵倒の言葉が並べたてられていくだけだった。

「なんでって……視界に入るだけでうざいし、キモいし。目障りだからに決まってんじゃん。」

「じゃあなんで毎日毎日わざわざ園田さんに自分から近づくのさ。視界に入れたくないんでしょ?遠ざける理由はあっても近づく理由はなくない?」

「声が聞こえるだけでも不快なのよ。」

「これだけ人数がいる学校で、意識して聞かなきゃ一人の声なんてそんなに目立たないじゃん。ちょっとくらい我慢すれば?」

「……なんで私が『トイレの花子さん』の為なんかに我慢しなきゃいけないわけ?そっちが学校に来なくなればいい話でしょ!?」

「その言葉、そっくりそのまま返すよ。なんで園田さんが君たちの為に学校やめなきゃいけないのさ。」

「っ……何も、何も知らねぇくせに偉そうに言ってんじゃねぇよ!!」

「うん、知らないよ、君達の事情なんて。そもそも転校してきたところだからね。」

徐々にヒートアップする初乃と、淡々とした様子で言葉を返す七華の激しい言葉の応酬。先程花子を笑った取り巻きの生徒もそこに混ざる。間近で聞いている花子のほうが席を立ちたくなってきたところで、初乃が思い切り花子の机を叩いた。ばぁん、という大きな音が教室に響き、花子がびくりと体を縮こまらせた。

「なんでそんなに躍起になってこいつの味方するわけ!?素直にさっさとこいつから離れればいいでしょ!?」

「だから、『知らないから』だよ。」

「はぁ!?」

今までに見た事がないほど完全に激昂した初乃。それでも七華は一切動じた様子もなく、きっぱりと真剣な顔で言い返した。

「私が知ってる園田さんは、こんなに大勢に敵視されるようなことをするほど悪い人じゃないんだよ。うざいとかキモいとか声が不快とか、少なくとも私はそうは思わないし。『トイレの花子さん』なんて言われるほどずっとトイレにこもってるわけでもない。強いて言うなら名前ぐらいでしょ?いじめの標的にされるだけの理由もわからないのに、ただ周りに言われるがまま従って、嫌いでもない園田さんの事いじめたくなんかないんだよね。」

……それは、花子にとってあまりに理想的な答えだった。

かつての友人たちがこうして立ち向かってくれていたら、どれだけ自分は救われていただろう。自分の現状はどれだけ変わっていただろう。

しかし目の前で今その言葉を吐いたのは自分を殺そうとした殺人鬼で。『友人』の振りをしているに過ぎない脅迫者で。

期待などしても無駄だと、所詮は上っ面の言葉にしか過ぎないはずだとわかっているのに。――わかっているのに、嬉しいと思ってしまう自分がいた。

「――あ、そう。」

ガンッ!!

急に温度の下がりきった初乃の声と共に花子の机が大きな音を立てて横へ動いた。蹴られた机の脚が自分の足にぶつかりそうになるが、すぐさま七華が机を押さえてそれを防ぐ。びり、とより一層張り詰めた空気。あまりの恐ろしさに一度俯かせた顔を上げることもできなくなった花子の頭上で、これから長く続くであろう二人の争いの火蓋が切られていた。

「やめなよ、君が怒ってるのは私に対してでしょ?八つ当たりはかっこ悪いよ。」

「うるさい。こいつを庇うからにはあんたも私の敵よ。絶対、二人とも潰してやるから。」

真顔でしばらく睨み合いを続けていた二人だったが、やがてチャイムが鳴って初乃は取り巻きと共に七華に背を向けて自分の席へと戻って行った。

「……園田さん、じゃあ、また後で来るから。」

「……っ、え、ええ……。」

険悪な空気を放つ二人が自分の近くから居なくなり、周囲の視線も七華が出ていったドアや初乃の方へと散らばっていく。それでも花子は、しばらくの間肩の力を抜くことが出来なかった。

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