鏡像の血潮

下村アンダーソン

鏡像の血潮

 はっきりそうと聞かされたわけではない。でも私が、切り取られる側だったに違いない。


 姉といつも一緒だったときのことを思い出す。いつも、というのは文字どおりの意味で、私たち姉妹は二十四時間、お互いにくっついて過ごしていた。どこからどこまでが私のもので、どこからどこまでが彼女のものなのか、当時はふたりとも分かっておらず、漠然と「私たち姉妹の体」と認識していた。相手が考えることや望むことは、言葉にせずとも何となく分かったから、それで困ったという記憶もない。

 まったく幸せだった。腰から下を分け合っていた頃は。

 当時、私たちには名前がひとつしかなかった。生まれてきた時点では普通だったのか、それとも周囲からも私たちは同一の個体に見えていたのか、そのあたりの事情はもはや知るべくもない。長らくひとつの名前で呼ばれて、一緒に返事をして、それで何ら不都合がなかった、というのが私の認識だ。姉のほうもきっと同様だったと思っているが、こちらもやはり確かめるすべはない。

 切り離そう、と持ち掛けてきたのが誰だったか、今はもう覚えていない。

 このままでは死んでしまうと見做されてのことなら、まだ良かったと思う。しかし私たちは元気いっぱいで、死などという概念とは間遠い生き物だった。夏の盛りに住んでいるようだった。

 切り離す話になったのは、姉と私が別個の存在であると、その誰かが主張したからだった。ふたつの人格をひとつの体に押し込めておくのは気の毒だと、熱弁を振るったからだった。

 まったく迷惑な話だ。しかしその馬鹿げた演説は、思いのほか多くの賛同を得たらしい。私たちは寝台に横たえられ、麻酔で眠らされ、目覚めたときには半分になっていた。

 いや、半分というのは適切ではない。残ったのは彼女で、切除されたのが私だった。

 私は一夜にして、魂以外の大半を失った。椅子に身を沈めているばかりの存在と成り果てた。

 そのとき初めて、私たち姉妹は「対面」した。私がずっと見てきたのは、彼女の一部分にすぎなかったのだと知った。

 姉は、嫌悪感に満ちた目で私を見下ろしていた。眼前の私が、かつて自分の一部であったことが信じがたい、といった顔だった。はっきり口に出しこそしなかったが、私には彼女の胸中がはっきりと分かった。

 その日から、私たちの名前は、姉だけのものになった。

 私という寄生虫の軛から解かれた姉は、日に日に美しくなった。ふたりでは決して着られなかった服を着て、ふたりでは決して出掛けられなかった場所へと出掛けていった。

 姉は私以外の友を作り、笑い、恋をしたのだと思う。私に運を、力を、美貌を、吸い上げられることのなくなった姉は、自身にふさわしい人生へと脱出したのだ。

 一方の私は、あらゆる感覚が鈍化して、澱んだ泥のような生き物になった。

 お前と別れられてせいせいした、と姉はよく私に言った。お前みたいな化物が引っ付いていたのかと思うとぞっとする。お前のせいで、子供の頃はずっと不幸せだった。お前なんか、存在しなければいいと思っていた。

 こうした記憶の改竄を、私は責める気になれなかった。私が彼女の立場なら、間違いなく同じことをしたという確信があったからだ。一緒だった頃を幸福な過去として思い返せるのは、私が切り離された側だったからだ。

 腰に、お前の痕跡が残っているのが不快で堪らないよ。この醜い縫い目。

 姉はときおりそんなふうに癇癪を起して、私を蹴りつけたり、ナイフで肌を切り裂いたりした。本気で殺そうとしていたわけではないと思うが、傍目には凄絶な暴力であったかもしれない。しかし汚泥のような存在である私は、たいして意に介さなかった。

 痛覚というものの存在を、長らく忘れていた。姉から切り離される際には麻酔を施されたわけだから、当時は痛みという概念が存在していたことになる。精神の痛みに関しても同様だ。どうやら私はそういった一切を、姉の中に置き忘れてきたようだった。

 私は頻繁に鏡を見るようになった。古く大振りな姿見が、我が家にはあった。

 不思議なのは、どれだけ真剣に眺めてみても、映っているのが姉であることだった。あるいはふたり一緒だった頃の私。つまりは美しく健常な存在が、鏡の中の世界からこちらを見返しているのだ。

 鏡の中の光景を、自身の願望の投影、すなわち幻覚と切り捨てるのは容易い。しかし鏡は真実を映し出すものだ――とどこかで聞いたのを、私は覚えていた。

 こちら側の私は、どうやら存在するべきではないらしい。私のいない世界だけが正常であり、すなわち姉は初めからひとりで生まれてきたものとして、扱われるべきなのだ。

 なにしろ痛みを感じないので、躊躇う必要もなかった。私はナイフを――姉がさんざん私を傷つけるのに使ってきたナイフを取り上げ、鏡で位置を確認しながら、丹念に体を切り刻みはじめた。

 咽を裂いてしまえば簡単だろうという認識はあったが、どうにも上手く手が動いてくれない。血溜まりの中を転げながら、目に見える箇所だけをひたすらに切った。

 どのくらいそうしていたことだろう。何をしてるの、という叫び声が、私の耳朶を打った。

 扉が乱暴に開き、姉が駆け込んできたかと思うと、私の手首を蹴りつけてナイフを取り落とさせた。息を荒げながら、私を罵倒する。気狂い、気狂い、と連呼して。

 まったく訳が分からなかったが、私はそのとき、生れて初めて姉が泣いているのを見た。

 姉が首を吊って死んだのは、その翌日のことだった。

 遺書は見つからなかった。幸福のさなかにあったはずの彼女が、なぜ自ら死を選んだのか。あるいは他殺ではないかとも囁かれたようだが、状況ははっきりと、彼女自身で首を括ったことを示していた。姉は、ただひとりで死んだのだ。

 姉が亡くなると、我が家には幾らかの金が入った。私はその分け前を貰って、ひとりで暮らしはじめた。

 姉がいなくなった途端、私の肉体は急速に健常さを取り戻そうと決めたようだった。足腰が立つようになり、背筋は伸び、手先も繊細に動くようになった。顔色も、ずいぶんと真っ当になったような気さえする。

 本当に久しぶりに、私は姿見を覗いた。かつての自宅から譲り受けてきた、あの鏡だ。真実の鏡。

 ああ、そうなのか、と思った。映っているのは私なのだった。かつての私。姉から切り離された私。汚泥のような私。

 鏡の中の私は、まったくの無表情のままでナイフを握っていた。逆手で不器用に持ち上げ、切りつける――反対の掌を。

 掌が焼けた。こちら側の私はそう感じた。ずっと忘れていた――これが痛みだ。

 私が、姉の中に置き去りにしてきた感覚だ。

 現実の体は何一つ傷ついているようではないのに、痛みだけは、丁寧に、執拗に、余すことなく、伝わってきた。それでも鏡から視線を逸らすことができない。かつて自分で成した丹念な仕事を、脂汗を滲ませながら凝視しているほかなかった。

 何してるの、という叫び声を、薄れゆく意識の中で聞いた。ナイフが床に落ちる音。

 やっと分かった。姉さん、あなたはずっと、この感覚を肩代わりしてくれていたのだ。あなたは何一つとして、幸せではなかった。私が泥沼の底で意識を眠らせているあいだも、あなたはずっと、苦悶しつづけていたのだ。

 分け合えるものなら、分け合いたかったことだろう。理解してほしかったことだろう。しかし私は精神の殻を閉ざして、あなたのどんな声も、聞くことはしなかった。

 まったく愚かだった。幸せだったのは、私のほうだ。

 意識が戻ると、私はその足で、ロープを買いに行った。たぶんナイフよりは、痛みが少ないだろうから。姉もきっと、同じように判断したに違いない。

 もう一度、姉と一緒に生まれなおせたなら、今度は彼女が切除される側かもしれない。そうなれば私は彼女に苛立ち、嫌悪し、踏みつけ、切りつけることだろう。お前など存在しなければよかったと、叫ぶことだろう。

 鏡の前で血にまみれる彼女の手首を、蹴りつけることだろう。ナイフを取り落とさせて、彼女には理解できない涙を流すことだろう。

 結び目に首をくぐらせて、私は目を閉じる。決して伝えることの出来なかった言葉を、唇が紡ぎ出す。

 ありがとう、姉さん。

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鏡像の血潮 下村アンダーソン @simonmoulin

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