3/トレロ・マ・レボロ -19 どうして

 目的地であるアルクハルヴァ神殿は、トレロ・マ・レボロの東県に横たわるアルクハンナ山脈のふもとにあると言う。

 神殿の傍には数十名の亜人が暮らす隠れ里が存在し、その集落をハルヴァと称した。

 道理で誰に聞いてもわからなかったはずだ。

 存在そのものが秘匿されていたのだから。

 俺たちは、首都マウダンテトから、東へ東へと騎竜車を走らせた。

 急ぐように。

 そして、逃げるように。

 夕刻を過ぎ、闇が纏わりつき始めた頃、俺はようやく騎竜車を街道沿いに停車させた。

 騎竜の周囲に杭を打ち、客車内へと戻る。

「……確認したいんだけどさ」

「おん?」

 剣の手入れをしていたアーラーヤが顔を上げる。

 その様子を見ていたクロケーとヤガタニも、同じくこちらを振り向いた。

「料理できるやつって、いるか?」

「あ」

「アッ」

「あー……」

 三人が三人とも、自分以外の誰かへと視線を送る。

 それだけでわかってしまった。

 これまでの旅路で味わってきた食事は、すべて、プルが用意してくれていたものだ。

 あの子の存在の大きさを再確認する。

 これからも、当たり前だと思っていたはずのことが当たり前ではなかったと気付くことがあるだろう。

 そのたび、プルの、ヘレジナの、ヤーエルヘルの価値を、改めて知るのだ。

「……まあ、そら焼くくらいならできるぜ? 塩でよければ味付けもな」

「オレもそんなモン……」

 ヤガタニが目を逸らす。

「私は、はい。その。はい。こうして外に出たのも久し振りですので、勘定に入れないでいただけたら」

「なら、アーラーヤとクロケーだな。適当に頼めるか? 俺はそもそも魔術が使えないしな」

「ナラ、オレがサッとこしらえるよ。味は保証しないケド……」

「ああ、頼むわ。贅沢言わんから適当にな」

「任せた」

 俺は、一階の天井を見上げた。

 視線の先でヘレジナが眠っている。

「ヘレジナは、どうする? まさか飲まず食わずではいられないだろ」

「そうだな。果実と野菜と蜜か何かで流動食なんか作れればいい。味も気にしなくていいしな」

 ヤガタニが、一歩前に出る。

「では、それは私が作りましょう」

「……大丈夫か?」

 なんか不安だな。

「心配は不要です。私はこれでも魔力マナの制御に長けています。調理術は無理でも、そのくらいは可能でしょう。もっとも、ヤーエルヘルのような潜在魔力マナはありませんが……」

「なら、そっちはヤガタニに頼んだ。材料はそこらの樽と革袋に入ってるから、適当に使ってくれ。俺はヘレジナの様子を見てくる」

「異常があったら呼べよ」

「言われなくても必死に叫ぶさ」

「だろうよ」

 アーラーヤが苦笑し、肩をすくめる。

 俺は、梯子を一段ずつ上がり、ヘレジナが床に伏す二階を訪れた。

 寝息が聞こえる。

 たったそれだけのことで、胸を撫で下ろしたくなる。

 灯術の明かりのない真っ暗な二階で、手探りで雨戸を開く。

 月の光が、かすかに差し込む。

「……ヘレジナ」

 ヘレジナのベッドの傍で、そっと膝をつく。

 彼女の手を取り、頬擦りをすると、体温がしっかりと感じられた。

 ヘレジナは、生きている。

 まだ生きている。

「昨日のこと、覚えてるか……?」

 意味はないのだろう。

 届くはずもないのだろう。

 だが、俺はヘレジナに話し続けた。

「……プルのやつが、さ。俺のベッドに勝手に入ってきて、ヤーエルヘルはずるいだのなんだの騒いでたよな。そんで、お前はお前で仲間はずれはイヤだーなんて言いながら、プルの真似してさ。しかし、あいつもおねだり上手だよな。毎日、交代で、俺と一緒に寝るんだって勝手に決めちまって」

 声が震える。

「……なんで、あいつ、ここにいないんだろうな。あいつの番、……なのにな」

 涙が溢れる。

 大切だけど照れくさくて、幸福だった昨日までの日々を思い返す。

「明日は、さ。お前の番だったんだって。はは、三十歳と二十八歳が同衾してたら、それ冗談じゃ済まないっての。まあ、十五歳は十五歳でまた別の問題があるけどな」

 ヘレジナの髪を手櫛で梳く。

「……ヘレジナ」

 すこし指通りが悪かった。

「ヘレジナぁ……」

 ヘレジナは答えない。

 そっと、呼吸に胸を上下させているだけだ。

 あんなに悪かった寝相も、今は綺麗なものだった。

 だけど、それが悲しい。

「……プルを連れ帰って、お前が目を覚ましたらさ。雪が見たいな。みんなでさ。知ってるか、ヘレジナ。こっちの世界には雪合戦ってのがあって──」

 俺は、ヘレジナに話し掛け続ける。

 誰のためでもない。

 ただ、そうしなければ、壊れてしまいそうだっただけだ。

「──カタナ、サン」

「ん……?」

 振り返ると、クロケーが、梯子の穴から顔を出していた。

「ゴハン、できた。肉、焼いただけダケド……」

「ああ」

 俺は、ぐしぐしと涙を拭い、立ち上がった。

「ありがとうな。今、行く」

「ウン」

 ヘレジナの頭をそっと撫でたあと、クロケーに続き、梯子から一階へと下りる。

 一階に満ちる羊肉特有の香りが、俺の空きっ腹に見事に直撃した。

 羊肉のステーキだ。

「──おお、すげえ美味そうじゃん!」

「ホント、焼いたダケだからな! 期待スンナよ!」

「謙遜することないのに。なあ?」

 アーラーヤが素直に頷く。

「ああ。正直、焦がしてねえだけで俺は及第点出しちまうぞ。調理術みたいな細かい制御、苦手なんだよ……」

 アーラーヤは、基本大技だものな。

 だからこそ強いのだが。

 そこで、ふと気が付いた。

「……?」

 周囲を見渡し、気付く。

「あれ、ヤガタニは……?」

「集中したいとか言って、外に出たぜ。そこらにいんだろ」

「なら、ちょっと呼んでくるわ」

 首都マウダンテトから、かなり離れた。

 今ならば危険もないだろう。

 わかっているのだが、どうしても心配が先に立った。

「ナニしてんだろうな。果実と野菜、砕いてグチャグチャにして、水とか混ぜるだけだと思うケド……」

 クロケーの言葉を背に、客車を出る。

 ヤガタニの姿はすぐに見つかった。

 灯術の明かりの真下で立ち呆けている。

「……どうした?」

「ああ、カタナさん」

 ヤガタニが振り返る。

 その手には鍋があり、中には茶褐色のドロドロとした液体が入っていた。

「なんだ。流動食、普通にできてんじゃん。てっきり大失敗してるもんかと……」

 ヤガタニが不満げに鼻を鳴らす。

「言ったではありませんか。私は魔力マナの制御に長けている、と。この程度はお茶の子です」

「悪い悪い」

「ただ……」

「ただ?」

「まともに魔術を使うのが久し振りだったので、いちおう、ハネても大丈夫なように外に出ただけです。いちおうですよ、いちおう」

「なるほどなあ」

 ふと、疑問が湧いた。

「ヤガタニ。お前が魔術を使うのって、どれくらいぶりだったんだ?」

「そうですね。かれこれ二十年は。トレロ・マ・レボロを出奔して、ネルさんが一度命を失うまで、あの子は安定していました。ずっと出ずっぱりで、私の出番はありませんでしたから」

「……ヤーエルヘルのときの記憶はあるんだよな」

「ええ、私には。ですが、逆となれば話は別です。私のときの記憶は、あの子にはほとんど残りません。私の存在も知らないでしょう。夢を見るように、断片的な記憶はあるかもしれませんが」

「そうか……」

 話を聞くに、やはりヤガタニが主人格なのだろう。

 ただの二重人格とも思えないが、仮に主従があるとすれば、ヤーエルヘルが従の存在であるように思える。

「──ああ、そうだ。クロケーが羊肉を焼いてくれたぜ。冷めないうちに食おう」

「はい」

 俺たちは客車へ戻り、羊肉のステーキを必死に食べた。

 火の通りもよく、美味だった。

 でも、どうしたって、プルの料理には見劣りしてしまう。

 作った当人であるクロケーですらそう思っているのが、手に取るようにわかった。

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