3/トレロ・マ・レボロ -15 五ヶ月前に殺した男

「パレ・ハラドナの皇巫女は、世界で唯一、エル=タナエルの神託を下賜される。皇巫女だということは、産まれた直後にすぐわかる」

「う、……うん。赤ちゃんのときにだけ、銀輪教の紋章、……糸車の紋章が、体のどこかにあるから。成長したら消えちゃう、……けど」

「ええ。でも、糸車の紋章は、わたしにも、プルクトにもなかった。エル=タナエルの皇巫女は、今代、存在しないの」

「……ど、どうして!」

「それがわかれば、翻弄されたりはしなかった。ただ、エル=タナエルの皇巫女が存在しないのは厳然たる事実」

「で、……でも、お爺さまが亡くなったときだって……」

「それでも、神託は存在するのよ」

「……?」

 アーラーヤが、小指を耳の穴に突っ込みながら言った。

「まどろっこしい言い方、やめにしようや。スパンと言ってくれ」

「……そうだね。それが、姉としての最後の優しさかもしれないものね」

 そして、ハルユラが言った。

「エル=タナエルの糸車の紋章は、わたしたちには宿らなかった。でも、わたしに宿ったものが一つある。それは、エル=サンストプラの七芒星。プルクト、あなたは何者でもない。でも、わたしは皇巫女ではあった。エル=サンストプラの、ではあるけどね」

 ヘレジナが、驚愕しながら尋ねた。

「で、では、今までプルさまに下賜されてきた神託は……ッ!」

「すべて、わたしが預言したもの。エル=サンストプラの皇巫女であることを隠すため、私に下賜された神託は、すべてプルクトに下ったものとされた。当然よね。エル=サンストプラの皇巫女だなんて、前代未聞だもの。素直に言えば動乱すら起こり得る」

 ハルユラの表情に、やるせない怒りが浮かぶ。

「──プルクト。あなたは、何も知らずにのうのうと皇巫女を名乗っていたね。わたしの功績を横取りして、それで困ったような顔をして」

「わっ、……わたしは、何も……っ!」

「うん、知らなかった。プルクトが何も知らなかったことは、わたしもよく知ってる。でもね」

 ハルユラが、笑みを浮かべた。

 満面の笑みを。

「だから、何?」

 その笑顔には、冷徹さと、内に収めきれない怒りが渦巻いていた。

「三年前から、わたしは、下賜された神託を明かすのをやめた。べつにね、本物の皇巫女は、神託を受ける際に意識を失ったりはしないんだよ。それは、プルクトを皇巫女に仕立て上げるための方便。そうしないと、あなた自身が気付いてしまうでしょう?」

「──…………」

 あまりにも衝撃的な事実に、プルが身を縮め、動けなくなる。

 俺は、プルに寄り添い、震える背中を優しく撫でてやった。

「……大丈夫だ。お前の価値は、皇巫女であることなんかじゃない。そんな立場、くれてやればいい。元からあいつのものだって言うんなら、余計にな」

「う、……うん」

 プルが、俺を見上げ、すこしだけ微笑んだ。

「──…………」

 ハルユラが、そんな俺たちを憎々しげに睨む。

「皇巫女プルクト=エル=ハラドナを失墜させる。わたしは、そのためだけに死力を尽くしてきた。三年間、神託の供給を止め、プルクトから人望を取り上げた。そして、ある程度のところでわたしが本物の皇巫女であることを告白し、皇巫女を騙った偽物としてプルクトを処刑する。それが、わたしの計画」

「しょ、処刑……!」

 クロケーが、当たり前のように発されたその言葉に、一歩たじろぐ。

「しかし、想定外の事態が起きた。わたしの信奉者の誰かが、出来の悪い偽物の神託で、プルクトを始末しようとしてしまった」

「……あれは、ユラさまの意思ではなかったと?」

「わたしは劇的な交代劇を作り上げようとしていたの。地竜窟なんて日も届かない場所でプルクトの死を望むはずがないでしょう?」

 確かに筋は通っている。

 この嘘をつく理由は、ハルユラにはないだろう。

「さらなる誤算は、あなたの出現」

 ハルユラが、冷たい目で俺を射抜く。

「カタナ=ウドウ──いえ、あなたの世界にならって鵜堂 形無と呼んだほうがいいかしら」

「……どっちでもいい。慣れたもんだ」

「本来、ルインラインがいてすら決して不可能だった地竜窟への到達。あなたの[羅針盤]がそれを可能にしてしまった。間に合わなければ、神託を外した偽の皇巫女として、プルクトを処分できたのに」

「だったら、[羅針盤]には感謝しないとな」

「……そこから先は、次善、次善の繰り返し。旅人狩りの男を使って騎竜車に影の魔獣を忍ばせはしたけれど、わかるのは断片的な情報ばかり。ずっと騎竜車に乗っているわけではないから、仕方のないことではあるけどね」

 リィンヤン、ネウロパニエ、アーウェン──思えば重大事のときには騎竜車に乗っていないことのほうが多かった。

「けれど、わたしたちには二つの武器があった」

「……そ、れは、……なに?」

「一つは、アイヴィルが奪取した銀琴。これに関しては、本当によくやってくれたね。ありがとう、アイヴィル」

 アイヴィルが、右手の甲をハルユラに向け、深々と頭を下げる。

「恐悦至極」

「そして、もう一つは、エル=サンストプラからの神託」

 ハルユラが、そっと両腕を開くように上げた。

「──秋の前節十日。トレロ・マ・レボロの首都マウダンテトにて、わたしは、あなたたちと邂逅する。それが、つい一ヶ月前に下賜された預言。神託は外れない。神託は絶対。だから、この展開は最初から決まっていたこと」

 図書館の近くを、軍属の自動車が幾台も走り去っていく。

「幸いにも、パレ・ハラドナはトレロ・マ・レボロと開戦直前だものね。ちょうどよかった」

「なにが──」

 ヘレジナが、耐えきれずに怒りを露わにした。

「なにが、ちょうどよかっただ! 戦争が起きる! 何万人も、何十万人も、人が死ぬ! それの何が良いのだ!」

 ハルユラが、慈愛の目でヘレジナを見下す。

「大丈夫だよ、ヘレジナ」

「何を……ッ!」

「戦争は起きない。だって、トレロ・マ・レボロは無条件降伏するもの」

「……?」

「わからない?」

 ハルユラが、彼女の後ろに無言で控え続けていた大男を振り返った。

「彼が、いったい誰なのか」

「誰、……って──!」

 そのとき、ヘレジナが目を見開いた。

「気が付いたんだね」

「ま、……まさか! そんな……!」

 ハルユラが、肩から提げた鞄に手を触れて、言った。

「──マントを脱ぎなさい」

 男が、自らのマントを剥ぎ取り、足元に落とす。

 その顔には見覚えがあった。

 否。

 見覚えがあった、では済まされない。


 それは、

 五ヶ月前に、

 俺が殺した男だった。


「──ルインラインッ!」

「し、師匠……!?」

「る、るる、ルインライン……!」


「──…………」

 ルインラインは答えない。

 見れば、顔や腕などの露出部の半分ほどを、無数の竜鱗が覆っている。

 まるで、ツィゴニアに操られているときのイオタのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る