3/トレロ・マ・レボロ -14 首都マウダンテト

 トレロ・マ・レボロは、かつて王政だった。

 現在では、大枠としては議院内閣制を採りながらも、国家元首として大統領を擁する半大統領制となっている。

 王政から半大統領制への移行は、革命ではなく、日本における大政奉還のように平和的に行われた。

 大政奉還後、日本では、戊辰戦争のような大きな諍いもあったが、トレロ・マ・レボロではあくまで政治的な争いに終始していたようだ。

 かつての王族は、トレロ・マ・レボロ唯一の貴族となり、今後一切政治に関わらないと誓いを立てた。

 そのため、貴族の家系は、国民で唯一選挙権を持たないのだと言う。

 日本における天皇のような、国家の象徴なのだろう。

 首都マウダンテトのどこからでも見える立派な古城では、今でも、元王族の貴族が優雅に暮らしているのだ。

「──ッテ話を、カーちゃんから耳にタコができるクライ聞かされた。歴史の勉強だトカ言って」

 マウダンテト中央区の預かり所に騎竜車を預けたあと、俺たちは、首都唯一の図書館があると言う古城近郊を目指していた。

「しッかし、でかい城だな。ラーイウラ王城より大きいんじゃないか?」

 アーラーヤが疲れた顔で言う。

「……俺、あの城ですらいまだに迷子になるぞ」

「ひろーい、でしもんね……」

 マウダンテトは、さすがに首都とあってか、ここ数日巡ってきたどの街より賑やかだった。

 ただし、軍属と思しき馬車や騎竜車、自動車などが多く行き来しており、どうしたって有事であることが住民に伝わってしまう。

 ある人々は、恐怖を誤魔化すかのように声を張り上げ、ある人々は、来たるべき戦争を予感し目を伏せる。

 賑やかさは表面上のものであり、決して心の底から楽しげにしているわけではない。

 決して聡いとは言えない俺にも、それがわかった。

「──あ、う、……腕時計、売ってる!」

 プルが、とある店のショーウィンドウを覗き込み、目を輝かせた。

「ち、ちいさい! でも、う、動いてるー……」

 そう言えば、ハウルマンバレーに入った頃に、プルが腕時計のことを話していたっけな。

 帽子があるとは言え、純人間であることがバレればトラブルに繋がる。

 そのため、ヤーエルヘルとクロケーの二人以外は、なるべく宿の部屋や騎竜車の外に出ないよう心掛けていた。

「おお! これほどまでに精巧な機械細工は私も初めて見ました。プルさま。せっかくですし、お一つ購入してみては」

「で、……でも、高いよー? ぜったい……」

「いくらだ?」

 プルの隣に立ち、値札を覗き込む。

「──三万ティム?」

「さ!」

 値段を聞いたクロケーが、目をまるくした。

「悪い、クロケー。三万ティムって何シーグルだ? パッと計算できない」

「ア、そ、ソウだな。ええと……」

 二、三秒の暗算ののち、クロケーが答える。

「ダイタイ、五万シーグルくらい、……かな?」

 ヘレジナが驚愕する。

「ご、五万だと……!?」

「うーわ」

 一シーグルは、日本円に換算すると、二百円から三百円程度になる。

 つまり、五万シーグルは、一千万円から一千五百万円だ。

「さ、さすがに、……むりー……」

 プルが、名残惜しそうにショーウィンドウから顔を離す。

「エルロンド金貨を使えば、買えないことはないでしけど……」

「……う、ううん。いいよ。せ、……節約しないと、ね!」

 腕組みをし、雲の高い空を見上げる。

「腕時計ってのは、どこの世界でも高価なんだなあ……」

 アーラーヤが尋ねた。

「カタナの世界でもこんなクソ高いのか?」

「まあ、物によるよな。一シーグルくらいで買えるような安物もたくさんあるけど、いいモン買おうとすれば、十万シーグル、百万シーグルって感じで、天井知らずに上がっていく」

「うへえ。俺たち小市民にゃ、縁のない世界だわな」

「まあなー」

 実を言えば、三十万円のスーツと一緒に百万円の腕時計も買えと迫られていたのだが、そちらはなんとか固辞しきった。

 危うく就職と同時にローンを組まされるところだ。

 幾人かに道を尋ね、預かり所から徒歩で数十分ほど歩いた頃、俺たちはようやく図書館へと辿り着いた。

「おっきー……い、でしね!」

「とは言え、ネウロパニエの大図書館ほどではあるまい。それでも大きいことは確かであるが……」

 事実、マウダンテトの図書館は、かなりの規模を誇っていた。

 地元にこの規模の図書館があったとすれば、多少の自慢はしていいほどだ。

 図書館の前には花壇で飾られた広場があり、ベンチに腰掛けて読書を嗜む亜人たちの姿が絵になっていた。

「……ナンカ、ホッとするな。コウいう場所もアルんだってさ」

「そうだな。どこもかしこも硝煙の匂いがぷんぷんしそうな雰囲気だもんな……」

「な、……なにか、見つけよう、……ね!」

「はいでし!」

 総員、気合いを入れて図書館へ臨む。

 そのとき、ガラス製の扉の向こうに、見覚えのある男の姿を見た。

「……は?」

 それは、

 あまりにも唐突で、

 あまりにも意外な顔だった。


「アイ、……ヴィル……?」


「やあ」

 俺たちから銀琴を奪った男。

 アイヴィル──アイヴィル=アクスヴィルロードが、気軽に右手を上げる。

「ッ!」

 ヘレジナが双剣に手を掛けるのを見て、アイヴィルが言った。

「まさか、ここで仕掛けるのかい?」

「──…………」

 ヘレジナが、そっと双剣から手を離す。

「いい子だ」

 旅装のアイヴィルが、その端正な顔に微笑みを乗せた。

「……こいつが、アイヴィル=アクスヴィルロードか。まさか、実際にお目にかかれる日が来るとはな」

「いえいえ。こちらこそ光栄だよ、アーラーヤ=ハルクマータ」

「──……!」

 クロケーが、臨戦態勢とまではいかないものの、威嚇のように前傾姿勢を取る。

 アーラーヤが、それを右腕で押し留めた。

「ナゼ、アーラーヤサンの名前を……!」

 ヘレジナが吐き捨てるように言う。

「ふん。大方、影の魔獣が二体いたのであろう。警戒し、一日に一度は魔獣除けを使うようにはしていたが、一度離れてまた取り憑くを繰り返せば不可能ではない」

 アイヴィルが、嘲るように言った。

「──違うね。そもそも、魔獣による監視などは戯れに過ぎない。そんな小細工を弄する必要はないんだよ。あの方がいれば、ね」

 プルが、弱々しく疑問を口にする。

「……あ、あの方?」

「プルクト様。あなたも、よおく知っている御方ですよ」

「──…………」

 プルの顔が、どんどん青ざめていく。

「ま、さか──」

「ええ」

 アイヴィルが、慇懃に一礼した。

 プルにではない。

「──今、貴方の後ろにおわす」

「ッ!」

 俺は、不用心にも、慌てて背後を振り返っていた。

 広場の中央にあったのは、二つの人影だ。

 一つは、頭からマントをかぶった大男。

 もう一つは──


「──ユラッ!」


 ハルユラ=ハラドナ。

 プルの白髪よりも僅かに色の濃い銀髪をなびかせ、一人の少女が立っていた。

 どこかプルの面影はある。

 だが、決定的に、冷たい。

 ハルユラが、スカートの端をつまみ、こちらへ一礼してみせた。

「プルクトとヘレジナ以外は、初めまして。わたしはハルユラ=エル=ハラドナ。パレ・ハラドナの皇巫女です」

「皇巫女、か。やっぱ繰り上がったんだな」

 それも、〈エル〉付きで。

「……繰り上がった?」

 ハルユラが器用に片眉を上げる。

「それは、真実ではないわ」

「どういうことだ」

「とても簡単なお話。プルクトは──」

 一拍溜めて、続ける。

「プルクトは、最初から皇巫女なんかじゃなかったの」

「え、……っ?」

 ハルユラが語り始める。

 彼女にとっての真実を。

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