3/トレロ・マ・レボロ -11 超人
預かり所を出て東へ進むと、すぐに民家がまばらになっていった。
アーラーヤによると、東にある街までは、そう遠くないらしい。
進み過ぎても街へと入ってしまうため、夕刻を迎える前に騎竜車を停め、街道脇で野営をすることにした。
「──街同士を電線とやらで繋いでいるのは本当なのだな」
ヘレジナの視線の先には、木製の高い柱に持ち上げられた黒い線があった。
「しかし、少々無防備ではないか? 誰かがいたずらにあれを切れば、電信は使えなくなるのであろう」
「たぶん、全体で網目状になるように繋いでるはずだ。一本が切られても他の電線が生きてれば、電信は通じるからな」
「なるほど……」
クロケーが、そっと柱に触れる。
「実は、バレボロまで延伸スル交渉はしてる。タダ、やっぱり国境を越えるのは問題アルってことで、国境の手前に電信小屋を作って、そこに交代で人を詰める計画にナッテる」
「まあ、そうだよな。いくらバレボロが治外法権つったって、トレロ・マ・レボロ側から国境を無視するわけにはいかないわな」
「デモ、電信の信号を読み解くタメには、知識と経験が必要になるらしい。暗号? 符合? ダトかナントカ」
「ああ、音声通信はまだできないのか」
恐らく、モールス信号のようなもので交信しているのだろう。
あれは、短い信号と長い信号の組み合わせで情報のやり取りを行う。
知識と経験が必要になるわけだ。
「──おい、クロケー! 軽く手合わせすんぞー」
「ア、ハイ!」
アーラーヤに呼ばれたクロケーが、一直線に駆けていく。
俺は、ヘレジナに尋ねた。
「クロケーの育成方針、決まったのか?」
「ああ。近接ではアーラーヤ式とした。独自の型を幾種類も編み出し、それを状況に応じて繰り出す形だな。また、遠距離では、
「中距離では?」
「一対一であれば基本的には遠ざかる。一方的に攻撃機会を得られるからな。だが、相手に遠距離攻撃手段があれば、近付く。遠距離での戦闘に慣れている相手は近接に弱い」
「システマチックだな。まあ、そのほうがいいか」
「ああ。亜人の身体能力と体操術とを重ね掛けできるクロケーは、私とアーラーヤを凌ぐ速度を誇る。私のように理で以て刃を振るう暇はない。恐らく、これが最適解であろう」
「俺とはちょうど正反対ってわけか」
俺には、亜人の身体能力もなければ、体操術を扱うこともできない。
神眼による動体視力が俺のすべてだ。
そのため、体を動かす際の癖と言い換えることのできる型を可能な限り排除し、常に最善の動きを模索しながら戦う必要があった。
「こと白兵戦においては、器用万能よりも突出した何かを持っているほうが強い。恐らく、クロケーは、将来的に奇跡級上位に届くであろうな。それ以上はわからんが」
武術士における、徒弟級、師範級、奇跡級、陪神級あるいは奇跡級特位。
これらは他の言葉で言い換えることができる。
徒弟級は一般人。
師範級は熟練者。
奇跡級は達人。
陪神級、あるいは奇跡級特位は、超人だ。
ヘレジナ、アーラーヤ、ジグ、アイヴィル──俺の知る奇跡級上位の中で、最も特位に近いのはヘレジナだ。
にも関わらず、彼女は突出したものを持たない器用万能型である。
何か一つでも尖ったものを持つことができれば、ヘレジナは容易に奇跡級特位へと至るだろう。
ルインラインと肩を並べる、超人の世界へ。
「──俺たちも、ちょっと手合わせしとくか」
「ほう、クロケーに当てられたか?」
「気が付いたら超えられてましたーとか、悲しすぎるからな。ウサギとカメじゃねえんだから」
「ああ、お前の世界の昔話であったな。サボったウサギが勤勉なカメに負けると言う」
「勤勉なウサギでいようぜって話だ」
「違いない」
クロケーとアーラーヤからかなり距離を取り、俺たちは俺たちで手合わせを始める。
俺も、いつか、さらなる高みへと辿り着くことができるだろうか。
二時間ほど手合わせをしたころ、ヤーエルヘルの声が周囲に響いた。
「──みなさーん! ごはんできましたよー!」
俺は、息を弾ませながら、その声に応えた。
「いま、……行くッ!」
気が付けば、周囲は闇に没していた。
「おーう」
アーラーヤが、クロケーを肩に担ぎながら、騎竜車の元へと戻ってくる。
クロケーの口から魂が漏れ出ているのが見えた。
イオタと同じで、根性のある子だ。
四人で騎竜車へ乗り込むと、芳しい香りが車内に満ちていた。
プルが俺たちを出迎える。
「は、初めての料理だから、じ、時間、かかっちゃった……」
「お手伝いしました!」
すんすんと鼻を鳴らす。
「めっちゃいい匂いするじゃん……」
「さすがプルさま!」
騎竜車の床に、六人分の料理が並べられている。
食事のたびにテーブルがあればと思うのだが、いくら騎竜車が広いと言えど、六人で使える食卓はどう考えても邪魔くさい。
走行中のことまで考えると、さすがに導入は検討止まりである。
「おー、これがヤーエルヘルちゃんの食べたかったやつか。どっちがサルナバーレで、どっちがトゥイレだ?」
「ぱ、パイ包みがサルナバーレで、小さめなのがトゥイレでっす……!」
「マジで腹減ってきたわ……」
アーラーヤとまったくの同感だった。
「ああ。こりゃ楽しみだな」
「味見させてもらいましたけど、すーごく美味しいでしよ!」
「うむ。では、ヤーエルヘルの思い出の料理をいただこうではないか」
「ほれ」
アーラーヤが、クロケーを床に下ろす。
「ウッ」
「メシだぞ、メシ。起きろ」
「……ア、イイ匂い……」
クロケーが目を覚ましたところで、六人で車座になる。
「──いただきます!」
「いただきまし!」
「い、いただき、……まーす!」
「いただきます」
ヤーエルヘル、プル、ヘレジナの三人が、俺と同じく手を合わせる。
アーラーヤとクロケーは、毎食行われるこの挨拶を不思議がりながらも、普通に食べ始めた。
まず、スプーンでパイを割る。
思いのほか分厚いパイの破片が、黒に近い茶色をしたシチューに落ちた。
パイ生地のサクサク感が失われないうちにシチューと共にすくい、口へと運ぶ。
「おお……」
想像していた味と、かなり異なっていた。
とにかくスパイスが利いており、優しい味とは程遠い。
シチューと言うよりも、どちらかと言えばカレールーに近いジャンルだ。
ただ、この辛味は唐辛子によるものではなく、どちらかと言えばコショウやショウガを彷彿とさせる。
味は濃いめで、ライスやナンに当たるものが、この分厚いパイ生地なのだと気が付いた。
二口、三口と食べ進めるうちに、体がぽかぽかと温かくなってくる。
なるほど、これは冬の料理だ。
「うん、美味いわこれ。かなり好きかも」
「ふへ、……へへへ。よかったー……」
「おいひいれし! 懐かしいれしー……!」
「……アア。オレが昔食べた味と、そっくりだ」
「クロケーさんも食べたことあるんでしか?」
「子供のトキ、さっきの街のレストランでな」
ヘレジナが、胸元にパタパタと風を送る。
「たいへん美味いが、この季節だと少々温まり過ぎるな。私たちが手合わせをしていたせいでもあるが……」
アーラーヤが、鼻先にまで汗の玉を浮かべながら言った。
「汗バンバン出てくるわ……」
「食い終わったら、さっさと体拭いて着替えようぜ。気持ちいいぞ、絶対」
「で、あるな」
それぞれに雑談を交わしながら、今度はトゥイレをスプーンですくう。
茶碗蒸しに似た料理かと思いきや、あのプルプル感はなく、どちらかと言えば硬めのプリンにも近い感触だ。
スプーンで口へ運び、ひとくち食べる。
すると、砕いたナッツの快い感触と共に、かすかにショウガの香る甘みが舌を刺激した。
甘みとしてはかなり強い。
なるほど、サルナバーレと共に出されるわけだ。
サルナバーレの辛味に耐えきれなくなったら、トゥイレの甘みで舌を休ませる。
そういった食べ方を想定されているのだろう。
「──うん、こっちも美味いわ。一見デザートっぽいけどデザートじゃないな。交互に食べるとより美味い」
「そ、……そうなの! サルナバーレだけだと、ちょ、ちょっと辛くて、トゥイレだけだと甘すぎて……」
「お互いを高め合ってる気がしましよね!」
「わかるわかる」
サルナバーレを食べているとトゥイレを味わいたくなるし、トゥイレを食べているとサルナバーレが恋しくなる。
よくできているものだ。
「ヤーエルヘルは、毎日これ食べてたんだっけ?」
「はい! あちし、ハルヴァを出るまで、お料理はこのふたつしか知らなくて……」
「毎日……?」
クロケーが、不思議そうな表情を浮かべる。
「コレ、新年の料理だぞ。さすがに毎日食べるヤツは、あんまりイナイと思う……」
「そう、なんでしか……?」
「トレロ・マ・レボロにダッテ夏は来る。夏場に食べるには、チョット厳しい料理だしな」
夏にこそ汗が噴き出るようなカレーを食べたくなるものだが、クロケーの主張もわかる。
「……ヤーエルヘルのいた場所って、いつも手がかじかむくらい寒かったんだろ?」
「あ、はい! だから、サルナバーレとトゥイレがとっても美味しくて。スグリ酒も……」
ヘレジナが、トゥイレをしっかり飲み込んでから言った。
「ふむ。しかし、毎日これか。プルさまの料理であれば毎日同じ献立であっても苦ではないが、そうでなければさすがに飽きそうなものであるな……」
「──…………」
ヤーエルヘルが、食べる手を止めて考え込む。
「……どうして飽きなかったんでしょう」
なんとも言えない据わりの悪さがあった。
明らかに──とまでは言えないが、おかしく思える事柄が幾つもあって、しかし、それに対する回答は一向に見つからない。
違和感はあるのに違いの見つからない間違い探しをさせられている気分だった。
「た、……食べよ、食べよ。だいじょうぶ? さ、冷めて、……ない?」
「お、ナイスタイミング。サルナバーレのほう、ちょっとだけ加熱してくれるか?」
「は、はあい……」
プルが、沸騰術で、サルナバーレを再加熱する。
アツアツになったサルナバーレの中で、すっかり染みたパイ生地が具へと変化しており、それが味をマイルドにしてくれていた。
やはり、美味い。
「あ、あちしもお願いしまし! あちしがやると、たぶん、焦げちゃうので……」
「うん、わ、わかった!」
幾つかの謎を残しながらも、ヤーエルヘルが待ち望んでいたサルナバーレとトゥイレは非常に美味だった。
冬場に食べれば、もっと美味しいのだろう。
俺たちは、順に体を拭き、洗髪を行い、寝間着に着替えて床に就いた。
たっぷりのスパイスを摂取したおかげで、掛け布団の必要がないくらい体がぽかぽかしていた。
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