3/トレロ・マ・レボロ -10 電力と魔力
昼下がりの街は、それなりに騒がしい。
見渡す限りの全員が亜人という圧倒的な異世界感に、俺は目を奪われた。
女性や子供についているのであれば微笑ましい、可愛らしいで済むものが、雑貨屋の店頭で錆びた一斗缶のようなものに腰掛けながら煙草を吸っている老爺などにも生えているものだから、物珍しくて周囲を見渡してしまう。
そして、すぐさま気が付いた。
物珍しいのは、亜人側から見ても同じなのだ。
亜人の多くは、トレロ・マ・レボロで生を受け、トレロ・マ・レボロで死を迎える。
純人間を見る機会が、本当にないのだろう。
ちらりちらりと様子を窺うくらいなら大して気にも留めないが、二、三メートル先からガン見するのは遠慮いただきたい。
間近からの視線は、さすがに落ち着かない。
「うう……」
プルは、俺の背中に完全に隠れてしまっている。
「……ふと思ったんだけどさ」
「なんでしか?」
「俺たち、帽子かぶればいいんじゃないか? 普段のヤーエルヘルみたいに」
「あ!」
道行く亜人の中には、もちろん帽子をかぶっている人もいる。
会話をすればイントネーションで気付かれる可能性もあるが、こうして不特定多数から注目を受けることはなくなるはずだ。
「あ、……頭、いい! 買ってこ……!」
「だな」
俺たちは、食材をいったん後回しにし、最初に見つけた個人経営と思しき服飾店で四人分の帽子を購入した。
暦の上ではまだ夏だが、北方十三国最北の地とあってか、ここ数日はぐっと冷え込むことも多い。
そのため、俺は、防寒の目的も果たす深めのニット帽を選んだ。
「どうよ、これ。どんなもんよ」
「わ、に、似合うー……」
「はい! とっても似合いまし」
「わ、……わたし、は?」
帽子をかぶったプルが、ぎこちなくポーズを取ってみせた。
「耳当てついたの買って正解だな。可愛いわ」
「ふへ、……へへへへへ」
「この状態でヤーエルヘルかクロケーと歩いてれば、初見で俺たちを純人間だと思うやつはいないだろ。さすがに」
「気付いてみればそれしかないって方法なのに、その気付きが難しいんでしよね……」
「わ、わかるー……」
唐突に、プルをからかいたくなった。
「本当にわかってる?」
「わかって、……ます!」
「本当は?」
「わかってる、……よー?」
「実のところは?」
「……わかって、る……?」
「だんだん自信なくしてるじゃねえか。冗談だよ、冗談」
プルが得意げに言う。
「ふへ、じょ、冗談なのも、……わかってた!」
「ふふっ」
「本当かよー」
「ほんと、だよ!」
三人で笑い合いながら、サルナバーレとトゥイレに必要な材料を買い込んでいく。
帽子のおかげか、俺たちを注視する視線は、もうなかった。
大量の食材と専用の食器を買い込んだあと、観光がてら街を大回りして預かり所へと戻る。
丈夫な紙袋を抱え、何度か聞いたが名前を覚えていない街を歩きながら、あらゆるものに視線を巡らせていた。
「が、……街灯、たくさんあるね。でも、灯術は使わないんだ、……よね?」
「んー……」
ヤーエルヘルが、可愛らしく背伸びをしながら街灯を見上げる。
「もしかしたら、ガス灯かもしれません」
「が、ガス灯……?」
「ガスは、燃料のひとつでしね。液体である油とは異なり、ガスは気体でし。そのため扱いは難しいんでしが、あちしがナナさんから聞いた限りでは、明かりとして盛んに用いられていたものらしいでし」
「ああ、俺の世界でもガス灯は使われてたみたいだな。百年以上前だけど」
「そう、なんだ……」
「ガス灯か、オイルランプか、あるいは電灯──ってことはないか。さすがに」
ヤーエルヘルが小首をかしげる。
「電灯、でしか?」
「二人とも、電気、電力って言われて何を想像する?」
「でんりょく……」
「静電気、でしかね。冬場にぱちっと」
「近いな。実際、静電気は電気の一種だよ」
「おおー」
「難しいから雑に説明するけど、電力ってのはだいたい
「か、雷なんだ!」
「大きいエネルギーなのがわかりましね……」
「石油や石炭、太陽光や風に波──あらゆるものから作り出せるエネルギーで、大掛かりな発電所を作ればそれだけ大きなエネルギーを得ることができる。俺たちの世界は、もはや、電力なしでは維持できない。それだけ重要なものなんだ」
「い、いちばん最初に、わたしと、へ、ヘレジナの写真を撮ってくれた板も……?」
「ああ。大枠としては
「なるほ、……ど!」
「トレロ・マ・レボロの街同士が電線で繋がってるって聞いて、一瞬、電力が使えるのかと思ったんだけどな……」
カラフルでポップな街並みを見渡す。
だが、電柱や電線の姿はどこにもなかった。
「電信は、電気を使った交信方法だ。でも、動力としての電気はまだ導入されてないんだろうな」
トレロ・マ・レボロの埋蔵資源次第だが、時間の問題ではあるだろう。
預かり所を中心に円を描くように歩いていると、大通りの先に、かなり大きな建造物があることに気が付いた。
人の行き来も明らかに多い。
「……あ、あれ、教会かなあ」
「ぽいなあ」
俺も、この世界に飛ばされて長い。
銀輪教の教会で好んで用いられる装飾や、どこか敬虔な雰囲気などが、肌でわかるようになっていた。
「大して広くもない街なのに、教会だけえらく立派だな……」
俺の疑問にヤーエルヘルが答える。
「トレロ・マ・レボロの亜人たちは、とても信心深いのでし。その敬虔さは、銀輪教の総本山であるパレ・ハラドナを凌ぐと言われることもありまし」
「へえー。なんか意外だな」
「そうでしか?」
「純人間は亜人を迫害して、亜人は純人間に嫌悪感を抱いてる。そして今、トレロ・マ・レボロとパレ・ハラドナの二国は緊張状態にある。その二つの種族がまったく同じ神を信仰してるってのがな。宗教的にも相容れないもんかと思ってた」
元の世界では、同じ宗教同士で戦争を行った歴史もある。
起こり得ないことではないが、すこし違和感があった。
「え、っと。……ね!」
俺の素朴な疑問に、プルが答えてくれる。
「トレロ・マ・レボロが信仰してる、のは、正確には、北部銀輪教ってもの、なんだ。亜人のひとたちは、わたしたちのほうを、な、南部銀輪教って呼んでるみたいだけど……」
「あ、そうでしたね!」
「北部銀輪教……」
カトリックとプロテスタントみたいなものだろうか。
「ほ、北部銀輪教では、エルとサザスラーヤを、し、信仰しない、……んだ」
「四陪神のうち、二柱も?」
「う、……うん。北部銀輪教の、せ、聖典では、エルとサザスラーヤは、神人大戦の、とき、に、エル=サンストプラについたってされてる……」
「なんか、聖典も場所によってけっこう細かいとこ違うんだな。ラーイウラでは、サザスラーヤは生きてることになってたし」
事の正誤を問うのであれば、ラーイウラ王国の聖典は正しかった。
事実、陪神サザスラーヤは生きていたからだ。
もっとも、ヤーエルヘルの開孔術によって、今度こそ完全に滅び去ったけれど。
「亜人が魔術を拒絶するのも、元はと言えばそこに理由がありまして……」
「ああ、それ気になってた。結局、なんで使わないんだ?」
「エルは〈奇跡〉を司る神格でしよね?」
「う、……うん」
「そうだな。さすがの俺でも、それくらいは覚えてる」
「サザスラーヤが、自らの司る〈命〉を人間たちに伝播させたように、エルもまた民草に〈奇跡〉を与えました。正確には、奇跡を成す力を」
「──あ、
「でしでし」
そう考えると、サンストプラにおける魔法、魔術の存在が、一切の矛盾なくスポリと嵌まる。
「エルとサザスラーヤは、エル=タナエルを裏切った。サザスラーヤも、エルも、人間という存在すべてにとっての大恩人でしたが、それでも決して許せはしない。命を捨てることができないのなら、せめて
「あー……」
歴史を知らず、宗教にも興味がない身からすれば、たったそれだけの理由で魔術を忌避するのは、あまりに馬鹿らしく感じられた。
もっとも、だからこそ現在のトレロ・マ・レボロがあるのだが。
「しかし、前から思ってたけどさ。エルって名前、変だよな」
「……?」
プルが小首をかしげる。
「だって、エル=タナエルにもエル=サンストプラにもエルは入ってる。そもそもエルってのは神性を表す言葉だろ。なら、陪神のエルには名前がないも同然じゃん」
「あ、ちょっとだけわかりまし。エルの名は伝承の過程で失われたと言われても、なんだか納得が行きましし」
「そう、そんな印象」
「な、……なるほ、どー。考えたこともなかった、……かも」
「産まれたときから銀輪教漬けだと、当たり前過ぎて違和感覚えなくなるんだろうな。俺まだ聖典すらまともに通読できてないし……」
「よ、読めるように、がんばろう、ね!」
「頑張ってます」
「よ、よろしー……」
「えへへ。そろそろ戻りましか?」
「そうだな。預かり所から騎竜車出して、今夜は街道で休もうぜ」
「異議なし、でし!」
バランスが崩れかかっていた重い紙袋を抱え直す。
「さ、今夜は御馳走だぞ」
「ま、まかせな、さー……い!」
「楽しみでしよー!」
預かり所のある区画へと足を向け、歩き出す。
街灯が灯るところを見られないのだけが、すこし残念だった。
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