1/ハウルマンバレー -5 悲しみはまだ
「──…………」
ヤーエルヘルは、もう、誤魔化すことができないくらい目を真っ赤にしている。
「た、ただいま戻りました……」
俺とプルは、思わず顔を見合わせた。
「や、ヤーエルヘル。こっち、お、おいでー……?」
「あ、はい……」
プルが、ヤーエルヘルの頬に手を添える。
治癒術の光が、ヤーエルヘルを優しく癒していく。
「目、腫れないうちに、……ね」
「……ありがとう、ございまし」
ヤーエルヘルが、なんとか微笑みを浮かべる。
「二人はどのあたりで祈ってたんだ?」
「あ、あちしは、すこし海に近付いて、岩場から──」
三人で雑談を交わす。
涙を出せるだけ出したおかげか、二人ともすっきりとした顔つきだ。
しばらくすると、ヘレジナも帰ってくる。
彼女の目は、案の定赤かった。
その事実を誤魔化すように、ヘレジナが大声で言う。
「──さあ寝るぞ、やれ寝るぞ! 毛布のみの雑魚寝と比べてどれほどのものか、試してくれよう!」
「大丈夫か? わくわくし過ぎて目がギンギンに冴えてないか?」
「冴えとらんわ、子供か!」
掛け布団を足元にまとめながら、言う。
「皆は、掛け布団どうする? 気温が半端なんだよな」
「夜でしし、暑くはないでしけど、掛けると寝苦しそうでしもんね……」
「わ、わたしは、暑かったらどかす……」
「悩ましいな。まあ、暑いなり寒いなりすれば、寝惚けた自分がなんとかしてくれるであろう」
真理だった。
「──よし! 全員、歯は磨いたか!」
「お、おー……!」
「磨きました!」
「皆で揃って磨いたであろうに」
仲良しだよな、俺たち。
「トイレは大丈夫か!」
「そこまで心配される謂われはないわ!」
「あちしは大丈夫でし」
「あ、い、行っとこー……」
「ほら、確認必要だった」
「うむ……」
プルが、騎竜車に備え付けの簡易トイレから戻り、再び自分のベッドに腰掛ける。
「それでは──」
頭上で白く輝いていた灯術の明かりに触れる。
すると、花が散るように光が消え、騎竜車の二階は闇に包まれた。
「おやすみ、いい夢見ろよ!」
「そんな元気な就寝の挨拶があるか」
「おやすみなさい、でし!」
「お、おやす、……みー!」
枕に後頭部を預け、目蓋を閉じる。
一人のときとは異なり、俺の心は凪のように穏やかだ。
ぼそぼそと声が聞こえる。
「や、ヤーエルヘル……。今度会うとき、い、イオタくん、かたなくらいの身長になってたら、どうする……?」
「なってたら、どきってしちゃいそうでし……」
「そこ、恋バナしない!」
完全に修学旅行の夜だった。
「は、……はーい」
「ごめんなし……」
それからも、こそこそと囁き合っては注意する者とされる者の立場を入れ替えて遊び、気が付けば俺の意識は闇へと呑み込まれて行った。
夢を見た気がする。
だが、それは、ひどくぼんやりとしたもので、とても言語化できる内容ではなかった。
──ぎし。
ベッドが凹む感触で、うっすらと目を覚ました。
何か、小さくて温かいものが、俺の懐に入り込んでいる。
「──……ん?」
「あ──」
吐息で気付く。
「ヤーエルヘル、か……?」
「は、はい……」
「……どうした?」
「──…………」
十秒ほどの沈黙ののち、ヤーエルヘルが答えた。
「……ナナさんのこと、思い出してしまって」
「そっか……」
ふと、ネルの言葉を思い出す。
俺は、
ヤーエルヘルは、俺にだけは怯える必要がない。
プルのことも、ヘレジナのことも、ナナイロのことも大好きなヤーエルヘルだ。
それでも、純人間に対する拭いがたい恐怖は、心の奥底に確かに存在する。
好意と恐怖は同居し得る。
必ずしも相反するものとは限らないのだ。
「──…………」
俺は、ヤーエルヘルをそっと抱き締めた。
「あ──」
「人恋しい夜もあるさ」
「……はい」
ヤーエルヘルが、俺を抱き締め返す。
彼女の髪は、干し草のような、爽やかで甘い香りがした。
「おやすみ、ヤーエルヘル」
「……おやすみなさい。カタナ、さん……」
ヤーエルヘルの体温は高く、密着した部分は熱いくらいだ。
だが、深夜の涼しさも相俟って、そこまでは気にならなかった。
ヤーエルヘルを掻き抱き、俺の意識は、再び夜の底へと溶け落ちて行った──
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