1/ハウルマンバレー -6 ヘレジナの過去
翌朝、ヤーエルヘルと同衾していたことで睨まれるなり冷やかされるなりするかと思いきや、二人の視線は優しいものだった。
プルも、ヘレジナも、ヤーエルヘルの心に刻まれた深い深い傷のことを汲み取り、彼女のことを気遣っているのだ。
それが、嬉しかった。
ハウルマンバレーへの道行きは、実に穏やかなものだった。
海沿いの街道は幅が広く、舗装こそされていないものの整備が行き届いており、さほど揺れることもない。
寄せては返す波に乱反射する太陽の光は、いくら見ても見飽きるということがなかった。
時折、小雨がぱらつくことはあっても、行きのようにひどく蒸すことはなく、のどかで快適な旅路が続く。
ヤーエルヘルは、すっかり独り寝ができなくなってしまい、その日の気分によって誰かのベッドに潜り込むのが常だった。
「──……ふー」
途中の町にあった大きめの宿で風呂だけを借り、騎竜車へと戻ってくる。
客車内にはヘレジナがいて、地図を床に広げていた。
「おお、カタナ。早いではないか」
「ヘレジナこそ早いじゃん。二人は?」
「女風呂が、入れて二人の広さだったものでな。プルさまとヤーエルヘルに先を譲り、私は騎竜車に戻ってきたのだ」
「ああ、まだ入ってないのか……」
「すまんな。多少待たせる」
「気にせず長風呂してこいよ。急ぐ旅路じゃあるまいし」
「ふふ、殊勝であるな。それでは、その言葉に甘えるとしよう」
俺が、客車内の壁に背を預け腰を下ろすと、地図を畳んだヘレジナが隣へやってきた。
そして、当然のように俺に頭を差し出す。
「では、いつものを所望するぞ」
「飽きないな……」
ヘレジナの頭に手を乗せ、手櫛で髪を梳くように優しく撫でていく。
「ハゲるまで撫でてやると言ったのはお前ではないか。私の毛根はまだまだ息災だぞ」
「……ヘレジナがこんな甘えっ子だって、あの二人が知ったらなんて言うかねえ」
「ふふん。もしバラしたらなますにしてくれるわ」
「こわ」
ごくたまに二人きりになったとき、彼女は俺に頭を撫でてほしいとせがむようになった。
大きなものに寄り添って、褒めてほしい。認めてほしい。甘やかしてほしい。
かつてプルが言っていた言葉の通りなのだろう。
「──こんなこと聞いていいのかわかんないけどさ」
「なんだ?」
しばし、質問の内容を吟味する。
「ヘレジナって、どんな子供だったんだ?」
もしかすると、親からの愛情に飢えていたのかもしれない。
安直だが、俺はそう考えていた。
「そうさな……」
言葉を探すように無言になったあと、ヘレジナがゆっくりと口を開いた。
「私は、エーデルマン家の次女でな。知っての通り快活で、頑丈で、頭が良くて愛くるしい子供であったとも」
「自分でそこまで言うか……」
だが、想像はつく。
風邪の一つも引いたことがない、と言うのも事実なのだろう。
「次女と言った通り、私には姉がいた。こちらはひどく病弱でな。治癒術は、病に対しては対症療法にしかならん。両親は姉の病を治そうと、多くの金を支払い、多くの時間を割き、多くの愛情を与え続けた」
ヘレジナが、自嘲するように微笑む。
「──恐らく、お前が思っている通りだ。私には、親からの愛情を十全に受けた記憶がない。全寮制のスクールに入れられて、家族と会うのは年に数度。どんなに優秀な成績を修めても、どんな賞を取ったとしても、両親は私に興味を向けてはくれなかった。真実、どうだったのかはわからん。だが、私はそう感じていた」
「そう、か……」
「そして、私が十一になったときだ」
目を伏せ、ヘレジナが意を決したように言った。
「──姉が、亡くなった」
「──…………」
「贖罪のつもりで、正直に言おう。私は嬉しかった。これで、両親の関心は私に向くと思った。両親の愛情を一身に浴びることができると思った。だが──」
ヘレジナが、俺を見上げる。
悲しげに。
切なげに。
「両親は、姉を追うように自殺していたよ。私を置いて、な」
「──…………」
俺の左手が、無意識に、強く、強く、握り込まれた。
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