1/ハウルマンバレー -3 ハウルマンバレー円卓国

「──さって、と」

 御者台へと通じる小階段の最上段に腰掛け、膝の上で見慣れた地図を開く。

「トレロ・マ・レボロまでは何日かかるかな」

「んー……」

 左隣に座ったプルが、ニャサ―ネウロパニエ間を指で測る。

「これが、い、一日半くらい、……だよね?」

 ヤーエルヘルが、俺を挟むように腰を下ろし、頷いた。

 二人の良い匂いがする。

 役得だ。

「トレロ・マ・レボロへ行くためには、ウージスパイン北東にあるハウルマンバレーを通る必要がありまし。このまま海沿いのルートを取ったとして、ハウルマンバレーまでは──」

 目視で計算し、ヤーエルヘルが言葉を継いだ。

「二週間ちょっと、でしかね」

 サンストプラの一週間は、七日間ではなく、五日間だ。

 つまり、目算で十日とすこしとなる。

 御者台のヘレジナが、振り返らずに言った。

「いや、もうすこし早くなるかもしれんぞ。なにせ、半端な場所で宿を取る必要がない」

「ベ、ベッドあるもん、……ね!」

「はい、その通りです。宿に泊まれるのであれば、当然そのほうがいい。ですが、次の町や村から離れているという理由で、まだ明るいうちから無理に宿を取る必要がない。進みたいだけ進んで適当に野営をしたとしても、雑魚寝で疲労が蓄積することはないでしょう」

 ヤーエルヘルが微笑み、頷く。

「リンシャからハウルマンバレーとの国境までは、またウージスパインを横断する必要がありまし。距離としてはネウロパニエまでより遠いのでしが、もしかすると早めに着けるかもしれませんね」

 ベッドの一つで旅程が早まる。

 急ぐ旅路でもないのだが、快適になるのは良いことだ。

「今まで話題に出てこなかったけど、ハウルマンバレーってどんな国なんだ?」

「そうでしね……」

 ヤーエルヘルが遠い目をする。

「……あちしがナナさんと出会ったのは、ハウルマンバレーでした」

「そ、……そう、なんだ」

 ヤーエルヘルとナナイロの出会いを聞いてみたい気持ちはある。

 だが、まだ早い。

 もうすこし心の傷が塞がってからでも遅くはないだろう。

「ハウルマンバレーは、正式名称をハウルマンバレー円卓国と言いまし。七つの州からなる連邦共和制国家でしね」

 思わず聞き返す。

「……円卓国?」

「れ、連邦共和制も、……わっかんない」

「えっと。連邦制はわかりましか?」

「小さな州が、た、たくさん集まって、ひとつの国になってる国、……だよね? パラキストリみたいな……」

「でしでし。ハウルマンバレーも連邦制なのでしが、パラキストリとは明確に違うところがありまし」

「んー……」

 思案しつつ、勘混じりの推測を口にする。

「円卓ってことは、七つの州すべてが、同等の発言権を有してるってことか?」

「そうでし! と言うことは……?」

「と、言うこと……?」

「どういうこと……?」

 俺とプルのアホ二人が、同時に小首をかしげた。

 ヘレジナが、呆れたように答える。

「大統領がいない、と言うことだ」

「ああ!」

 ヘレジナの言葉に、すっきりと納得する。

「それで、連邦じゃなくて円卓国を名乗ってるってわけか」

「な、なるほどー……」

 プルが、うんうんと頷く。

 そのほっぺたを、痛くない程度にむにりとつまんだ。

「……ちゃんと理解してるか、お前」

「わはってる、よー……」

 本当かな。

「ハウルマンバレーの七つの州には、首都のある第一州から順に、おおよそ時計回りに第七までの接頭辞がつきまし。第一州ハウルマン、第二州エンティカ、第三州オートゥード──といった感じでしね」

「だいたいどの州を通るかって、わかるか?」

 北方十三国の地図におけるハウルマンバレーは、点線によって分割こそされているものの、肝心の州名までは載っていなかった。

「えっと、そうでしね……」

 ヤーエルヘルが、指先で地図をなぞる。

「たぶん、第六州の西バルパルディと、第七州の東バルパルディを通ると思いまし」

「おお、さすが。詳しいな」

「えへへ……」

 ヤーエルヘルが、てれりと笑う。

「そのあたりの治安ってどうなんだ? 悪いようなら、野営のときは寝ずの番を立てたほうがいいだろうし」

「そうでしね。第六州、第七州は、そう悪くなかった記憶がありまし。ただ……」

「……?」

 プルが、きょとんと尋ねる。

「なにか、あ、あるの……?」

「はい。第六州と第七州のあいだに、非公式の第八州があるのでし」

 ヘレジナがこちらを振り返った。

「非公式の第八州? それは、私も初耳だな」

「ハウルマンバレー政府は、その存在を公的に認めていないのでし。国民ですら、州が離れていれば、知らないひとも多いかもしれません。実際、州と呼べるほどの大きさはありませんし……」

「なるほど。それでは、スクールで習わないのも無理からぬことだな」

「……非公式の第八州、か」

 俺の心の中学生が、心躍る響きだとニヒルな笑みを浮かべる。

「治安の良い場所とは言えませんので、可能なら大回りして避けたほうが無難だと思いまし」

「なるほど、了解した。無用のトラブルはこちらとしても願い下げであるしな」

 戦えば、まず負けることはないだろう。

 だが、戦わずして負けることはあり得る。

 旅人狩りに抗魔の首輪を嵌められたときのように、吸引式の睡眠薬や麻酔薬でも嗅がされてしまえば、そもそも抵抗ができない。

 厄介事が起きないように立ち回ることこそが、旅の極意と言えるのかもしれない。

「──ま、ウージスパインにいるあいだは大丈夫だろ。治安いいしな」

「そうだな。油断こそすべきではないが、無駄に張り詰めても神経が参ってしまう。適度に適度に、だ」

 プルが地図を覗き込む。

「次の町が、こ、ここでー……、いまはこのへんだからー……」

 つ、と人差し指で地図をなぞる。

 地図を乗せている膝がくすぐったい。

「ちょ、ちょっと過ぎて、このへんで野宿、……しよう!」

「だな」

 位置的には宿を取ってもいいのだが、今日はとにかく新しいベッドを試したかった。

 これは、四人の総意だろう。

 騎竜車は往く。

 まずは、ハウルマンバレーとの国境を目指して。

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