3/再び、ワンテール島 -9 明日、晴れたら
「──あ、そうだ!」
十歳のナナイロが、俺の腹に軽くパンチを見舞う。
「ぐほっ!」
意外と重い。
「ひどいぞ! 説明全部おれに押しつけて!」
「……お、ちゃんと爪切ったんだな」
「誤魔化すなー!」
「悪い悪い。元の時代に帰るタイミング、俺たちには決められなくてさ」
「むうー……」
ナナイロが口を尖らせる。
そして、尋ねた。
「それで、今度はいつまでいられるんだ?」
「──…………」
わからない。
ただ、間違いなく言えることがある。
「……前回より、ずっと短いはずだ」
「え!」
ナナイロが泣きそうな顔をする。
「そんなあ……」
寂しさと同時に喜びも湧き上がる。
ナナイロは、心の底から俺たちのことを慕ってくれているのだ。
現在のナナイロを見れば、わかる。
彼女は、六十年前にほんの僅かのあいだ邂逅しただけの俺たちのことを、驚くほど正確に覚えているのだから。
「──あと、そちらの方はどなたさんなんですか?」
パタネアが、現在のナナイロの様子を窺う。
「ああ、もうすこし待っててくれ。起きたら自己紹介すると思うからさ」
「はあ……」
そんな会話を交わしていると、背中のナナイロが身じろぎをした。
目覚めそうだ。
俺は、彼女を揺するようにして覚醒を促すと、そっと話し掛けた。
「──ほら、起きろ。二人に会えたぞ」
「ん、……う……」
痩せたナナイロの体をゆっくりと降ろしていくと、彼女は石畳の上にしっかりと立った。
そして、目を開ける。
「ああ──……」
ナナイロが、呟くようにその名を呼んだ。
「パタ、姉……」
パタネアが、口にした。
その名を。
「──ナナイロ?」
十歳のナナイロが、心外だと言いたげに口を開く。
「お、おいパタ姉! おれが、こんなしわくちゃなわけないだろ!」
「で、でも……!」
現在のナナイロが、ゆっくりと微笑む。
「……ありがとう、気付いてくれて。おれは、六十年後のナナイロ。ナナイロ=ゼンネンブルクだ」
「六十年後の、おれ……?」
「ああ」
現在のナナイロが、十歳のナナイロに親指を立ててみせる。
「──世界、救ってきたぜ!」
「マジで!」
十歳のナナイロの目が、爛々と輝く。
「ど、どーやって!? 知りたいぞ!」
「そいつは人生のネタバレだな。お前自身が、ゆっくり、ゆっくり、六十年かけて楽しみな」
「ちぇー」
「でも、言っとくことはあるぞ」
「なになに?」
現在のナナイロが、指を一本立てる。
「まず、一つ。お前が開発しようとしてる開孔術は、火法系統の究極形だ。勘違いしがちだけど、無系統魔術じゃない。それはしっかり覚えとけ」
「かいこーじゅつは、火法系統……」
「よしよし。じゃあ、二つ目だ」
「おう!」
二本目の指が立てられる。
「お前は町へ行けなくなるけど、魔獣除けは回収しちゃ駄目だ。これから六十年間、あの遺跡でアホみたいに魔獣が生産され続ける。魔獣除けがないと、島の人たちが危ない」
「げ!」
「パタ姉。不便になるけど、こいつの面倒頼むな」
「う、うん。わかった」
ナナイロが三本目の指を立てたあと、懐に手を入れた。
「三つ目。手出しな」
「?」
現在のナナイロが、十歳のナナイロの手に、丸薬の入った小袋を乗せる。
「ナナイロ、それは……!」
「カタナ兄。これは、
そう告げ、十歳のナナイロへと向き直る。
「これは、お薬だ。お前は、七十歳になった頃、大きな病気をする。そのときに飲め」
「なくしそう……」
「これ、命に関わるからな。今は一粒しかないけど、未来のお前なら、成分を解析して量産できる。でも、最初の一粒がなければ終わりだぞ。絶対なくさないようにな」
「……わかった」
「最後に」
「まだあんのか……」
現在のナナイロが、過去のナナイロの頭を帽子の上から撫でる。
「パタ姉の言うことを、よーく聞くこと。いい子にするんだぞ」
「お前はいい子にしてたのか?」
「──…………」
現在のナナイロが、軽く視線を逸らす。
「……そりゃもう」
「ヘンな間があったぞ!」
「まったく、我ながらヘンに聡い──」
そこまで言ったときだった。
「──ごホッ!」
ナナイロの肺の奥から、咳が押し出される。
「けほッ! げほッ! ──がぼッ!」
ごぽり。
ナナイロの口から、黒い粘液が溢れ出した。
「……時間、か」
「だっ! だだだ、だ、大丈夫か! さっきのお薬飲むか!」
十歳のナナイロに、現在のナナイロが、首を横に振ってみせる。
「無駄だ。おれの内臓は、もう、粘液に変わっているだろうな」
「ナナイロ……」
パタネアが、現在のナナイロの肩に触れる。
そして、
彼女を、
抱き締めた。
「……汚れる、……けほッ、ぞ。パタ姉……」
「汚くなんてないよ……」
「──…………」
パタネアが、石垣に背を預けて座り込む。
そして、ナナイロを膝枕した。
優しく、優しく、その白く染め上げられた髪の毛を撫でる。
「……楽しかった?」
「ああ……」
「よかった。ナナイロが魔獣なんだって聞いて、すごく心配してたから」
「……そんなの、平気だったさ。それより」
ナナイロが目を閉じる。
つらそうに。
「パタ姉が死んだときのほうが、悲しかった」
「……そっか」
「でも、こうしてまた会えるってわかってたから、寂しくはなかったよ……」
いつしか、ナナイロの咳は止まっていた。
だが、足のほうから、素肌が黒い粘液へと変わって行くのが見えてしまった。
俺たちは泣いていた。
それが、あまりに幸せな別れだったから。
「ねえ、ナナイロ」
「……なんだ、パタ姉……」
「明日、遊びに行こうか」
「──……!」
ナナイロは、驚いたような表情を浮かべ、言った。
「……そうだ、な。行こう。誰かに船を出してもらって、海の向こうへ」
「うん。ワンダラスト・テイルのみんなも、一緒に」
「ああ、いいな……」
ナナイロの腕を包んでいた服が、べさりと平たくなった。
「冒険、……したかった、な……」
「うん」
「おれが、放浪していたのは、……きっと」
「うん」
「カタナ兄たちと、旅がしたかったから、……なんだろう、な……」
「──っ」
最期まで見守ろうと思っていた。
でも、耐えきれなかった。
「ナナイロ……ッ!」
無理だってわかってる。
でも、口から溢れて止まらなかった。
「旅に、出よう。世界中を巡ろう。ずっと、ずーっと一緒に行こう。どこまでも、世界の果てまでだって……!」
ヤーエルヘルが、鼻を啜りながら言った。
「そう、……でし。一緒に行きましょう。ずっと、ずっと! だから、死なないで。死なないで、くだし……!」
プルが、目を赤く染めながら叫ぶ。
「な、……ナナイロにだって、行ったことない場所、あるはず、だから……!」
ヘレジナが目を擦る。
「お前は……ッ! ワンダラスト・テイルの、五人目の仲間だろう! どうしてここで終わる! どうして一緒に来ない! どうして! ……どうして、死んでしまう……」
マナナが、止まらない涙を拭こうともせずに言った。
「……ナナイロ。うちらは、あんたが大好きだ。別れたくない。無理だってわかってても。わかっててもさあ……ッ」
バルマが、一歩前へ出て一礼した。
「我が同胞。お前と話しているときが、私の人生でいちばん楽しかったよ。これは別れではない。運命の銀の輪の中で、またいつか巡り会えると信じている」
そして、十歳のナナイロが、現在のナナイロの顔を覗き込んだ。
「──なあ、おれ」
「ん……」
「おれの人生は、どうだった?」
現在のナナイロが、穏やかに答えた。
「……見れば、わかるだろ」
ナナイロの瞳には、俺たちが映っていた。
「──最高だったぜ」
「そっか……」
ナナイロが苦しげに目を閉じる。
「……ご、めん。そろそろ、お別れ、みたい、……だ」
ナナイロの首元までもが粘液へと変わっていく。
「おやす、……み。みんな」
「……ああ」
「……おや、すみ。……パタ姉……」
「……うん」
パタネアが、大粒の涙を流しながら、気丈に頷いた。
「おやすみ、ナナイロ」
島では、別れのときにはこう言うんだ。
「──また、明日」
会えないことがわかっていても、言うのさ。
「また、……あした……」
ナナイロが、最期に、満面の笑みを浮かべた。
その表情が、本当に幸せそうで。
「……嗚呼。……あし、た、……晴れた、ら──」
──ぱしゃっ。
ナナイロのすべてが、黒い粘液と化す。
粘液の染み込んだ品の良い服が、パタネアの膝に掛かっていた。
残されたものは、それだけだった。
ナナイロ=ゼンネンブルクは、死んだのだ。
「う、……あ、ああああ、あああああああああああああああ……!」
ずっと我慢していたのだろう。
ナナイロの最期が穏やかであるようにと、口をつぐんでいたのだろう。
ヤーエルヘルが、大声で泣き叫ぶ。
「ナナさんッ! ……ナナさん……ッ!」
ヤーエルヘルがパタネアの元へ駆け寄り、かつてナナイロだった黒い粘液を両手ですくい取った。
「ナナ、……さん……」
「──…………」
十歳のナナイロが、ヤーエルヘルの肩に手を乗せた。
「おれ、決めたよ」
「……──?」
ヤーエルヘルが、ナナイロを振り返る。
「おれは、この〈ナナイロ〉になる」
「え──」
「だって、あんなにも満足そうでさ。こんなにもたくさんの人に惜しまれて。そして、自分の人生を、最高だって断言できた。そんなのさ」
ナナイロが、大人びた表情で微笑んだ。
「……幸せ、過ぎるだろ」
「うん……」
パタネアが、指先で涙を拭いながら、言う。
「ナナイロは、幸せになれるよ。きっと、最高の人生が待ってるよ」
「うん!」
本当に、すごい子だ。
自分の最期を見て、〈こうなりたい〉と願う人間が、この世に何人いるだろうか。
「あ──」
ナナイロが亡くなったためか、込められた
「……今度こそ、お別れだな」
ナナイロが首を横に振る。
「違うぞ」
「島では、お別れのときは、みんなこう言うんですよ」
「ははっ、知ってるよ」
俺は、右手を上げ、ナナイロとパタネアに告げた。
「また、明日」
「ま、……また、明日!」
「また明日、だ」
「……また明日、でし」
「ああ。……また、明日ね」
「また明日」
バルマの挨拶が終わったとき、視界が明転を始めた。
「また明日、──です!」
「また明日なー!」
パタネアとナナイロの最後の言葉が、一つの区切りのように感じられた。
俺たちは、
今度こそ、
時を越えた冒険を終えたのだ。
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