3/再び、ワンテール島 -8 過去へ
「──…………」
沈黙が場を支配する。
俺たちは、
不可避の絶望を、覆したのだ。
だが、失うものも、また大きかった。
「……?」
世界を救った感慨が訪れないのは、俺だけだと思っていた。
きっと、皆は、はしゃぎ合い、喜び合うのだと思っていた。
そうならなかった理由は、すぐにわかった。
ヤーエルヘルが振り返り、ナナイロを見つめる。
そして、そっと口を開いた。
「安心、できましか?」
「──…………」
「あちしは、もう、大丈夫でし。みんなと出会ってここにいる。ひとりではまだ立てないけど、みんなとなら。だから……」
ヤーエルヘルが、気丈に笑顔を作りながら、一条の涙を流した。
「安心して、……眠れましか?」
「──っ」
ナナイロの顔に動揺が浮かぶ。
「お前、まさか。さっき──」
「はい、聞いてました。なんなら全員で……」
「き、聞いちゃい、……ました」
「言えぬ理由があった。だが、言ってほしかった。……矛盾だな」
「……すまん」
ナナイロが頭を下げる。
「本当、なんだね」
「ああ」
マナナの言葉に、ナナイロが頷く。
「さよなら、なんだね」
「ああ」
マナナが、診療所の方角へと視線を向けた。
「思い出したよ。たまに遊びに来てくれて、そのたびに珍しいお菓子をくれるおばさんのこと」
「はは、そうかい。ほんと大きくなったなあ……」
ナナイロが、目元を人差し指で拭う。
そして、改めてヤーエルヘルへと向き直った。
すこしだけ屈み、ヤーエルヘルと視線の高さを合わせる。
「今のお前なら、おれも安心だ。お前は、おれの一部を受け継いだ」
ナナイロが、ヤーエルヘルの胸元を指差した。
「お前の中に、おれがいる。旅路を行こう。飽きるまで、さ」
「飽きることなんて、ないでしよ……」
「それなら、ずっと、ずーっとだな」
「……はい」
ヤーエルヘルが、微笑む。
目を真っ赤に腫らしながら、眉間に皺を寄せながら、ともすれば流れそうになる涙をこらえて笑い続ける。
そんなヤーエルヘルの頭頂部に手刀が落とされた。
「た」
「無理すんな。泣いていいんだ。自分は強くなったから心配要らない──なんて、そんなのちっとも嬉しくないぜ。泣いてほしいよ。寂しがってほしいよ。忘れてほしくないよ。ずっと一緒に、……いたかったよ」
「──…………」
「でも、それは無理だから。せめて、おれのために泣いてくれ。使命を終えて何者でもなくなったおれのために。ただのナナイロのために、泣いてくれ……」
「……っ」
ヤーエルヘルが、ナナイロの胸に飛び込む。
「──死なないで……っ! あちしたちと来てよ……! なんで、死んじゃうの。なんで、みんな置いてっちゃうの! なんで、なんで、なんで……!」
嗚呼。
ヤーエルヘルの叫びは、俺の心で膿んでいたものとまったく同じで。
恐らくは、この場にいる全員と同じで。
ただ、ただ、涙が溢れた。
ナナイロを抱き締めていたヤーエルヘルの腕が、やがて力なく垂れ下がる。
「……ごめんな、ヤーエルヘル。ありがとう、みんな。残された時間は少ない。おれには、最後にやりたいことがある。それだけ、付き合ってくれないか?」
俺は、深く頷いた。
「どこまでも付き合うよ、ナナイロ」
「ありがとう、カタナ兄」
「……やりたいことって、なんだい?」
マナナの問いに、ナナイロが、声をひそめるようにして答えた。
「──過去へ行く」
「か、過去、……へ?」
「ああ。あの日の翌日、おれとパタ姉は、神隠しの遺跡でお前らと再会してるんだ。ついでに、若い頃は間違いなく美人だったお婆さんと一緒にな」
「そう、だったのか……」
行こう。
歴史を違えることを恐れているのではない。
ただ、ナナイロの最期を見届けたい。
その一心だった。
「なら、おんぶしてあげるよ。あの頃みたいにさ」
マナナが、いたずらっ子じみた笑顔でそう言った。
「……あれ、本気だったのかい」
「おんぶならいいんだろ? 寿命が近くてよく咳き込む婆さまを、神隠しの遺跡まで歩かせるわけにはいかないさ」
「そうか」
ナナイロが微笑む。
その笑みは、ひどく儚く見えた。
「なら、頼もうか。マナナのおんぶなんて、それこそ六十年ぶりだぞ」
マナナがその場で屈むと、ナナイロが、すこし大儀そうに背中に負ぶさった。
「ああ、軽い軽い」
「……はは。そうだね。こんな感じだった。大人がいるときは大人に甘えろ、なんてお前に言われたっけな」
「ああ、言ったね」
「そのあとは、たしか──」
ナナイロとマナナの声が、ピタリと揃った。
『ヤー姉をひきつぶせー!』
ナナイロを背負ったマナナが、ヤーエルヘルを追い掛ける。
「な、何故っ!?」
「はははッ!」
「ふへ、へへへ……」
「ははっ! 六十年前の再現ではないか」
バルマが愉快そうに言った。
「私たちが暗躍しているとき、こんなことをしていたのか。その場に居合わせたかったものだ」
「ああ。楽しかった。……楽しかったよ」
マナナたちとヤーエルヘルの追いかけっこが終わったあと、俺たちは神隠しの遺跡へと足を向けた。
幸い、道中でナナイロが咳き込むことはなく、無事に辿り着くことができた。
無数の朽ちた石垣を乗り越えながら、遺跡の中央にある崩れた釣り鐘型の建造物を目指す。
建造物の周囲には、俺とヘレジナがどかした瓦礫の姿があった。
瓦礫の隙間を縫い、建造物の中心を探すと、床に埋め込まれた小さな
「誰が
俺の質問に、ナナイロが頷く。
「ああ、おれがいい。ヤーエルヘルに頼むと、また一日二日余計に滞在しちまうからな」
「だ、だいじょうぶ……?」
「心配すんな、プル姉。無理しようと、無理しまいと、もう変わらないよ」
「──…………」
プルが、悲しみに満ちた表情を浮かべる。
「マナナ、降ろしてくれるか」
「わかった」
マナナがナナイロを降ろし、立たせる。
ナナイロの体がすこしふらつくが、大事はなかった。
その場に片膝をついたナナイロが、月の色をした石に指を触れる。
すると、敷石の隙間から光が溢れ出した。
あの日のように。
光は溢れ、漏れ出し、やがて満ちる。
そして──
「──…………」
目を開くことで、自分が目を閉じていたことに気が付いた。
周囲が薄暗い。
六十年前の時点では、釣り鐘型の建造物はまだ崩れていないのだ。
「──……わる、い。すぐ、起きる……」
前回のヤーエルヘルと同じように
すこし慌てたが、黒い粘液になる様子はない。
「今度は俺がナナイロを背負うよ。バルマ、手伝ってくれ」
「了解した」
体格の良いバルマが、俺の背中にひょいとナナイロを背負わせてくれる。
「パタネアたちと神隠しの遺跡で再会すると言っておったが……」
ヘレジナが、開き戸の失われた扉を出る。
「……なんと」
「うん?」
続いて、俺たちも外に出る。
すると、今まさにこちらへ来ようと無数の石垣を乗り越えているパタネアと、それを追い掛けるまだ十歳のナナイロの姿があった。
ぶんぶんと振る手に、こちらも手を振り返す。
ナナイロを置き去りにしてまで全速力でこちらへやってきたパタネアに、すこし引きながら挨拶をする。
「よ、よう、パタネア。昨日はいきなりで──」
「どっ、どどど、ど、どうやって消えたんですか! 奇術ですか! 奇術なんですかー!」
マナナが苦笑する。
「いやね、パタネア。奇術なんかじゃなくてさ」
ヒイコラと追いついてきた十歳の頃のナナイロが、石垣に寄り掛かりながら言う。
「だー、かー、らー! カタナ兄たちは六十年後から来たんだぞ! 時間切れになったから帰っちゃったの!」
「でもいますし……」
「ちょ、ちょっと、用事が残ってたから、戻って来た、……の」
「用事……」
パタネアが、俺たち全員を見渡す。
二人、増えている。
一人は、俺の背中で気を失っている現在のナナイロ。
そして、もう一人は、パタネアの父親であるジーン=ゼンネンブルクの複製体、バルマ=ケレスジーアだ。
「……お父、さん?」
パタネアの横で、ナナイロもまた驚愕する。
「十七番目!?」
まさか生きてるとは思わないよな。
「──…………」
バルマの視線はパタネアへと向いている。
「お父さん、だよ……ね?」
「違う」
「嘘! お父さんなら、左手に光矢術を受けた傷痕が!」
そう言って、パタネアがバルマの左手を取る。
だが、そこに傷痕はなかった。
複製を遺伝子から行ったのであれば、当然だろう。
オリジンとバルマは、同じ遺伝子を持つだけの、まったくの別人なのだ。
「ない……」
「私の名は、バルマ=ケレスジーア。見ればわかる通り、私はお前の父親であるジーン=ゼンネンブルクと浅からぬ関係にある」
「お、お父さんは! お父さんは生きてるんですか!」
「──…………」
バルマが沈黙する。
助け船を出すこともできるが、これはバルマの因縁でもある。
バルマが答えを出すべき事柄だと思った。
たとえ、それが真実を説くことでも、虚飾で誤魔化すことだとしても。
「……結論から言う。お前の父親は生きている」
「!」
パタネアの表情が喜色に染まりかける。
「だが、お前は父親には会えない。理由は一つ。彼自身が、お前に会うことを望まないからだ」
「そん、な……」
パタネアが体が、ふらりと振れた。
十歳のナナイロが、慌ててパタネアを支える。
「パタ姉……」
「勘違いをしているかもしれない。だから、一つ弁明をしておく」
「──…………」
「ジーンはお前を愛している。愛しているが故に、会えないのだ」
「愛している、……のに?」
「私に言えるのは、ここまでだ」
「──…………」
十歳のナナイロが口をつぐむ。
彼女は知っている。
オリジンが、これから六十年を無為に過ごすことを。
「──ああ、一つだけ言い忘れていたな」
「なんですか……」
「私は、六十年後の未来から来た。彼の生きた六十年を間近で見ている。パタネア。お前の救いになるかはわからんが……」
バルマが、そっと微笑んだ。
「ジーン=ゼンネンブルクは幸福に生き、そして死んだよ」
「──…………」
パタネアが、喜びとも悲しみともつかない複雑な表情を浮かべた。
「……とにかく、生きてはいるんですね?」
「ああ。それは保証する」
「なら、いいです。納得行きませんけど。納得行きませんけど! でも、死んじゃうより、不幸になるよりも、遥かにましですから」
「そうだな」
やはり、パタネアは強く優しい女性だ。
幼少期のマナナが慕っていたのもわかる気がする。
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