3/再び、ワンテール島 -7 世界を救う

「──位置的には、このあたりだな」

 先頭を歩いていたナナイロが、足を止める。

 断崖から見える東の水平線は、すこしずつ色づき始めていた。

「西南西。日の出とほぼ反対の方角か」

 ヘレジナが方角を確認し、指を差す。

「恐らく、あちらだ」

「はい!」

 ヤーエルヘルが、右手の人差し指と中指とを早くも揃え、西南西の空を睨む。

 その手は、緊張で震えていた。

「や、……ヤーエルヘル」

 プルが、ヤーエルヘルを背後から抱き締めた。

「落ち着い、……て。ま、まだだから……」

「し、しみません……」

「ナナイロ。朝の五時って話だったけど、正確には?」

 マナナの質問に、ナナイロが答える。

「午前五時一分十一秒。ただし、前後五秒の誤差があるな」

「誤差か」

 バルマが眉をしかめる。

「ふむ。誤差がそんなに問題なのか?」

「ヘレジナ。小惑星片は、どれほどの速度でこのサンストプラに落ちてくると思う?」

「いや、わからんが……」

「恐らくだが、音を遥かに超える」

「音を……?」

 バルマの言葉を、ナナイロが補足する。

「今回の場合、音の五十倍程度は出るだろうな」

「五十倍!?」

 マナナが不安げに尋ねる。

「そ、それ、見てから間に合うのかい……?」

 ナナイロが、不敵な笑みを浮かべて頷いた。

「大丈夫だ。お前ら、流れ星を見たことあるか?」

「う、うん。ある、……けど」

「あれは、今回の小惑星片より遥かに小さな、言うなれば塵のようなものが降る際に起こる現象だ」

 俺は、思わず目を見張った。

「よく知ってるな」

 サンストプラの科学は、現代世界より明らかに遅れている。

 にも関わらず、ここまで正確に流れ星という現象を理解していることに驚いたのだ。

「おれも、つい最近までは知らなかったさ。願望器でのシミュレーションで、小惑星片からさらに剥離した小石や塵が、光と熱を発して消失する現象を確認した。大気との摩擦だろうな、あれは」

「……願望器が残ってたら、サンストプラの科学って死ぬほど発展してたんじゃ」

「なに言ってんだ、カタナ兄。残ってたら世界滅んでただろ」

「それはそうなんだが……」

 ナナイロが西南西の空を睨む。

「小惑星片は燃え尽きない。衝突の五秒前には燃え始め、光を発するはずだ。そうすれば目視できるって寸法さ」

「しかし、音の五十倍とはな。それではろくに狙いもつけられまい。現状、開孔術を確実に当てられる距離は二十歩までだ。標的がいくら巨大とは言え……」

「問題ないぞ、ジナ姉」

 ヘレジナを安心させるように微笑み、ナナイロが西南西の空へと人差し指を向けた。

 彼女の指先が光る。

 そして、完全に直線を描く光が、その指先から放たれた。

「レーザー!?」

 少なくとも、それに類する灯術だ。

「名前あんのか、これ。さっき、開孔術の導火線を灯術で引くって話を聞いて、ちっと術式を開発してみたんだぞ」

「──………………」

「──……」

「──…………」

 俺以外の全員が、唖然とした顔でナナイロを見つめている。

「……やっぱ、すごいのか?」

 バルマが、呆れたように答えた。

「天才だ。少なくとも、私には真似できん」

「ふ、ふつうの学士のひとでも、い、一週間は、かかると思う……」

「ま、おれは優秀だからな」

 ナナイロが腰に手を当て、得意げにそう言った。

「──ヤーエルヘル。結局、やることはさっきと同じだ。空が光ってから五秒後に、おれの灯術に沿わせて開孔術を使うだけでいい。狙いはおれがつける」

「はい、わかりました」

 ヤーエルヘルが、しっかりと頷く。

 それは、ナナイロに対する信頼でもあっただろう。

 だが、俺には、自分の魔術に対する自信であるようにも見えた。

 根底に本物の自信がある必要はない。

 たとえ形だけでも、見せかけでも、自信があるように振る舞えば、現実は後からついてくる。

 そういうものだと、わかっているのだ。

「──…………」

 東の空が、徐々に明るくなっていく。

 その時が近付いていた。

「ヤーエルヘル。準備はいいか」

「はい!」

 ナナイロが、ヤーエルヘルを背中から抱き締めるようにして、西南西の空を指差す。

 ヤーエルヘルもまた、人差し指と中指とを揃え、師の指先に添えた。

 ナナイロの懐中時計を借り受けたマナナが、文字盤を読み上げる。

「──午前五時。あと一分だ!」

 言葉と共に、曙光が周囲を照らし出した。

 背後で日が昇ったのだ。

「あと五十秒!」

 息苦しいほどの緊張が、周囲に満ちていた。

「四十秒!」

 信じることしかできない自分に、無力感が募る。

「三十──」

「──けほッ」

 そのとき、ナナイロが咳き込んだ。

「ナナさん……!」

 ヤーエルヘルが振り返る。

「ヤー、エルヘル……! 空を見ろ!」

「は、はい……!」

「二十秒!」

「げほ、……えほッ!」

 俺は、神眼を発動した。

 一瞬で二人との距離を詰め、ナナイロの懐から小袋を取り出し、残り二粒になっていた丸薬を飲ませる。

「ぶ!」

「薬だ、飲め!」

 ナナイロの喉が動き、丸薬を飲み下したのがわかった。

「あと十秒! カウントダウンはしないよ!」

 ナナイロがこちらを振り返り、強気な笑顔で頷いてみせた。

 小惑星片の衝突には誤差がある。

 ここからは、目視で確認するしかない。

 一秒一秒に、人生一回分の重みがあるようにすら感じる。

 それから、何秒経っただろうか。

 わからない。

 ただ、ひたすらに、西南西の空を睨みつけていた。

 そして──


 俺は、見た。


 朝日の光を受けて橙色に染まった雲の向こうに、光が一つ、灯るのを。


「──来た!」


 ナナイロが、灯術のレーザーを放つ。

 この時点では、恐らく、狙いは外れているだろう。

 俺は、神眼を発動した。

 意味があるかはわからないが、そうした。

 光は徐々に大きくなっていく。

 光の点は、空の染みとなり、やがて火の玉へと姿を変える。

 ふらついていたレーザーの狙いが、吸い付くようにピタリと定まった。

 ナナイロが、ヤーエルヘルの肩をポンと叩く。

 その瞬間、


 ──パチッ。


 火花が弾けた。


 レーザーに沿って、炎が走る。

 小惑星片は、もう、俺たちの目前まで迫っていた。

 視界が光に覆い尽くされる。


 明転。


 そして、


 暗転。




 ──眼前に、〈孔〉が開いていた。




 開孔術。

 これまで幾度も目にしてきた。

 だが、ここまでハッキリと〈孔〉を目視できたのは初めてだ。


〈孔〉は、小惑星片を呑み込むと、一瞬で掻き消える。

 一瞬で現れた真空を補填するために、空気が、風が、暴れ狂う。

 それは、願望器の間を消失させた時とは比べものにならない暴風だ。

「ふわっ!」

「のわあッ!」

 体重の軽いプルとヘレジナが浮き上がる。

「危ねえッ!」

 慌ててヘレジナの腕を掴む。

 ヘレジナはヘレジナで、プルの足をしっかと掴んでいた。

 風が止み、プルがそのまま顔から落下する。

「ふぎゃん!」

 脊髄反射の治癒術があるとは言え、さすがに痛そうだ。

「だ、大丈夫ですか、プルさま!」

「ら、らいじょぶー……」

 今のが平気なのは、すごい。

 しばらくして、風が止む。


 ──小惑星片の姿は、もう、どこにもなかった。

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