3/再び、ワンテール島 -6 六十年

「島の人たちのカンパもあって、おれは、ウージスパイン魔術大学校の尋常科に入学できた。取った授業はもちろん、魔術学に関わるすべての科目だ。島でも勉強はしてたけど、独学のための教材がそもそも足りなかったんだよな。あまりの自分のレベルの低さに、絶望したこともあったっけ……」

「……意外だな。ナナイロでも、そんな時があったんだ」

「なーに、それは最初だけだぞ。おれは優秀だからな。すぐに全員ぶち抜いて主席になってやったさ。尋常科で三年学んだあと、おれは、狙い通り魔術研究科に引き抜かれた。そこで、ようやく、開孔術の開発に取り掛かることができたんだ」

 ナナイロが、果実水で口を潤す。

「当然ながら、開孔術の開発は難航を極めた。わかってるのは、火法系統の究極系っていう曖昧な情報だけ。他の学士の協力が見込めないのも痛かったな。おれの美貌目当てで近付いてくる男はいたけど、そんなんは顔面グーパンチだぞ。それどころじゃないっての」

 そこまで言って、ナナイロが苦笑した。

「──なーんて、言い訳だな。おれは、恋人みたいな深い関係を築いてから、自分が魔獣であることがバレるのが怖かった。それが恐ろしくてたまらなかった。大切な人から拒絶されるのが怖かったから、大切な人を作らなかったんだ。臆病だろ?」

「わかるよ。さらけ出した自分を否定されるのは、怖いよな……」

「……うん」

 ナナイロの場合、隠していた秘密があまりにも大きかった。

 臆病になるのは当然だ。

「おれは、順当に出世して、やがて教授職に就いた。自分の研究室で好き勝手やれるようになったあと、開孔術はようやく完成したよ。魔術研究科に所属してから、もう十八年が経っていた。それで安心しちまって、油断があったんだろうな。さっきも言った通り、純粋魔術を研究してると密告されて、おれは魔術研究科を追い出された。まあ、それは本当に大したことじゃなかったんだ。派閥争いに学内政治、居心地のいい職場とは口が裂けても言えなかったしな。一つの区切りってことで、久し振りに島へ帰ったよ。最初は毎年帰ってたんだけど、忙しくなるにつれ帰省も難しくなって、そのときは五年ぶりだったかな。そしたらパタ姉の息子がもう結婚してて、かなり驚いたぞ」

 その二人がマナナの両親なのだろう。

「それからは、二年に一度くらい島に帰りながら、北方大陸を放浪した。実を言うと、マナナにも何度か会ってるんだぞ。あいつは覚えてないだろうけど」

 ナナイロが、くすくすと愉快そうに笑った。

「そして、今から二十二年前のことだったな」

 笑顔を消し、ナナイロが虚空を見つめる。

「──パタ姉が、亡くなってた」

「ああ……」

 わかっていた。

 マナナに家族がない以上、パタネアが今を生きているはずがない。

 それでも、あの快活で勇敢な女性が既にこの世にいない事実は、少なからず俺の心を揺さぶった。

「当然、死に目には会えやしなかった。島では墓は作らない。みんな荼毘に付して、骨は海に撒く。だから、ただただパタ姉がいないだけなんだ。〈今買い物に行ってるから〉なんて言われたら、きっと信じただろうな。すがるように」

「──…………」

「それからは、もう、島へは戻らなかった。戻る理由もなかった。そして、放浪の先で、あの子を見つけた」

 ナナイロが、大部屋のある方向へと視線を向けた。

「──ヤーエルヘル。パタ姉を失ったおれにとって、あの子は唯一の希望だった。そして、ナナイロ=ゼンネンブルクにとっての最後の仕事でもあった」

 遠い過去の出来事に、彼女は想いを馳せているのだろう。

「あの子と共に、二十年。大陸のあちこちに行った。北へ南へ、東へ西へ。もっとも、おれはウージスパインとアーウェン。あの子はトレロ・マ・レボロへは行きづらかったから、西部より東部のほうが多かったけどな。本当に、よく開孔術を覚えてくれたと思う。あれは、ヤーエルヘルの努力の結晶だ。いくら魔術の才があったとて、生半可で習得できる魔術じゃないんだよ、本当に。そして──」

 あとの流れは、俺も知っている。

「おれは、ヤーエルヘルに別れを告げて、先に島へと帰った。あの子がおれを探して島へ来るのはわかってた。あの日に聞いてたからな」

 ナナイロが俺たちを時間遡行の遺跡へと導いたことは、六十年前の時点でナナイロに既に伝えてあった。

 よく覚えていたものだと、思わず感心する。

「あとは、ただ、待つだけの日々。魔獣除けのおかげで町へは入れないから、マナナとバルマが世話焼いてくれたよ。願望器の使い方を解析する必要があったから、時間はいくらあっても足りなかった。でも、人は人と話さなければ倦むもんだ。バルマが話し相手になってくれたことには、今でも感謝してるぞ」

「なに、私にとっても、腹を割って話せる唯一の友だ。助かったのはこちらも同じだとも」

「なら、お互いさまだな!」

 そして、ナナイロが俺を見た。

「こうして、今、おれの人生は終わりを迎えようとしてる。カタナ兄。もう一度聞くよ」

 真剣な瞳で、俺を見つめた。

「──おれの人生を、どう思う?」

 数時間後に亡くなる仲間に、俺は何を言えばいいのだろう。

 素晴らしい人生だったと褒めそやせばいいのだろうか。

 違うだろ。

 俺が思ったことを、一切の虚飾なく、素直に口にするべきだ。

 それが、ナナイロに対する誠意なのだと思うから。

「カッコいいよ。心底、カッコいい。でも、……寂しいな」

 ナナイロが、愉快そうに笑顔を浮かべる。

「ははっ、そうかそうか。カタナ兄は素直だな」

「俺は──」

 本当に、心の底から。

「俺は、お前とも旅がしたかったよ」

「──…………」

 ナナイロが、はっと息を呑んだ。

「……ああ、そうだな。おれも同じ気持ちだ。十歳の──造られたばかりのおれは、そうしたかった。そんな気が、するよ」

「六十年、か」

 天井を見上げる。

「わがまま、なんだろうな。出会えただけで奇跡なんだよな。世界を救えるんだから、それで満足すべきなんだよな。でもさ」

 ナナイロを、俺は見る。

「お前は、仲間で、友達だから」

 ナナイロが、俺を見た。

「寂しいよ……」

「……ああ」

 眉をハの字にして、ナナイロが笑う。

「その言葉だけで、おれは、救われる。六十年間頑張ってきて、よかった」

「……そうか」

 待合室に、沈黙の帳が下りる。

 だが、ここにいたかった。

 ナナイロと、バルマと、ずっと話していたかった。

 けれど、

「──…………」

 俺の肉体も、精神も、疲弊し過ぎていた。

 目蓋が重い。

 抗えない眠気が意識を刈り取ろうとしているのがわかった。

「ああ、ほら。ベッドで寝ておいで。三時間後くらいには起こしてやるからさ」

「……嫌だ」

「子供かい」

「起きてる……」

「──ああ、もう。仕方ない」

 ナナイロが、俺の頭を膝へと導く。

「お婆ちゃんの膝枕で悪いけど、ないよりましだろ」

「──…………」

 固い。

 骨張った太股に頭を預けていると、不思議とまた泣けてきた。

 数時間後、俺たちは、この人を失うのだ。

 そして、気付けば眠りに落ちていた。


 ──十歳の頃のナナイロと、ブランコで遊ぶ夢を見た。

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