3/再び、ワンテール島 -4 悲願

「──…………」

 ナナイロが、無言のうちに、ヤーエルヘルの頭から手を離す。

「さ、願望器破壊の最終確認だ。忘れ物、落とし物、やり残したことなんかあれば、今のうちだぞー?」

 俺たちは、互いに顔を見合わせた。

 特に思いつくことはない。

 願望器を使えば、あるいは、簡単な願い事ならばすぐさま叶えてもらえるのかもしれない。

 だが、さすがにこのタイミングで培養槽に入る勇気はなかった。

「──ならば、そうだな」

 バルマが一歩前に出る。

「ナナイロ。お前が算出した時刻に願望器を破壊した場合、小惑星片が衝突する正確な位置はわかるか?」

「やっぱ、着弾地点のがいいかね」

「着弾地点にいれば、小惑星片はまっすぐにこちらへ向かって来る。狙いを修正する必要がない。成功率は格段に上がるはずだ」

「なるほど、さすが光矢術士だ。んーじゃ、三十分くれ。今のうちに計算しちまうぞ」

 思わず感心する。

「使いこなしてんなあ……」

 ナナイロが得意げに口角を上げる。

「ふふん。これでも優秀なんだぞ、おれは」

「今まさに見せつけられてるよ」

 願望器を破壊すべき時刻まで、あと一時間もない。

 ナナイロの集中を切らさないため、俺たちは彼女の作業を無言で見守り続けた。

「──よし」

 きっかり三十分後、ナナイロが映像を見上げながら口を開く。

「出たぞ。北の断崖付近だな」

 マナナが、ほっとした顔で頷く。

「見通しのいい場所で助かったよ。森の中だと大変だ」

「そうだな。おれの場合、町中でなくて助かったって感じだけど」

「魔獣除けの回収なんかは、全部終わって落ち着いてからにしたいもんな……」

「う、……うん。い、いま、それどこじゃない……」

 願望器の破壊予定時刻まで十分を切り、俺たちは願望器の間を後にする。

「ああ、そうだ」

 ふと、些細ながらも重要なことに気付く。

「バルマ。扉を開け放したままにできるか?」

 扉が閉じてしまうと、開孔術の発動位置が大きくずれてしまう。

「ああ、問題ない」

 バルマが扉の横のタイルに触れ、数秒目蓋を閉じる。

 すると、扉が開いたまま動かなくなった。

「ヤーエルヘル。確実に命中させるために、灯術で導火線を引いてもらおう」

「はい!」

「導火線……」

 ナナイロが口の中で呟き、幾度も頷いた。

「なるほど。最初に走らせる炎術を確実に対象に当てるために、灯術に込めた魔力マナを導火線にするのか。それは、おれも思いつかなかったな……」

「カタナさんが考えたんでしよ!」

「ああ。さすがカタナ兄だ」

「ははは、それほどでもあるある」

「なら──」

 ナナイロが下を向き、ぶつぶつと何事かを呟き始める。

 その内容は非常に専門的で、俺たちには彼女が何を言っているのか、まるで理解できなかった。

 しばしして、ナナイロが顔を上げる。

「……よし、行けそうだな」

「ナナイロ、あと何分だい?」

 マナナの質問に、ナナイロが懐中時計を開く。

「あと三分だ。ヤーエルヘル、心の準備をしとけ」

「はい!」

 ヤーエルヘルが、プルへと視線を向ける。

「プルさん。石竜のときみたいに、灯術をお願いしまし……!」

「わっ、わわ、わかった!」

 プルが、手のひらに浮かび上がった光球に息を吹き掛ける。

 光球はまっすぐに飛んで行き、扉の向こうの願望器──そのコンソールまで光り輝く導火線が引かれた。

 しばし、無言の時が過ぎる。

「──あと三十秒。十秒前からカウントダウンするぞ」

「はい」

 ただ見ているだけの俺ですら、手汗をズボンで拭っているくらいだ。

 ヤーエルヘルの緊張は想像を絶するものがあるだろう。

 しかも、これで終わりではない。

 数時間後には、小惑星片を消滅させるという大仕事が残っている。

「十、九、八、七──」

「……!」

 ヤーエルヘルの双眸が、鋭く引き絞られる。

「六、五、四、三──」

 揃えられた中指と人差し指が、光の線の端に触れた。

「二」

 ヤーエルヘルが目を見開く。

「一」

 パチッ。

 火花が弾けた。

「──ゼロ!」

 光り輝く線が燃え上がり、炎が一瞬でコンソールへと到達する。


 世界から音が消え、


 世界から色が抜け、


 世界から、


 周囲の空間ごと、




 ──願望器の間が消失した。




 風が暴れ狂う。

 失われた空間を補填しようと、周囲のすべてが開かれた孔の中心へと引きずられる。

「う、……わっ!」

「話に聞いてはいたが……」

 マナナとバルマが、渦を描く狂風に抗いながら、数秒前まで願望器の間であった場所を呆然と見つめている。

 そこにあったのは、すべてを滑らかに刈り取った球状の〈無〉だ。

 願望器へと繋がっていた無数のチューブから、水とも油ともつかない黒い液体が勢いよく溢れ落ちている。

 願望器の間の向こうの暗がりには、島民たちが眠らされていたコフィンに近い形状のものがズラリと並べられており、魔獣の研究、生産が行われていた部屋であることが窺えた。

「──よッし!」

 ナナイロが、ヤーエルヘルの頭をわしわしと乱暴に撫でる。

「よくやった、ヤーエルヘル! 使いこなせるようになってるじゃんか!」

「えへへ! でも、まだまだでし。灯術によるサポートがないと、まだ二十歩先にしか確実には当てられないんでし……」

 自分の腰に両手を当て、ナナイロが言った。

「いいんだよ。お前はまだまだ発展途上だ。潜在魔力マナ量に振り回されてはいるが、もともとお前は魔術の才に溢れてるんだぜ」

「そう、……なんでしか?」

「当然だろ。開孔術の習得難度は、現在サンストプラで扱われてるどの専門魔術よりぶっちぎりで上なんだぞ。おれに潤沢な魔力マナがあったとしても、習得できるかどうか怪しいくらいだ」

「えー!?」

 ヤーエルヘルのどんぐりまなこが、さらに大きく見開かれた。

「まあ、使うほうの才能がおれにはあんまりないって理由もあるけどな」

「そ、それでもびっくりでし……」

「言ったらハードル上がると思って、今まで秘密にしてたんだよ」

 そう言って、ナナイロはいたずらっ子のように微笑んだ。

 ふと気になったので、一つ尋ねてみる。

「ナナイロ、ナナイロ」

「なんだ、カタナ兄」

「灰燼術と比べて、開孔術ってどんくらい難しいんだ?」

「そんなん比較にもならんぞ。いくら高等魔術と言えど、灰燼術くらいならおれでも扱える。開孔術は、そうだな……」

 しばし思案し、ナナイロが答えた。

「足し算が、炎術。指数関数が灰燼術とすると、開孔術は神代の謎算術だ。自分で開発しといてなんだけど、ありゃ神代魔術くらいの難度はあるからな」

「すっげ」

 ナナイロって、ガチの天才だったんだな。

「──さ、作戦の第一段階は終了だ。朝まではまだ時間がある。どっかで休もうぜ」

「だな」

「な、ナナイロって、診療所には行ける、……の?」

「ああ、大丈夫だぞ。診療所は郊外にあるからな。あれから十年近く診療所で暮らしてたし、マナナに会っていろいろ預けもしたろ」

 マナナが、納得したように頷く。

「ああ、確かにね。なら、全員うちで休みなよ。美味くも不味くもないごはんと果実水くらいならいくらでも出すよ」

 ヘレジナが眉をひそめて言った。

「……私は風呂に入りたい。千体からなる魔獣を退治したゆえ、ところどころに粘液が付着して不快なのだ」

「千、……体?」

 マナナが目をまるくする。

「ああ、ありゃすごかったな。その場にいたおれですら、つくりものでも見てるみたいに現実感がなかったもの」

「奇跡級。それも、恐らくは上位が二人ともなれば、ああいったことも可能なのだな」

「……まあ、な」

 ナナイロとバルマの言葉に、曖昧に頷く。

 あれは、ただの魔獣ではなく、なりそこないとは言えナナミさんだった。

 その事実が心の奥底でいまだ澱んではいるが、顔に出さないことくらいはできる。

 きっと、ヘレジナも同じだ。

 そして、ヤーエルヘルも同じはずだ。

 彼女は、培養槽で千年間も眠り続けた女性を、自らの手で葬ったばかりなのだから。

「……今さらだけど、ほんとに伝説の英雄だったんだね」

 マナナの言葉に、ヘレジナが得意げに胸を張る。

「ふふん。今頃気が付いたか」

 俺は、願望器の間だった場所へと背を向けた。

「──さ、いったん診療所へ向かおうぜ。すこし休みたいわ、マジ」

「はあい!」

 こうして、俺たちは、願望器のあった遺跡を後にした。

 次に来るときは、オリジンの遺体を荼毘に付すときだろう。

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