3/再び、ワンテール島 -3 世界の終わり

 マナナが、呟くように言った。

「……ジーンの遺体は、部屋の外に運んでおこう。ばーちゃん──パタネアやナナミと同じように、きちんと荼毘に付して、海に撒いてやりたいんだ」

「ああ、それがいい。紆余曲折あったが、家族と同じ場所へ行かせてやるのがいちばんであろう」

「だな」

 俺たちは、オリジンの遺体を願望器の間から運び出した。

 ビーズのネックレスが彼の手から離れないように、細心の注意を払いながら。

 遺体をホールへ移動させ、願望器の間へと戻ったとき、マナナがふと尋ねた。

「──それにしても、十七番目。あんた、一年前に目覚めてどうしてたんだい?」

「どうもこうも、普通に島で生活していたぞ。歴史が変わる可能性があったから、お前とは決して顔を合わせぬよう気を払っていたがな。もっとも、お前は治癒術士という立場上、あまり診療所を離れることはなかった。故に、さして難しいことでもなかったが」

 十七番目が、自分の胸に手を当てる。

「今は、バルマ=ケレスジーアと名乗っている。この名であれば聞き覚えがあるのではないか?」

 しばしの思案ののち、マナナが驚愕に目を見開いた。

「──去年島に移住してきたって言う、光矢術の師範!」

「その通りだ。いつまでも十七番目では通りが悪いだろう。できればバルマと呼んでくれ」

 俺は、十七番目──バルマに右手を差し出した。

「ああ、わかった。改めてよろしくな、バルマ」

 バルマが俺の右手を力強く握る。

 皆が、口々にバルマの名を呼んだ。

 そのたびに微妙に嬉しそうな顔をするので、どうやら気に入っている名前らしい。

「──さて、そろそろ見せるとしようか」

 ナナイロが腕まくりをし、部屋の中央にある斜めに寸断された石柱のようなもの──恐らくこの願望器のコンソールに当たるであろう装置に手を触れる。

 その瞬間、六十年前と同じように、映像と文字とが空間に直接投影された。

 葉巻型の小惑星の完全な3Dモデルと、一文字たりとも読むことができないロンド古語で綴られた文章だ。

 ナナイロが、まるで現代のタッチパネルを操作するかのように、空中で両手を躍らせる。

 そのたび、ものすごい勢いで投影された情報が更新されていった。

「な、なな、なに!? すーごいことだけわか、……る!」

「なーに、これでもロンド古語の研究だってしてたんだぞ。このくらい余裕余裕」

「解析に半年近くかかっていたがな」

「言うな馬鹿!」

「いや、それでもすげえって……」

 たとえば、コマンドプロンプトからOSまですべてタイ語で作り上げられた未知のコンピュータがあったとする。

 タイ語の辞典を一冊渡されて、これを半年で使いこなせるようになれと言われたら、俺は間違いなくその場で退職するだろう。

「隠し事しなくたって、ナナさんは、とっても、とっても、すごい人でしよ」

「……まあ、素直に受け取っておくとするかな」

 会話をしながらも願望器の操作を続けていたナナイロが、ふと手を止めた。

「全員、これを見てほしい」

 皆が、コンソールの周囲に集まる。

「今から見せるのは、願望器がこのまま稼働を続けた場合のシミュレーションだ」

 ごくり、と。

 誰かの喉が鳴る音が聞こえた。

 見覚えのある形の大陸が描かれた惑星が、バスケットボールほどの大きさでコンソールの真上に浮かび上がる。

 惑星に対し、親指の爪ほどの大きさの小惑星が、すこしずつ近付いていく。

「なんだ、随分小さいではないか。この程度であれば、海に落ちればどうとでもなるのではないか?」

「いや」

 俺は、ヘレジナの言葉に首を横に振った。

「この縮尺で、肉眼で見える。その時点で、余裕で世界は終わる」

「そ、そうなん、……だ」

「なに、見てればわかるぞ」


 葉巻型の小惑星が、惑星サンストプラへと吸い込まれるように落ちていく。

 そして、北方大陸の西方──アーウェン付近に小惑星が衝突した瞬間、炎よりなお白く輝く柱が噴き上がった。

 円形の衝撃波が周囲に広がっていく。

 衝撃波の通過した場所は、陸であろうと海であろうと無関係に赤黒く輝き始める。

 その衝撃波は、ついには惑星の裏側にまで届き、サンストプラはまるで原初の惑星、あるいは太陽のような、人間どころかあらゆる生物が住むことのできない死の星と成り果てた。


「──………………」

「──……」

「──…………」

 全員、無言になる。

 当然だ。

 こんな未来を見せられたら、絶句もする。

「だ、大丈夫なんでしよね……? あちしが願望器を消し去れば、この未来は回避できるんでしよね!」

 ナナイロが、俺たちを安心させるように微笑んでみせた。

「ああ、もちろんだ。開発者のおれにだって使えなかった開孔術だが、ヤーエルヘル、お前になら扱える。信じてるぞ」

「──はい!」

 ヤーエルヘルが、意志の篭もった瞳を湛え、頷いた。

「さーて。実を言うと、厄介事はもう一つあってな」

「こ、今度はな、なにー……?」

「次のシミュレーションを見てくれ」

 ナナイロがコンソールを操作すると、先程とそっくり同じ3D映像が空間に投影される。

「この時点で願望器を破壊し、小惑星の誘引を止めると──」

 小惑星の軌道が僅かに逸れ、衝突を免れるコースに入る。

「なんだ、平気ではないか」

 ヘレジナがほっと胸を撫で下ろしたとき、惑星の一部が、ぽっと赤く輝いた。

 それは、見事にアーウェン周辺だった。

「な、なんだこれは! 小惑星は落ちなかったではないか!」

「それがな……」

 ナナイロが今のシーンを早戻しし、小惑星を拡大する。

 そして、再び再生すると、その理由が判明した。

「──サンストプラの重力で、表面の破片が剥がれ落ちるんだよ」

「た、……たったこれだけの破片で、こ、こ、こんな被害が出る、……の?」

「ああ。天体の衝突って、想像するより遥かに大事おおごとなんだよ。俺の世界では、数千万年前に落ちた隕石のせいで、当時地上を支配していた生物が絶滅したくらいだ。もっとも、このサイズのは滅多にないけどな」

「頻繁にあってたまるものか……」

 シミュレーション映像を止め、ナナイロが俺たちを振り返った。

「小惑星片は、現在から衝突までのどのタイミングで願望器を止めても、必ずアーウェンのどこかに落ちる」

「──…………」

「だったら、一つ賭けてみないか?」

「……どんな賭けだい?」

 不安そうに尋ねるマナナに、ナナイロがにやりと笑ってみせる。

「願望器を破壊するタイミングを吟味することで、アーウェンのどこに小惑星片が落ちるかをある程度操作できる」

「そ、……それって、海に落とすこと、……も?」

「できるけど、あのサイズじゃ大して意味ないな。津波が起きて、周辺の島は全部洗い流されちまうぞ」

「ならば、どうするのだ!」

 ナナイロが、床を指差した。

「──ここに落とすんだよ」

「ここ、……でしか?」

「ああ。このワンテール島に落とす」

「あ──」

 気付く。

「そうか、開孔術だ!」

「さすがカタナ兄だな。そういうことさ」

「ヤーエルヘルの全力の開孔術なら、小惑星片を跡形もなく消し去れるかもしれない。確かに賭けだが、分は悪くないはずだ!」

 真剣な瞳で、ナナイロがヤーエルヘルを見つめる。

「……ヤーエルヘル。できそうか?」

「ふふ」

 ヤーエルヘルが、くすりと笑った。

「あちしは、ヤーエルヘル=ヤガタニ。ワンダラスト・テイルの魔術士で、ナナさんの一番弟子でし。このくらいやってのけないと、女が廃りましよ!」

「よく言った!」

 ナナイロが、ヤーエルヘルの背中をぽんと叩く。

「小惑星片をワンテール島に落とすための厳密な時刻は、既に算出してある。おれの懐中時計は願望器内の時計に合わせてあるし、そこまではスムーズに行けるはずだぞ」

「あと何時間くらいだ?」

 ナナイロが懐中時計を開き、言った。

「一時間弱だな。そこから小惑星片が衝突するまでには、すこし時間がある。朝の五時。日の出と共に、西南西の空から落ちてくるはずだ」

「なら──」

 俺は、培養槽に浮かぶ女性を見上げた。

「あとは、この人をどうするか、だな」

「あ、あんまり見たら、だめ、……だよ!」

「好色め……」

 プルとヘレジナが、冷たい視線を送ってくる。

「仕方ないだろ! 全裸なほうが悪い! あと、べつにじろじろ見てないし!」

「うーん。カタナ兄のが理屈は通ってるけど、女の子は理屈じゃないからな」

「納得いかないんだが……」

 ヤーエルヘルが、ナナイロに尋ねる。

「このひとを外すかんじで開孔術を撃つのはどうでしょう……」

「いや。どこからどこまでを破壊すれば願望器が止まるのかがわからない。中枢であるここをまるごと吹き飛ばしちまうのが、いちばん確実なんだ」

「そう、でしか……」

 ヤーエルヘルが、そっと目を伏せた。

 そうだよな。

 世界滅亡を画策した人間が相手であったとしても、問答無用で殺したくなんてないよな。

 しかし、ヤーエルヘルは気丈に顔を上げた。

「わかりました。やりまし。あちしの感傷よりも、守りたいものが、あるから」

「ああ、よく言った」

 ナナイロが、ヤーエルヘルの頭を撫でる。

「えへへ……」

「おれがヤーエルヘルに教えられることは、もうないよ」

「……そんな、悲しいこと言わないでくだし。まだまだ教わりたいこと、いーっぱい、あるんでしから」

 既視感を覚え、その理由にすぐに思い至った。

 俺とイオタが武術大会でしたやり取りと、そっくりだったのだ。

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