3/再び、ワンテール島 -2 六十年の時を超えて

 賑やかに会話を交わしながら、六人は行く。

 北の森から岩場に出て、洞窟から遺跡へと足を踏み入れた頃、ヘレジナがふと尋ねた。

「──ああ、そうだ。魔術大学校を追われたのはどういうわけだ? 純粋魔術の研究を行った咎で、と聞いたが」

「ああ、それか」

 ナナイロが頷き、答える。

「おれが純粋魔術の研究をしてるって疑われた理由は三つある」

「みっつもでしか……」

「一つ目は、開孔術の開発を行っていたこと。純粋魔術と魔術研究の差異は、〈何故その魔術を開発するか〉という理由が明確であるか否かだ。その点、おれは、開孔術を必要とする理由を答えられなかった。三十年後に世界を救うためだ──なんて言ったところで、気が違ったと思われるだけだわな」

「た、たしかに……」

「二つ目は、単純に、おれが魔獣だってことがバレたからさ。どうやら、自分を魔獣にする研究をしてたと勘違いされたらしい」

「ああ、何も知らなきゃそうなるか」

「最後は、おれが優秀過ぎたからだな! 妬み嫉みにやっかみが日常の職場だ。おれを追い出したがってた教授の顔なら、二、三人は思いつく」

「……ナナイロ。あんた、大変だったんだね」

 マナナの言葉に、ナナイロが笑ってみせる。

「なーに、追い出される直前に開孔術の術式自体は完成してたからな! おれには魔力マナが足りなくて使えなかったが、魔術理論としては完璧だった。ここまで来れば、魔術研究科なんて用無しだ。あとは風の向くまま気の向くままに北方大陸を放浪できたから、むしろタイミングが良かったくらいだぞ」

「えへへ。あちしにも会えましたしね!」

 ヤーエルヘルの頭を、ナナイロが愛おしげに撫でる。

「……ああ。ヤーエルヘル。お前に会えたとき、おれがどんなに嬉しかったか。すぐにでも抱き締めたいくらいだった。でもお前は、故郷を追われたばかりで、目に映るすべてに怯えていたから」

「はい……」

「でも、なんだか面白かったぞ。目の前で身を震わせる小さな女の子が、あの〈ヤー姉〉になるんだからな」

「……あちし、お姉さんできてましたか?」

「できてたさ。ヤー姉も、プル姉も、ジナ姉も、マナナも、おれが目指すべき憧れのお姉さんだったんだから」

「ふふん、そうであろうそうであろう」

「まあ、いざ六十年ぶりに会ってみれば、思いのほか子供っぽくてびっくりしたけどな」

「それは、お前。年齢差があるゆえ……」

 ナナイロが、いたずらっ子のような表情で俺を見る。

「憧れのお兄さんのほうは、再会するなり大号泣だったしな?」

「人のこと言えんのか、ああん?」

 ナナイロの頭を、ぐわしと掴む。

 七十歳のお婆さんにすることではないのは、重々承知だ。

 でも、彼女は老婆である前に、ナナイロなのだ。

 六十年の時を超えて再会した、大切な仲間なのだ。

「いだだだだ」

 ナナイロが大仰に痛がってみせたあと、吹き出した。

「……ああ、懐かしいな。お前たちにとっては一瞬でも、おれにとっては、この六十年は長かったよ。本当に」

「ナナさん……」

 遺跡の最奥。

 島民たちが眠らされていた部屋へ通ずる扉を、ナナイロが開く。

 六十年が経過した円筒形のホールは、半ばほど朽ちていた。

 あちこちに苔が生え、壁に埋め込まれた無数のコフィンの中には、どこかから生えてきた樹木によって蓋を引き千切られたものもある。

 床には格子状に雑草が生え揃い、植物の生命力を見せつけられている気分だった。

 そして、その中央に、一人佇む人影があった。

「──ジーン?」

 オリジンなのか、十七番目なのか、それはわからない。

 だが、その立ち姿は紛れもなく、ジーン=ゼンネンブルクその人だった。

「久しいな」

 その口ぶりで、わかった。

十七番目ケレスバルマ、か……?」

「ああ、そうだ」

 マナナが得意げに言う。

「ほーら、また会えたろ?」

 十七番目が、愉快そうに微笑む。

「また明日、か。案外、まじないとして優れているものかもしれんな」

「また会えてよかったでし! 自分ごと吹き飛ばせ、なんて言ってましたから……」

「う、……うん。よかったー……」

 十七番目を囲み、再会を喜び合う。

 彼もまた、六十年前のあの日のままだった。

 願望器に入っていたためか、彼に至っては外見すらほとんど変わっていない。

 ヘレジナが尋ねる。

「しかし、何故あの願望器から出られたのだ?」

「そうだな……」

 十七番目が、きびすを返す。

 そして、願望器の間へと歩き出した。

「恐らく、見たほうが早い」

 十七番目が白いタイルに触れ、願望器の間への扉を開く。

 この部屋は堅牢なのか、装置に苔が生えているようなことはなかった。

 三つの培養槽のうち、埋まっているのは一つだけだ。

 オリジンの入っていた培養槽は、空だった。


 そして、

 白骨化した遺体が、

 床いっぱいに敷き詰められた枯れた花の上に安置されていた。


「ジーン……?」

 マナナが駆け出す。

 かさり、かさり。

 踏み締められた花が、床を蹴るたびに音を立てて崩れる。

 マナナは、白骨死体の傍に膝をつくと、その手を優しく取った。

「……何か、持ってる」

 マナナを追い、白骨死体へ近付いていく。

 遺体が持っている物に、俺たちは見覚えがあった。

「こ、……これ……」

 プルに頷く。

「ああ。701号がしてた、ビーズのネックレスだ……」

 ヘレジナが、真剣な瞳で尋ねた。

「十七番目。いったい、何があったのだ」

「──…………」

 十七番目が、オリジンの死体を見て目を細めた。

「私が見たのは、確かに愛だった」

「愛、でしか……?」

「この枯れた花々は、すべて、701号がオリジンのために摘んできたものだ」

「701号が……」

「彼女は、常に、オリジンの培養槽に寄り添っていた。そして時折、思い出したように花を摘んできては、培養槽の周囲に飾っていた。理由はわからない。オリジンを慰撫してのことなのか、本能がそうさせたのか。心が芽生えていたのか、あるいは、単に埋め込まれた記憶通りに行動していただけなのか。それは、彼女にしかわからないことだ。私も、半ば眠るように六十年を過ごしてきたから、ずっと彼らを見守っていたわけではない。だが、次第に花の数は増え、オリジンが701号を見る目も優しくなっていた。朽ちかけた絵本を培養槽に向けて開いたり、互いに見つめ合っていることもあった気がする。だが、魔獣とて寿命はある。701号の動きは、徐々に鈍くなり始めていた」

「──…………」

 プルが、感情の行き場を探してか、俺の手を取った。

 わかるよ。

 俺も、どう感じていいのかわからない。

 プルの手をそっと握り返し、十七番目の言葉に耳を傾ける。

「──そして、今から一年近く前のことだ。唐突に培養槽から解放され、私は目を覚ました。私は見たよ。魔獣の死体たる黒い粘液にまみれたビーズのネックレスを手に、それを呆然と見つめているオリジンの姿を。私は気付いた。701号は、稼働限界を迎えたのだ。そして──」

 十七番目が、いつかの出来事を思い出すかのように、目を閉じた。

「オリジンは、彼女の死と共に、彼女がナナミであることを心の底から認めたのだ、と」

「……、あ……」

 プルの頬を、つ、と涙が伝う。

「701号が本当にナナミであったのか、それはわからない。私は、恐らく違うと思っている。彼女はただ、埋め込まれた記憶に沿ってオリジンに寄り添っていただけなのだと思う。だが、これが愛でなくて、なんだ?」

 答えられない。

 答えられるはずがない。

 この営みをすら愛と呼ぶことができなければ、この世界に愛など存在しないだろう。

「オリジンは、そっと私を見上げたあと、震える声で言った」

 十七番目が、オリジンの遺体に視線を落とす。

「また、失ってしまった、と」

「──…………」

「彼は、二度もナナミを失った。少なくとも、ナナミと認められるほどの存在を。そして、オリジンは、自らの心臓を光矢術で撃ち貫き、息絶えたよ」

 沈黙が、願望器の間を彩っていた。

「……お、オリジンは、……う……、幸せだった、の、かなあ……」

 繋いでいないほうの手で涙を拭いながら、プルが言う。

「願い、……叶った、のかなあ……」

 俺は、繋いだ手に力を込め、答えた。

「幸せだったはずだ。叶ったはずだ。たとえ、701号が亡くなってから、オリジンが自分の気持ちに気が付いたとしても。二人の六十年間は、なくならない。色褪せない」

 プルの顔を覗き込み、微笑む。

「……きっと、エル=タナエルの膝元でさ。パタネアが驚いてるよ。なにせ、父親がもう一人母親を連れてきたんだから」

「ふふ。……しゅ、修羅場になってる、……かも」

「違いない」

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