3/再び、ワンテール島 -1 再会

 ──目を開く。

 刺さるような西日の強さに、俺は思わず右手を翳した。

 懐中時計を開き、時刻を確認する。

 十一時半。

 文字盤が表す時刻は、当然ながら六十年前のものだ。

 遺跡から跳べる過去は、ぴったり六十年ではなく、六時間ほどずれている。

 俺たちは、確かに、元の時代へと戻ってきたのだ。

「……帰って、きた、ね……」

 プルの言葉に頷く。

「まるで現実感ねえわ……」

「だが、現実だ。私たちは、間違いなく、六十年の時を行き来したのだ」

「はい。絶対に、本当のことでし」

 ヤーエルヘルが、胸の前に両手を重ねる。

「ナナさん……」

「──ほーら、しみじみしてんじゃないよー?」

 マナナが、俺たちの背中をぽんと叩いた。

「世界、救わないとだろ?」

「やべ、そうだった」

 ヘレジナが、呆れたように言う。

「しかしまあ、なんとも慌ただしい。感傷に浸る暇もないとはな……」

「マナナさん! ナナさんのところへ案内してくだし!」

「もちろんさ」

「な、ナナイロの家は、ち、近い、……の?」

「町の南西だからね。ここからなら遠くはないよ」

「なら、走って行こうぜ。世界滅亡の原因が〈のんきに歩いてたから〉になったら、さすがにカッコもつかないだろ」

「か、かっこの問題じゃないけど、……ね!」

「はいよ、了解。ちっと疲れてはいるけど、明日ゆっくり休めばいいさ!」

 そう口にして、マナナが走り出した。

「──さ、ついといで! 急げば二十分で着く!」

「ああ!」

 自然豊かな島育ちゆえか足の速いマナナを追い掛けながら、西の森を駆け抜ける。

 辿り着いたのは、六十年前に魔獣除けのテストを行った南西の海岸だった。

 砂浜から張り出した岩場に、一人の女性の人影がある。

 女性は、岩場に腰掛けて、釣りをしているようだった。

「──……っ」

 ヤーエルヘルが、速度を上げる。

 そして、

 こちらを振り返った女性に、

 一切の躊躇なく抱き着いた。

「ナナ、……さあんッ!」

「うおッ! ちょ、ま、落ち、落ち──」

 二人の姿が岩の向こうに消え、激しい水音がした。

「だ、大丈夫かヤーエルヘル! ナナイロも!」

 砂浜から声を掛けると、すこしかすれた声が返ってきた。

「だ、大丈夫なわけあるか! こちとら七十だぞ! こら、ヤーエルヘル! はー、なー、れー、ろー……!」

「う、あ……、うああああああ……っ!」

 対照的な二人の声が海岸に響く。

 マナナが、安心したように微笑んだ。

「なあんだ、大丈夫そうじゃん」

「今日も暑いゆえ、しばし涼んではどうだ?」

「け、怪我してたら治すから、……ねっ!」

「ああ、もう……」

 品の良い服をずぶ濡れにした老婆──現在のナナイロが、ヤーエルヘルを腰にぶら下げながら、ざばざばとこちらへ歩いてくる。

「もっとこう、しっとりした再会にするつもりだったんだぞ。なにせ、おれからすれば六十年ぶりだ。オトナな雰囲気を漂わせてだなあ……」

「──…………」

「カタナ兄?」

 ──ああ、ナナイロだ。

 年輪を重ね、外見は老いてなお、中身は六十年前のあの少女のままだ。

 両目から熱いものが溢れるのを自覚する。

「や、やめろよ、カタナ兄まで。こっちまで泣きたくなってくる……」

「泣いて、……ない……」

「泣いてるだろお……!」

「西日、がッ、目に沁みてるだけだ……!」

「うあああああ……!」

 俺とナナイロ、ヤーエルヘルの泣き声が、南西の海岸にこだました。

「──…………」

 プル、ヘレジナ、そしてマナナが、俺たちを囲むように抱き締めてくれる。

 また、会えた。

 世界が滅ぶかどうかの瀬戸際だと言うのに、涙は後から後から溢れ出し、止まらない。

 そして、気が付けば、西日が海へ没しようとしていた。

「あ゙ー……」

「ははっ! カタナ兄も、ヤーエルヘルも、目真っ赤だぞ」

「お前もな!」

「そ、そうでしよ。ナナさんも真っ赤でし!」

「ほんと、こんなつもりじゃなかったんだけどなあ……」

 ナナイロが、指先で目元を拭う。

「ナナイロ、うちの前ではうまーく猫かぶってたんだよ。偏屈なお婆さんのふりしてさ」

「こら、マナナ!」

「怖い怖い」

 ヘレジナが、呆れたような口調に反し、嬉しそうな顔で言う。

「まったく。中身はまるで変わらんではないか」

「うへ、へへへ……。な、ナナイロの、まんま」

「これでも三十年前までは、ウージスパイン魔術大学校で教授職をだなあ」

「その話、めっちゃ聞きたいんだよな……」

「──あ! でも、願望器壊さないとでし!」

「そうであった! 感動の再会をしている場合ではないぞ!」

 ナナイロが、余裕ありげに腕を組む。

「ああ、大丈夫だぞ。時間的余裕は、まだある」

「そうなのか?」

「とは言え、早めにスタンバイしておくに越したことはないからな。おれの話は、遺跡に向かいながら聞かせてやるさ」

「わかりました!」

「てことは、町を突っ切って北の断崖だね」

 マナナの言葉に、ナナイロが首を横に振る。

「いんや。おれは町にゃ入れないんだよ」

「……確かに、ワンテール島に来てから町に顔出したことなかったよね。なんか理由でもあんのかい?」

 ナナイロが、呆れたように口を開く。

「おいおい、お前らは知ってるはずだぞ」

「し、知って、……る?」

「魔獣除け、魔獣除け。おれはこれでも魔獣だからな」

「あっ!」

「あー……!」

 そうだ。

 あの魔獣除け、ダーニャさんの家の地下室に放置したままだった。

 純輝石アンセルを動力源にしているから、半永久的に機能し続けるのだ。

「あとで回収しないとな。大事な純輝石アンセルが嵌まったままだし」

「う、うん!」

「しかし、あの魔獣除けは高性能でこそあったが、さして役には立たなかったな。結局、子供たちは、ジーンの複製たちに拐かされてしまった」

「なに言ってんだ、ジナ姉。あの魔獣除けには超重要な役割があったんだぞ」

「ほう?」

「十七番目の願いは、確かに、オリジンの願いを阻害した。ナナミの再誕も、複製の培養も、不可能にはなった。だけど、願望器で叶えている願いを願望器で阻むって願いに、そもそも矛盾があったんだ」

「ああ、なるほど。エラー吐いたってことか」

 現代世界のIT技術も、神代の魔術装置も、原理的には近いのかもしれない。

「エラー、か。言い得て妙だな。専門的な部分は省いて結果だけ言うと、まるで壊れたみたいに魔獣が無限に生産され始めたんだ。ナナミではなく、研究の初期段階に見られたっていう合成獣キメラじみたものがな」

「あ──」

 理解する。

「その魔獣が町を襲わないために魔獣除けを作ったのか!」

「その通り!」

 びっ、とナナイロが親指を立てる。

「な、ナナイロ、あったまいいー……!」

「だろー?」

 マナナが、しみじみと頷く。

「……この島、ナナイロに守られてたんだね」

「あ、それでわかりました!」

「言ってみな、ヤーエルヘル」

「六十年前の時点で、エン・ミウラ島の北の海域は、ただ魚が回遊するだけの漁場でした。魔獣除けによって南へ下れない魔獣たちは、仕方がないので海に入りまし。そうやって、次から次へと魔獣が海流に乗って、はい、魔獣の海域の完成でし!」

 ナナイロが、感心した口調で言う。

「さっすが我が弟子。その通りだぞ」

「えへへ……」

「ついでに言えば、あの黒鯨って巨大な魔獣がいるだろ。あいつは、無限に増え続ける魔獣を食うために来たんだよ。もっとも、魔獣の生産はもう終わってるから、じきにあの海域から離れていくと思うけどな」

 意外な言葉だった。

「魔獣の生産が、終わってる?」

「ああ。実を言うと、もう一人お前たちに会いたいってやつがいてな。たぶん、遺跡で待ってるはずだぞ」

「だ、だ、誰、……だろ」

 選択肢は少ない。

 だが、その誰であっても、わかることがある。

「想定外の出来事が起こったんだな」

「なにせ、六十年だ。全部が全部想定通り行くほうが奇跡みたいなもんだろ」

「でも、ナナさんが慌ててないってことは、悪いことじゃないんでしね」

「わからんぞー? 単に、とっくに諦めてるだけかもだぞ」

「まさかあ」

 ヤーエルヘルが、からからと笑う。

 ナナイロのことを心から信頼しているのだ。

「まあ、すこし考えれば候補は──けほッ!」

 ナナイロが、軽く咳き込む。

「わ! だ、大丈夫でしか……?」

「ははっ。びしょ濡れのまま歩いてるから、風邪引いちまったかもな」

「へ、へへ、へいき? 魔術であっため、る……?」

「ごめんなさい、ナナさん……」

「なーに、冗談だよ。逆に涼しくていい気分だ。お前らも浴びればよかったのに」

 軽口を言いながら、ナナイロが懐から小袋を取り出す。

 袋を振って出てきた丸薬を慣れた様子で飲み下すと、再び歩き始めた。

 マナナが、心配そうに尋ねる。

「……ナナイロ。もしかして、病気なのかい?」

「忘れてるかもしれないけど、おれ七十のお婆ちゃんだぞ。持病の一つや二つ、あってもおかしかないだろ?」

「歩けなくなったら、六十年前みたいに肩車してあげるよ」

「せめておんぶにしてくれよ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る