2/エン・ミウラ島 -終 さようなら、そして、ただいま

 十七番目が、ナナイロから手を離す。

「そんなわけだ。私は、私の意志で、オリジンの妄執を食い止める。六十年後、願望器もろとも吹き飛ばしてくれて構わない」

「そんなッ!」

 ヤーエルヘルを、優しく見つめる。

「そうしたいんだよ、私は」

 ──パン、パン。

 十七番目が、急かすように両手を叩く。

「さあ、まずは島民を助け出さねばなるまい? さっさと行くがいい」

十七番目ケレスバルマ。お前は?」

「私は、君たちがこの願望器の間を出たあと、島民たちを目覚めさせる。そして、自らこの願望器に入る。オリジンの願いを妨げるために」

「そうか……」

「今生の別れだ。だが、邂逅したのは僅かな時間に過ぎまい。ただすれ違ったものと思って、君たちは君たちの旅路を行くがいい」

 マナナが、十七番目へと近付いていく。

「……そんなこと、できるはずないじゃんか」

 そして、十七番目の背中を思いきり叩いた。

「づあッ!」

「ワンテール島ではね、別れのときはこう言うんだ」

 そして、マナナが、わざと笑ってみせた。

「また、明日」

「──…………」

 十七番目は、毒気を抜かれたような顔をして、軽く吹き出した。

「叶わんな。会えないことなどわかっているのに、それをわざわざ言わせるか」

「わかってても言うのさ。また会いたい相手にはね」

「──では」

 十七番目が右手を上げる。

「また明日、だ」

「また明日な!」

「ま、ままま、また、……明日!」

「また明日、だ」

「また明日、でし」

「また、明日」

 そして、最後に。

 マナナが、オリジンの培養槽に手を触れた。

「ジーン。あんたにも」

 オリジンの手が、ガラス越しに、マナナと触れ合ったように見えた。

「──また、明日」

 オリジンの感情が溢れてくる。

 悲しみ。

 喜び。

 怒り。

 苦しみ。

 切なさ。

 そして、懐かしさ。

「うちはナナミじゃない。でも、わかるよ。ナナミは、こんなこと望んじゃいない。こんなことを望む人間が、パタネアみたいな子を育てられるはずがないもんね」

 それだけ告げて、マナナがきびすを返す。

「行こっか」

「ああ」

 俺たちは、どこか後ろ髪を引かれる思いを残しながら、願望器の間を後にした。

 部屋を出た瞬間、うっすらとざわめきが聞こえ始める。

 幾つかのコフィンが開き、老若男女が戸惑うように周囲を見渡していた。

「とりあえず介抱だな。人によっては一年間も眠り続けたんだ。何かしらの後遺症が残っててもおかしくない」

「そんときは、うちとプルちゃんの治癒術でなんとかするさ」

「う、うん!」

 頼もしい二人だ。

「ナナイロ。ヘレジナと一緒にパタネアと子供たちを呼んできてくれ。みんな、家族に会いたいだろうからさ」

「おう、わかったぞ!」

「魔獣は近辺にはいないと思うが、護衛は任せておけ」

「頼んだ」


 昔々のその昔、エン・ミウラ島の人々は困り果てていました。

 島の近海に海の魔獣が巣を張り、町を襲い始めたのです。

 魔獣から島を守るため、男たちは剣を取りました。

 男たちが勇敢だったが故に、島には孤児が溢れました。


 男たちが姿を消したのち、島に悪党が現れました。

 悪党は魔獣を従え、今度は女たちをさらい始めました。

 そうして、町には子供ばかりが残されました。

 エン・ミウラ島は、子供の島となったのです。


 あるとき、エン・ミウラ島に、五人の旅人が訪れました。

 彼らの名は、ワンダラスト・テイル。

 旅をしながら人を救う、まさに英雄でした。

 子供たちは、ワンダラスト・テイルに助けを求めました。

 彼らは、たったの五人で、たくさんの悪党と魔獣に立ち向かったのです。


 ワンダラスト・テイルは多くの敵を打ち負かすと、悪党の住処である北の入り江へと向かいました。

 彼らはそこで、島の大人たちが働かされているのを見ました。

 男も、女も、殺されてはいなかったのです。

 ワンダラスト・テイルは悪党の親玉を倒し、大人たちを助け出しました。


 ──伝説は、まさしくその通りだったのだ。




 島の人々をコフィンから救い出し、必要であればプルとマナナが治癒術をかけていく。

 幸い、深刻な後遺症を訴える島民はいなかった。

 島民全員の無事を確かめ終えた頃、ワンダラスト・テイルの名とその功績は、エン・ミウラ島に住むすべての人々の知るところとなっていた。

「さあ、帰って宴の準備だッ!」

「あンたは早くに眠っちまったから知らないだろうけど、この島けっこう大変なのよ?」

「ええい! 島の大恩人に、ンな湿気たこと言えるかよ! 明日のことは明日考えろい!」

 そんな賑々しいやり取りが、ホールのあちこちから聞こえてくる。

「──ほら、いつまでもここで騒いでても仕方ないだろ! 帰ろう! 僕たちの家へ!」

 ライナンが大声を張り上げ、島民たちを先導していく。

 リーダーシップを取れる性格なのだろう。

 未来のパタネアは見る目がありそうだ。

 皆がホールを出て行くのを横目に、俺は、懐中時計で時刻を確認した。

「もうすぐ四時間、か……」

 島の人々の救出に自己紹介、そして言える範囲での事情説明ともなれば、四時間程度で済んだのはむしろ手際が良いほうだったろう。

「も、もう、……時間ない、ね」

「ああ……」

「ヤーエルヘル。腕時計はどうなっておる?」

「あ、はい!」

 ヤーエルヘルが、腕時計の半球状の蓋をカチリと押し込む。

 すると、四本の赤い針が変わらず表示されていた。

 今までと違うのは、四本の針が重なりつつあることだ。

「──ワンダラスト・テイルのみなさーん!」

「うおおーッ!」

 俺たちの周囲から人がいなくなることを確認してか、パタネアとナナイロがこちらへ駆け寄ってくる。

「よっ、と!」

 マナナがナナイロを受け止め、抱き上げた。

「……その」

 パタネアが、目を伏せ、言いにくそうに口をつぐむ。

 彼女が知りたいことは、一つだ。

「ジーンのこと、だよな」

「はい……」

 意を決したように、パタネアが顔を上げる。

「お父さんは、どうなりました、か」

「──…………」

 十七番目は言っていた。

 パタネアは強かったが、オリジンは弱かった、と。

 オリジンは既に理性を食い潰し、狂い果て、永遠に見つからないナナミの幻影を追い求め続けている。

 だが、そこまで壊れても、自らの願いを娘であるパタネアに知られたくなかったのだ。

「どんな真実でも受け入れます。たとえ、ワンダラスト・テイルの皆さんが、父を──」

 パタネアが、俺を真正面から見る。

「……殺してしまっていたと、しても」

 ジーン=ゼンネンブルクが、ただの悪党であればよかった。

 ヘレジナがジーンの尻を百叩きし、それで一件落着とできるのであれば、よかった。

 だが、違うのだ。

 オリジンは生き続ける。

 パタネアが死んだあとも、生き続ける。

 今後六十年間、決して出ることの叶わない培養槽の中で孤独に苦しみ続けるのだ。

 十七番目の願いによって、手足となる複製を作ることすらできぬまま。

 真実を伝えるべきだろうか。

 殺したと告げるほうが、幸せなのだろうか。

 思考が堂々巡りする。

「……ジーンは」

 口ごもりながら、それでも言葉を紡ぎ始める。

 そのときだった。

「あ──」

 俺たちの体が、ほのかに光を発し始めた。

「と、時計の針が!」

 ヤーエルヘルを見る。

 腕時計の文字盤の上で、四本の赤い針が完全に重なり一本になっていた。

「み、皆さん! 大丈夫ですか……!?」

「あ、えっと──」

 マナナからナナイロを引き剥がし、パタネアに差し出す。

「悪い。あとはこいつに聞いてくれ!」

「か、カタナ兄ー!?」

「仕方ないだろ、時間切れなんだから」

 助かった──なんて、間違っても思ってはいないぞ。

 本当だぞ。

「そ、そりゃないぞー……」

 取り急ぎ、別れの挨拶をしなければなるまい。

「え、っと! その! げ、げ、元気で、ね!」

 プルが、一度だけ、パタネアごとナナイロをぎゅっと抱き締める。

「もちろんです!」

「へへ……」

「慌ただしい別れになってしまったな。もうすこし情緒が欲しいところであったが……」

 ヘレジナが腕を組み、微笑む。

「元気な子を産むのだぞ、パタネア」

「へ? は、はい。がんばります……?」

「あはは! ヘレジナちゃん、最後にそれ言う?」

 マナナが、心底楽しそうに笑ったあと、口を開いた。

「──また明日ね、パタネア。ナナイロ。すぐに会えるよ」

「は、はい!」

「おう!」

 ヤーエルヘルが一歩前に出て、ナナイロと視線の高さを合わせる。

「ナナさん」

「ヤー姉……」

「また明日、でし。未来のあちしのこと、よろしくお願いしまし!」

「……ああ、また明日!」

 俺は、パタネアとナナイロが皆と仲睦まじくしている姿を、この目に焼き付けていた。

 二度と見られない風景。

 奇跡の先の先でのみ見ることのできた、優しい結末を。

「──ナナイロ。お前は、ワンダラスト・テイルの五人目のメンバーだ。いつまでも、ずっと。六十年経ってもな」

 俺の言葉に、ナナイロが、驚くほど大人びた笑みを浮かべた。

「うん、知ってるよ。知ってる。おれたちは──」


 ──そして、俺たちの視界は、白く、白く、明転した。


 ナナイロが最後に何を言いたかったのか、唇の動きで察することができた。

 ああ、そうだな。


 おれたちは、仲間で、ずっと友達だ。


 さようなら、エン・ミウラ島。

 そして、

 ただいま、ワンテール島。

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