2/エン・ミウラ島 -17 結び繋がる過去と未来

「──六十年後のおれに導かれたー!?」

 ナナイロが、目をまんまるに見開き、驚愕に叫んだ。

「ああ。お前は将来、ヤーエルヘルの師匠になる。そして、俺たちを六十年前のエン・ミウラ島へと送り込むんだ」

「おれが、ヤー姉の師匠……」

「えへへ……」

 ナナイロの視線に、ヤーエルヘルがてれりと笑う。

「信じられないか?」

「……んや、信じる。だって、おれは、ワンダラスト・テイルの仲間だもん。仲間のことは信じ抜くのが当たり前だぞ!」

 そう言って、ナナイロがビシッと親指を立てる。

 強い子だ。

 そして、利発な子だ。

 つい先刻、自分の正体が魔獣であることを知ってしまったばかりなのに。

 次々に突きつけられる衝撃的な事実を自分なりに咀嚼し、一所懸命に理解しようとしている。

 俺は、ナナイロの頭を優しく撫でると、十七番目へと向き直った。

十七番目ケレスバルマ。お前はまだ、すべてを明かしてない。そうだな」

「ああ」

 十七番目が頷く。

「絶望。私はまだ、それについて話していない」

「教えてくれ。聞いての通り、俺たちには時間がないんだ」

「もちろんだとも」

 十七番目の視線が培養槽へと向けられる。

 だが、それはオリジンのものではない。

 彼の視線は、もう一人の女性を射抜いていた。

「疑問に思っていたのではないか? 彼女は誰なのだろう、と」

「……そりゃ、な」

 この女性は、存在自体が浮いている。

 誰も彼女のことを話さなかった。

 誰も彼女のことを知らなかった。

 彼女に関する情報を、俺たちは一つとして持っていない。

「彼女の名はわからない。だが、恐らくは、千年前にこの遺跡を作り上げた張本人だろう。純粋魔術の信奉者。神代の生き証人、だ」

「そう、か」

 驚きはなかった。

 むしろ、腑に落ちたくらいだ。

 純粋魔術を志す人間は、自らが作り上げた術式を証明する義務を負う。

 であれば、自らの手で完成させた願望器が機能するかどうか、自身で確かめたと考えれば辻褄が合うだろう。

「え、……えっと!」

 プルが、慌てたように問う。

「が、願望器、……からは、願いが叶うまで出られないんです、……よね?」

「ああ、その通りだ」

「な、なら、このひとの願いは……」

「懸念の通りだ。まだ成就していない。願望器は稼働している。彼女の願いを叶えるために」

「その願いって、なんなんでしか?」

「──…………」

 十七番目が、深く目蓋を閉じ、静かに言った。

「──世界の終わり、だ」


 願望器の間に、沈黙の帳が降りた。


「う、……嘘だろ? 世界の終わりだなんて……」

 なんとか沈黙を振り払ったマナナが、僅かな可能性に賭けて問う。

 だが、十七番目は首を横に振った。

「彼女の願いは、小惑星の衝突という形で叶えられようとしている」

 十七番目が、部屋の中央にある斜めに寸断された柱のようなものに触れた。

 その瞬間、空間に映像と文字が浮かび上がる。

「──な、なんだそれは! 面妖な!」

「正直に言えば、私とて十全に理解しているとは言いがたい。だが、書かれていることの一部は理解できる。ロンド古語の知識もある程度は引き継いでいるからな」

 映像では、大まかに葉巻型をした棒状の岩石がくるくると回転していた。

 あらゆる詳細なデータらしきものが羅列されているが、そのすべてがロンド古語だ。

 恐らく、これが、願望器によって引き寄せられている小惑星なのだろう。

「この小惑星がサンストプラに衝突すれば、人類は──否、この世界に住むすべての生物は死滅する」

「い、い、いつ衝突するんだよ! 読めるんならわかるだろ!」

 ナナイロの言葉に、十七番目が片方の口角を上げた。

「マナナから話を聞いたときは、恐ろしい偶然だと思ったものだ。だが、考え直したよ。ナナイロ。これは、お前が導く未来なのだろうな」

「……ど、どういう意味だ?」

「小惑星の着弾予測は、人歴1131年 夏の後節一日。つまり──」

 十七番目の口から飛び出たのは、衝撃の事実ばかりが並べ立てられた今日においてすら、もっとも驚愕に値する言葉だった。


「──六十年後の、明日だ」


 悲鳴にも似た驚天動地の声が、願望器の間にこだました。




「──ま、まとめるぞ」

 頭痛がしそうな頭を押さえながら、溜め息のように口を開く。

「まず、オリジンに関してだ。現状、彼を抑える手立てはない。願望器は破壊不可能だ。使えるすべての手を講じても、彼を傷つけることすらできない。お手上げだ」

「うー……」

 ナナイロが、複雑そうに唸る。

 相手はパタネアの父親だ。

 仮に倒す目処が立っていたとしても、同じ表情をしていただろう。

「次に、小惑星。六十年後の明日、サンストプラに衝突するって話だな。だけど、これに関しては、案外どうにかなるかも」

「……へ?」

「ど、どーやって?」

 マナナとナナイロが顔を見合わせ、目をぱちくりさせる。

「六十年後の未来に戻れば、使える魔術があるんだよ。それで願望器を破壊すれば、衝突は避けられるかもしれない」

「う、……うん。ヤーエルヘルの、ま、魔術。いまは、魔力マナを使えない、……から」

 ヤーエルヘルが頷く。

「はい。開孔術と言いまして、魔力マナを極限まで圧縮し、範囲内の物体を問答無用で、消し、去る──」

 説明の途中で、ヤーエルヘルが口をつぐんだ。

「ヤーエルヘル、どうした?」

「……この魔術、ナナさんが開発したんでし」

「あ──」

 そうか。

 そうだったのか。

 すべてが繋がっていく。

「未来のナナイロは、願望器を破壊するために開孔術を編み出したのか!」

「ええー!」

 当然、当人がいちばん驚く。

「お、おれが、そんなことを!? できるのか!?」

「きっと、できるんだよ」

 現在かこ未来いまとが結び繋がる感覚は、いっそ快感ですらあった。

「てことは、残る問題は二つだな。変わらずオリジンの件と、俺たちがいつ六十年後に帰還できるか、だ」

 十七番目が尋ねる。

「自らの意思で戻れないのか」

「神隠しの──時間遡行の遺跡は、込めた魔力マナに応じた期間、利用者を過去へと飛ばすものらしい。ヤーエルヘルの腕に残り時間を表示してるっぽい時計があるんだけど、神代の品だから読めないんだよ」

「どれ、見せてくれ」

「あ、はい」

 ヤーエルヘルが、左手首の腕時計をカチリと押す。

 すると、文字盤を隠していた半球が徐々に薄れ始め、四本の赤い針が現れた。

 最初に見たときより、針同士の位置が近付いている気がする。

「──あと四時間、と言ったところか」

「わかるのか!」

「この程度わからなければ、六十年後の明日に小惑星が着弾することもわかるまい」

 確かに。

 俺は、ほっと胸を撫で下ろした。

「よかった。間に合いそうだな……」

 そのとき、十七番目があっさり言った。

「実を言えば、オリジンの件にも当てがある」

「ほ、本当か!」

 食い気味のヘレジナに、十七番目が答えた。

「簡単なことだ。願望器がもう一席空いている。その一席で、オリジンの願望の阻害を願い続ければいい」

 数瞬、沈黙が場を支配した。

「そ、そんなもの、使えるはずがあるまい!」

「だが、他に方法はない。オリジンはまたナナミを求め、なりそこないを造り続けるだろう。手足となる複製を培養し、同じことを繰り返すだろう。他に手があるとすれば、島民全員をこの島から退去させることだけだ」

 ヘレジナが口をつぐむ。

「六十年後、島に人は住んでいたか? 魔獣で溢れかえってはいなかったか? 未来次第では、後者の方法を選ぶのもいいだろうがな」

「──…………」

 わかっている。

 未来を違えてはならない。

 あの平和なワンテール島へと未来を繋げるためには、どうあっても一人の犠牲が必要なのだ。

「私は、罪を償わなくてはならない。人々を傷つけるために産まれ、存在意義の通りに傷つけ、同じ立場にあった仲間たちを──自らと同列のジーン=ゼンネンブルクたちを、悲劇を終わらせるためと嘯いて手に掛けた」

 十七番目が、自分の手のひらに視線を落とす。

「私は、このために産まれたと思いたい。自らの原罪をそそぐために。エン・ミウラ島を、笑顔溢れる島へと戻すために」

「……わかるよ」

 ナナイロが、十七番目の腰を、ぽんと叩いた。

「役目が欲しいよな。生きてていいんだって、誰かに思ってほしいよな」

「──…………」

「おれたちは、道具として産まれた。おれは実験体として。お前はパタ姉のとーちゃんの手足として」

 ナナイロが、真剣な目で十七番目を見上げる。

「だから、おれ、嬉しかったんだ。おれは、すこし先の未来で、かいこーじゅつってのを開発する。六十年後、世界の滅亡を止めるために。それってさ、ちょーカッコいいよな!」

 ニカッと歯を見せて笑うナナイロが、俺にはとても儚く見えた。

「そして、さ。こんなおれでも、生きてていいんだって、そう思えるよな……」

 違う。

 生きてていいんだ。

 生きていてほしいんだ。

 だが、それを伝える前に、十七番目がナナイロの頬に右手を添えた。

「……ああ。罪を償いたいだなんて、大嘘さ。私には生きる理由が必要だった。そして、それが、大勢の人々を笑顔にすることなら──」

 どこか幼くも見える笑みを浮かべ、十七番目が言った。

「最高、だよな」

「うん!」

 嗚呼。

 この人は、そんなことを考えていたのか。

 俺は、十七番目をすこしでも疑った自分を、胸中で恥じた。

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